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SNSと写真

きっかけがあり、好きな作家さんの写真集を集め、写真史にも興味がでて読み漁っています。色々な変遷があることはわかりましたが、最近の傾向として、1つの作品でメッセージを伝えきるような作り方ではなく、作品の中に文脈があり、どういう立場の人が伝えたいのか、というパーソナリティも含めて重要な気がします。

写真を人に見せるという点で、SNSとの組み合わせって重要だよな~と思ったので、背景などをまとめていきます。ただ、この文章で誰かに何かを「教える」ことはなく、自分自身が違った方向に向かいそうになったときに読み返す私信と理解抱ければ幸いです。

未来の私へのお手紙。

きっかけ

写真が上手になりたいとプロに相談する機会を得て、返ってきた回答が「たくさん写真を見ること」と「好きな写真家さんの写真を解読すること」でした。

サッカーや野球の上達を狙う人が、プロスポーツ選手の動きを読み解くことと同じように、写真もプロが撮った写真や撮影現場を見る事で、足りない部分に気づき、工夫が生まれる。上手に料理したい人はレシピ本を読んだり、おいしい食事を食べたりします。食べたことがない料理、作り方を知らない料理を知らない人は、自分の知識の中だけで作れるものを作り、いつも通りにしかできないと絶望して辞めていくそうです。

なるほど。

写真を読む

スポーツも料理も全員が感覚だけを頼りに手足を動かしているわけではないと思います。一部の「なんとなく」がスーパープレー、超おいしい料理にたどり着くような天才的な人に憧れますが、プロとは言え全員が天才ではないと思います(と信じてないとやってらんない笑)

ボールを蹴る、投げる、食材を切る、煮る、炒める、という動きの一つ一つに意味がある。テレビで解説を見たり、本を読んで背景を知ると、トッププレイヤーの思考がわかり、こういうときは、こうやって動けばいいのか、と自分の中にパターンが積み上がっていきます。

写真も何か伝えたいことがあり、意図的にシャッタースピードや絞りを選択肢、フィルムカメラならフィルムを選択、現像やプリントもラボに出して相談しながら色を決めていく、という時間とコストをかけて、一つ一つを意思選択していることを知ると、写真を見るから読むに変わって、楽しくなってきます。

そう、プロはすごい。(何をいまさら)

写真の流行り

フィルムカメラが、とか最新機種が、というカメラにまつわるお話ではなく、写真史を読み込んでいくと、流行りが変わっているように感じます。ただ、私自身は写真史を深く研究している訳でもなく、専門分野ではないので、紡がれた写真の歴史を自分なりに解釈しています。

肖像写真などの記録として写真を残す、というところからアートに発展し、カメラがコンパクトになったことでフィールドが外に飛び出します。悲惨な戦争や世界のイマを写し取った写真が力をもった時代もあれば、空間の決定的瞬間をとらえたような写真、反対に意味を読み取るには難しい何気ないものを写し取った写真など、積み上げられてきた写真はどれも素敵です。

最近ではテキストと写真を組み合わせたような説明的な写真が増えてきている傾向にあるようで、写真家と対話するような作品を目にすると、こういうことを考えているのか、と補足的な部分も含めて面白いと感じます。(実際はテキストもサブポジションではなく作品の一部だとは思いますが)

個人的には、誰もがスマートフォンを持ち、気軽に写真を撮れる、そして国境を越えることを含めて移動が容易に出来るようになった時代だからこそ、写真そのものだけではなく、撮影者のパーソナリティや信念、考えを含めて見られるようになり、説明的なテキストやタイトルが発展してきたのでは、と考えるようになりました。

みんなカメラもってるから、誰も行ったことがない、見たことがない、というものに対する驚きが減って、撮影対象で個性を出すには難しくなり、より撮影者の生きてきた背景、好み、個性、信念が反映された写真が評価されるようになってきたのかなと思います。

みんな、写真を通して人を見ている気がする。

写真とSNS

そう考えていくと、SNSと写真の愛称は抜群に良いように思えます。TwitterでもInstagramでも自分の部屋が持てるので、どんな人なのかを説明しやすいからです。

ということは写真の良さ、に加えて写真を撮っている人がどんな人なのか。写真そのものや経歴に加えてテキスト情報、リプライへの反応など、全ての行動が評価(というと大げさですが)に加えられ、総合的に好きか、そうではないか、に分かれるものだと考えています。

良いな、と思った人でもTwitterで反応が薄かったり、人に対して攻撃的だったりすると、あぁ、こういう人なのか、と興味を持ってもらえなくなるかもしれません。

一方で好きなものを反映しやすいので、機材が好きな人は機材が好きな人の部屋に、風景が好きな人は風景が好きな人の部屋、ポートレートが好きな人はポートレートが好きな人の部屋に集まりやすくなります。

突然ですが、写真集を見るようになってからは、時間があれば写真展に行ってみることにしています。特に作者の在廊時間を狙うのですが、作った人の話を聞くことが出来る機会は貴重で、写真や見せ方の意図を伺うと、だいたいファンになって、写真集を購入して帰ります。

SNSはオンライン上での写真展みたいなものと考えると、見せ方に制限はあるものの、作品のタイトルだけでなく撮影の意図、背景も書いておけば見てもらうことが出来ます。リプライをもらえば会話も可能です。

色々考えるとSNS怖いw

写真は楽しい

そんなこんなで、以前はカメラ自体にしか興味がなく、性能を試す写真が多めだったのですが、イマは写真そのものにハマリ、カメラ屋よりも写真集をフリマサイト含めて探し回る日々です。

アート的な要素が強くて近寄りがたいもの、と思っていた部分もあったのですが、撮った人に聞けば教えてくれるし、その人を知る事も面白い。自分のパーソナリティと共感できるところがあると、ファンになって、もっと見たい、もっと聞きたいという欲が出てきます。

絵画等と比較すると機械的な要素が多くて、ロジカルに理解しやすい写真なので、もっといろんな人の写真を見て、話を聞きたいなと思う、今日この頃です。

もうしばらく、カメラは買わない(どの口が言うのか)

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