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挫折した男の大仕事!佐々木喜善『聴耳草子』

遠い昔の話のようだが、どこか身近に感じるのが昔話の魅力の一つだろう。
今でも多くの昔話が絵本になっているので、誰しもお気に入りの一つ二つあるのではないだろうか?

かつて「日本のグリム」と称された男がいた。
佐々木喜善である。
今日は彼の集大成とも言える本「聴耳草紙」を見てみようと思う。


佐々木喜善~日本のグリムと呼ばれた男~

 その土地の風習や風俗、習慣や伝説、民話、民謡、家具家屋など古くから人の間で伝えられてきた有形無形の資料を基に、その歴史的変遷を明らかにし現在の文化と比較し説明しようとする。それが民俗学だ。

 この民俗学にはやがて「柳田國男」「折口信夫」「南方熊楠」といった巨人が出現し、学問として成立していく。そうした偉人たちの周囲にはまた、傑出した人物が多く集まることになる。柳田が避けた(もしくは立場的に避けざるをえなかったのかもしれない)「性」や「被差別民」に関する研究を重視した「宮本常一」(彼の後援は「渋沢敬三」!)もその一人だろう。

 そして1910年。誰もが一度は名前だけは聞いたことがある「遠野物語」を柳田國男が発表する。この成立に関わったのが「佐々木喜善」である。

 佐々木は幼少の頃から怪談話を聞いて育ったこともあり、怪奇潭に興味を持っていた。そんな佐々木は妖怪学の講義を聴くために哲学館へと入学した。もちろん目当ては「妖怪学講義」を著し、当時「妖怪博士」などと呼ばれていた「井上円了」だ。しかしながら円了は「妖怪撲滅派」の人間である。そんな円了に幻滅した佐々木は早稲田大学文学科へと転じ、文学の道を志す。モダン的な作家志望だった佐々木喜善(当時のペンネームは佐々木鏡石)であるが、作家として挫折。そんな折、佐々木は柳田と出会う。そして佐々木が話したことを元にして柳田が「遠野物語」を刊行したのである

 その後は病弱な身体を押し、東北に古くから伝わる「オシラサマ」や「ザシキワラシ」の研究や、400編以上の昔話を集めることで大きな功績を残した。死ぬまでに『紫波郡昔話』『江刺郡昔話』『東奥異聞』『農民俚譚』『聴耳草子』『老媼夜譚』などを記し、金田一京助に「日本のグリム」と呼ばれるまでの偉業を残した。

「聴耳草紙」を読む!

この本は1931年に刊行された本で、今も子供に読み聞かせる絵本の原型となった話が数多く含まれている。また佐々木も冒頭で述べているように、細かく分類しようとすれば「和尚小僧譚」「生贄譚「冒険譚」「花咲爺型」「瓜子姫型」から「縁起由来譚」など様々な話に分類することができる。

 さて中に目を向けると、目次を見るだけで興味深い話が多く載っていることがわかる。「聞き耳頭巾」の類話であり本書のタイトルにもなった「聴耳草紙」、「打ち出の小槌」や「屁っぴり嫁」などは一度読んだこと、もしくはテレビで見たことがあるにちがいない。

 また地方によって様々な言い伝えがある「鳥の話」。
中でも「郭公と時鳥の話」なんかは有名だろう。内容はよく聴く「妹が姉を恨んで殺したが実は」というものなのだが、鳥となって飛んでいくというのがまたものかなしさを増しているように感じる。この時の鳴声、つまり何と言って飛び立つかが地方によって変わっているようだ。

この「聴耳草紙」には多くの話が載っている。これらはすべて佐々木が土地の人々から聞いて集めたものである。昔はこんな話をポンポンと話せる人たちが側にいたのである。

しかし今はどうだろう?
現在自分が住んでいる土地にまつわる昔話を一つでも知っている若い世代や子供はいるだろうか?
そういった話を語り継ぐ土壌はあるだろうか?
その神社の縁起は?どんな神様が祀られているのだろう?

実際現地に行ってみて感じたことだが、これらは地方の祭ににもいえることである。「古いもの」は時代遅れでダサいものだろうか。いや、決してそうではないはずだ。こういった文化や伝統は失ってからでは遅いのである。日本人が日本人らしさを失っていく中で、いつか必ず過去に目を向けざるを得ない時がくるはずだ。そんな時にこの「聴耳草紙」が少しでも役に立つに違いない。


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