GWで考えた「勉強と仕事と休み」の意味。
この記事で高校生のキミが得られるかもしれない利益:休みはレジャー(余暇)にあらず、リクリエーション(創造)であるべき、という独り言。勉強や仕事を肯定的にとらえられなかった若き日々を反省する。
学校と会社は悪か
高校生の時、一番嬉しかったのは、当時国鉄と呼ばれていたJRのストライキで、学校が2週間、いや3週間かな、とにかく長い休みになったことだったんだ。
今考えると、情けない。
そうさ、勉強がキライな子だったんだ。
だから、学校が休みだと嬉しい。
そして、会社員になっても、同じだった。
休みが何より嬉しい。
ゴールデン・ウィークは休みが多いから、特に嬉しかった。
振り返ると、これだからオレはダメな男だったんだ。
いや、もちろん今もそうだが。
勉強嫌いは大人のせいだ
そもそも、学校が休みで嬉しいというのは、どうなんだろう。
つまりそれは、勉強が嫌だ、キライだということだよね。
でもそもそも、勉強って、自分を向上させるためにあるんじゃないか、それがキライって、ちょっと変じゃないのか。
言い訳はできるさ、大人が勉強を押しつける、勉強ができないと次のレベルの学校にいけなくなると脅す、いい学校に行くためには勉強しなきゃいけないらしい、お母さんが宿題をしろとうるさく言う。
これじゃあ、勉強を嫌いになるのも道理だ、という言い訳だ。
そもそも、勉強って、「つらいことで、いやなことで、それでもやらなきゃならないこと」って決まっているんだよ、大人が、社会がそう決めたんだ。
だって、勉強って文字通り、勉め強いる、って書くだろ。
「いやなことをやれ」ってことだよ。
だから、勉強を嫌いになるのは当たり前なんだ。
僕が勉強を嫌いになったのも、キミが勉強をキライなのも、当然なんだ、みんな大人たちが悪いんだ。
勉強も仕事も、見返りなんていらない
子供にとっての勉強と、大人にとっての仕事は同じ、だ。
勉強も仕事も嫌なもので、それでもいやいやでもやらなきゃならない義務、だ。
だからできればやりたくない、休みだらけのGWバンザイ、となる。
でも、勉強をイヤイヤやるのがおかしいのと同じくらい、仕事もイヤイヤやるのもおかしいだろ。
だって、仕事って創造することなんだよ、新しい価値を生み出すことなんだ、なんでそれが嫌なことで、無理強いさせられることなのか。
この矛盾も、無理強いする勉強から来てるのさ。
何か辛いことの代償として、いいことがあるから、我慢してやれ、と、学校でそう刷り込まれたのだ。
そのご褒美が休みであり、学歴であり、給料だというのだ。
その世の中の目に見えない「強制力」にまんまとやられた、僕。
情けなかったのは、当たり前の考えしかできなかった凡庸さ、だ。
勉強は自分を向上させ、これまで持ってなかった能力を獲得する喜びだということに気がつかなかった、愚かさ。
仕事は世の中に新しい価値を生み出す、という本質がわからなかった、バカさ。
勉強も仕事も、それ自体が喜びであるから、見返りなんてそもそもいらないはずだ。
何か嫌なことを頑張ったから、休みを、身分を、金をくれというのは、不幸なことじゃないか。
おや、オレはまだ社会のせいにしてるな。
教師と上司は勉強と仕事の喜びを教えろ
勉強しなかったのは、それでも言い訳すると、「なぜ勉強しなくてはいけないのか」を教えなかった教師が悪い。
教師はすべからく、北風と太陽の寓話でいけば、太陽であるべきなんだ。
ムチを振るって、つまり北風を吹き荒らして、「このやろう勉強しろ、しないと通信簿(古いか、今なんて言うの?)悪く書くぞ」と脅すのはやめろ。
やさしく、キミの頭をなでて「おお、よくできたね、キミは算数の才能があるなあ。漢字をこんなに覚えてくるなんて、国語力の根本ができてるね」などと、太陽のあたたかさで包み込むべきなんだ。
上司も太陽であれ。
ミスを責めるな。
減点法では、部下の隠された能力が発揮できず、仕事に対する自信を、いや下手すると自分に対する自信すら失わせる。
少しでもいい所があれば、それをほめろ。
ほめられた部下は、嬉しくなり、仕事ががぜん楽しくなる。
仕事のほんとうの意味を、喜びを教えなくても、自分でわかるようになる。
勉強を、仕事をいやいややっていた僕は、言ったようにGWが待ち遠しかった。
でも、それは本当は幸福なことではなく、不幸なことだったのだ。
レジャーとリクリエーションの違い
休みには、2つの意味があるという。
一つはレジャー(leisure)で、オックスフォード辞典によると
time when one is not working or occupied; free time.
「働いてない時間」のことだ。
この考えは、働くことと休むことを対立概念ととらえている。
かつての僕が抱いていた「休み」が、レジャーだ。
もうひとつが、リクリエーション(recreation)だ、これは文字通り再創造、つまり、新しい価値を創るための心身を休め、リフレッシュする期間、という意味だ。
これは、働くことと休むことを対立概念としてとらえていない。
働くことは創造の喜びであり、休むことはその喜びを確実にするための心身を整える、というニュアンスだ。
もし僕が若い時に、休みがリクリエーションだと捉えることができれば、もっともっと充実した人生になっていたはずだ・・・
と、悪かったな、じじいのつまらない懺悔を聞かせちゃって。
でも、考えてみると、オレは単に愛情不足だったのか。
それをキミにぶつけちゃっただけかもしれない。
キミに大いなる愛情、あれ。
野呂 一郎
清和大学教授
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