型破りな子供のピアノと形無しの僕の写真
年度末に長男のピアノの発表会がありました。
同じ教室に通うお友達とのアンサンブルで、成長を感じて涙してしまいました。
3ヶ月ほど前に、あまりに練習せず、教室にも行きたくない、楽しくないと言い、退会届を書くところまでいきましたが復活。
それどころか、今では楽しいと言いながら、先生とアレンジまで楽しんでいます。
親心に続けて良かったと感じる反面、楽しそうな子供が羨ましいなとも感じます。
趣味とはいえ写真を撮る時、どうしたらいいかわからない、と感じる瞬間があり、本当に写真を撮りたいのかな、と思ってしまうのです。
子供の成長から、何かを楽しむには徹底的にやってみることが大切だなと感じた父の記録です。
混乱する僕の写真
写真を撮る時に、ものすごくたくさんの決断をしていると思います。
被写体はこれで良いのか?
構図は?
どの角度が良い?
シャッタースピードは?
絞りは?
ISO感度は?
(SNSウケする?)
帰って写真を開いた時に、よく撮れているなと感じる写真もありますが、ふと思います。
何を持って良い、としているのか?
僕の答えはものすごく単純でした。
撮影技術の本に書いてある通りに撮れたかどうか。
つまり、正しいと言われている設定で撮影できたかどうか、と照らし合わせている。
正解があるとするならば、なるべく正解に近い写真を撮りたい、と無意識のうちに考えていたようです。
悪いことではないと思います。
ただ、僕が目指したいと思うスタイルではないことを無意識にやっていることを自覚して、カッコ悪いですね、と思っているため、自分にとっては良くないことと考えています。
恐らく正解と呼ばれるものに近づけておくことで、違うという反対意見をもらった時に身を守れる装備として考えているようです。
漫画なら、自分が好きではないキャラクターの代表格のような思想です。
楽しくなってきた長男のピアノ
毎週、必ず長男のピアノ教室に付き添うのですが、4歳から始めたので、3年以上続けてきました。
小学校に入ってからも頑張って通っていましたが、徐々に練習の頻度が落ち始め、3ヶ月ほど前には、全く練習せずに教室に行くことに。
練習してないから行きたくない!と泣くので、そろそろ潮時か〜と思い、月末で終わりにしようと決め、退会届を書きました。
ただ、本人にもう一度聞いたところ教室に行きたい、と言うので、1ヶ月頑張ってから、その時にもう一度、辞めたいか聞くね、と約束しました。
同時に親としても本人に頼りすぎたと反省。
必ず毎日少しでもピアノに触れるよう、一緒にピアノの前に座り、楽譜には先生が言ったことを全てメモ、読めない音符は調べて書き込みました。
もちろん最初は1曲も出来ないと泣くのですが、毎日続けていると不思議に弾けるようになってきます。
子供は不思議で、前日弾けなかったのに、寝て起きると弾けるようになっていたりします。
徐々にできるようになってきたなと実感したのは、先生の指導内容が変わり、楽譜通りに弾いているつもりでも、ここはもっと小さく、大きく、と細かい指導をされるようになっていました。
親も一緒に指導内容を聞くのですが、先生が長男に聞きます。
「この音の時は楽しいの?悲しいの?」
音で感情を表現してね、という指導。
難しくない?
でも、長男は先生に
「楽しいところ!だから大きくスタッカートで!」
とか言うのです。
めっちゃピアノ楽しんでる。
毎日続けると見える世界
子供と一緒に練習して気がついたことがあります。
彼は毎日練習を繰り返すことで、楽譜通りに弾く、ということは当たり前になり、ただ弾くだけならおしゃべりしながらでも弾けるまでになりました。
(集中してない!と怒られますが)
親に言われなくても毎日30分、うまく出来ない時はできるまで1時間以上の練習を自主的にするようになりました。
以前なら間違えたら怒られる、と思って弾くことを嫌がっていたのですが、今はそんなことよりも楽譜を読み込んで、どんな曲なのかを考えながら弾くほうが優先度が高いそうです。
普通に弾くこと、というハードルは飛び越えて次のステップに向かっています。
ピアノを普通に弾く、という型通りの演奏ではなく、自分らしく弾く、型を破って演奏しているように見えます。
一方でお父さんは写真を撮る時、いきなりアレンジを加えてカメラを斜めにしてみたり、角度を変えてみたり、フィルムっぽい色はどうやって作るんだ、なんてことばっかり試しています。
結局、たまに上手く撮れた写真にすがり、撮ったときのことなんて、ほぼ覚えていないことが多いです。
お恥ずかしい。
理由は単純で好きなように写真を撮っているので、僕の写真には型がありません。
SNSの投稿を振り返っても統一感が全くありません。
2012年に亡くなられた歌舞伎役者の中村勘三郎さんは言います。
「型を会得した人間がするのを型破りと言う。そうでなければ、ただの形無しだ」
耳が痛い。
やはり毎日、練習しているからこそ型が身についた子供と、たまにカメラを握ってウケそうな写真を撮る父の差はここにあるのかなと感じます。
写真にハマる瞬間を迎えたい
もちろん趣味なのだから好きなように撮れば良い、という声があるのですが、言ってくださる方のほとんどが、その人のスタイルを持っているのです。
都合よく解釈すると、正解はないから良いと思うように好きなように撮れば良い、という意見ですが、その裏には努力があると思います。
サッカー選手が子供の頃は大好きなサッカーを、時間を忘れてボールを蹴っていた、という過去の体験を含めて、型にハマらなくて良いよ、と言っていることと同じだと思います。
影響を受けやすい僕は大好きな漫画のワンシーンを思い出します。
ハイキューという高校男子バレーボールの漫画の中での会話。
その後の話を語りだすと長くなるので書かないですが、どれだけ真剣に向き合って練習したか、ということで楽しいかどうかが変わる、というエピソードです。
まぁ、そのうち上手くなるだろう、という月島くんと同じ感覚で写真と向き合っていた僕には
ガツーン。
という感じです。
子供に負けないような写真表現を目指して、もっと撮ろう、と決めた今日この頃です。
みなさんは写真上達に向けて取り組んでいることはありますか?
こんなことやっているよ、ということがあれば、コメント頂けると嬉しいです。
実は以前、ちょっと頑張っていました。
良ければこちらの記事もご覧ください。
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