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【ショートショート】行先

 どこまで続くか分からない、暗く淋しい夜道を私は歩いていた。

 道、と言えるだろうか。私の前に何人も、何人もの人が道でない道を歩いて踏み固め、それが次第に道の形を成していった、そう言った方が適当だろう。地面は砂利と土でデコボコしている。長く歩いた私は、次第に足の痛みを感じ始めていた。

 辺りには建物らしきものは何もない。あるものといったら葉を落とし、細い枝先を毛細血管のように無駄に辺りに伸ばした得体の知れない木や、倒木、朽木、そんなものだ。

 無論、人の気配はない。時折吹く風は生温く、嫌な臭気を孕んでいた。

 長く歩いた、と言ったが、実のところよく分からない。自分がどうしてこんなところを歩いているのか、なぜ歩かなければならないのか、自分では理解できない。

 石が近くの地面に落ちて、ぶつかり、硬質な音を立てた。

 ヒュッ、という風を切る音とともに、私の顔の横を石が飛んでいった。私の背中に石が当たる。次第に数は増えていき、やがて石は私の右のこめかみに当たった。

 私はこめかみに手をやった。手は温かく粘性のある液体に触れた。血だ。私はこめかみから出ている血を人差し指で拭うと、人差指と親指を擦り合わせ、鼻に近づけた。錆びた、鉄の匂いがする。私は指に目をやった。血と、汗、汚れが混じり合って黒く汚れている。

 私が立ち止まり、指を見ている間も投石は止まなかった。人の気配は、無い。私がゆっくり後ろを振り返ると、やはりそこには誰もいない。暗闇から無数の石が私に飛んできている。私は前――そちらの方向が本当に前かどうかは分からないが――を向いてまた歩き出した。

 視線を感じて顔を上げると、今までいなかったはずの人たちが、道の横に立っているのが見えた。暗くて顔は見えない。見えないが、私のことについてひそひそと話し合っているのは分かる。まるで井戸端会議だ。私に向けられた視線は何か汚物でも見るような、見下すような、悪意の塊だった。中には人ではないものを見るかのような、恐れを帯びたものもある。ヒソヒソと何か話す声が聞こえる。いや、はっきりと聞こえているわけではない。聞こえないからこそ、余計耳につく。私が顔を向けると、彼らは素早く顔をそむけた。まるで私とは知人ではない、赤の他人だ、と自分でも分からない誰かに示すように。

「殺してなんかいない」

 どこからか声が聞こえてきた。相変わらずヒソヒソ声は続いているが、その声とは別のものとはっきり分かる。殺してなんかいない。

 道はゆるやかに昇りはじめていた。足の動きがだんだんと遅くなる。もう歩く体力も残っていなかった。その場に座り込みそうになったその時、私のすぐ近くで声が聞こえた。

「殺してなんかいない」

 私は耳を疑った。そして自分の口に手を伸ばした。私は口をパクパクさせ、顎を懸命に動かしていた。殺してなんかいない。私は立ち上がり、周囲を見た。しかし、私の声が聞こえている人は誰もいないようだった。

 もうすぐ坂を上り終える。私は後ろを振り向いて、大声で叫んだ。

「殺してなんかいない!」

 一瞬、声は途絶えた。が、すぐに、今度は嗤い声も混ざり、より大きな声が私の耳を覆った。

 眩暈を感じた。私の声は誰にも届いていない。誰一人として耳を貸そうというものはいない。波は一度起きてしまえば、大きな力ですべてを飲み込む。

 私は目を閉じ、考えた。この結末にどれほどの人が安堵するだろう。しかし私は、少しでも、疑問を持つものがいて欲しいと願う。目を開けると、彼方から、白い光が近づいて来ていた。

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