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新刊『娘が母を殺すには?』は、実は『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』とテーマが裏表になっているのです

新刊『娘が母を殺すには?』が発売となった。

https://x.com/m3_myk/status/1780174306439463361?s=46&t=zAM7ACZHsH_qNfTzlQXfUQ

まえがきにも書いてあるとおり、物騒なタイトルである。ぎりぎりまでこのタイトルにするかずっと迷っていたが、それでもこのタイトル以外ないなと決めて刊行することになった。


実は、本書『娘が母を殺すには?』は、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』と、私のなかでは完全に、対になっている作品である。

全然関係のないテーマの2冊に見えるかもしれない。が、これは私の中では、同じ問題ーー日本の戦後文化史ーーを裏表から扱っている2冊なのだ。

つまり『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が日本の戦後サラリーマン文化史(A面)だとすると、『娘が母を殺すには?』は日本の戦後家庭母娘史(B面)となっている。

というのも、『娘が母を殺すには?』は「戦後専業主婦文化が生んだ母娘密着を現代の物語はどう解くことができるのか」ということを問いに設定した批評だからである。


詳しくは本のなかに書いているのだが、日本の母と娘がなぜ拗れやすいのか? 

その答えのひとつに、「日本の母の多くが専業主婦だった」という背景が存在している。

日本の戦後家庭のマジョリティは、長時間労働によって家庭にほとんどいない父と、家庭で家事と育児をする母によって成り立っていた。

こうして働く父が、家庭からほとんど逃走した結果ーー娘が母の精神的ケアまで担うことになる。

つまり、父親の長時間労働は、間接的に母娘密着の原因となったのである。

そりゃそうだ。家に大人がお母さんしかいなくて、それでいて「話のわかる」娘がいれば、母は大変たことがあった時に夫よりも娘に依存するようになる。そして娘も母を支えなければ、と思うようになる。母娘関係の困難と父の長時間労働は明らかに繋がっている。

では、どうすればいいのか? そのミステリの解決策は『娘が母を殺すには?』で提示したのでぜひ読んでほしい。ちなみに本書で提示した解決策はあくまで「娘側」の解決策であり、父の長時間労働をどうにかしようとするものではない。だがたしかに日本の戦後家庭において、男性の長時間労働文化がもたらした影響は、少なくないものを母娘に与えていたことは確かだったのである。


たしかに日本はたくさん働くことによって豊かになったかもしれない。成長したのかもしれない。しかし長くこの国に巣食う長時間労働の弊害は、たしかにこの国に存在しているのだ。そういうことをそろそろ真剣に私たちは考えるべきではないだろうか。

それはまわりまわって「働いていると本が読めない社会」も生み出し、まわりまわって「母娘関係が困難になりやすい社会」も生み出したのだ。そういうことを、私たちの世代はたしかに指摘していくべきではないかと、いま私は思っている。

ーーそれはつまり、今の働き方がもっとも人々から奪いやすいものは、文化と家庭なのだ、ということである。


そういう意味で、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が労働と文化の話をした一方で、『娘が母を殺すには?』は労働してない場所である家庭で母と娘の話をしてみた。

そのため冒頭でも書いた通り、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が日本の戦後サラリーマン文化史(A面)だとすると、『娘が母を殺すには?』は日本の戦後家庭母娘史(B面)ということになっている。

というわけで『娘が母を殺すには?』の裏テーマは「父親が働いている間に家で起こっていることとは?」である。全国のお父さん、ぜひ読んでほしい。こんなこと言ったら怖いかもしれないけど。怖いですね。でも読んでほしいです。


『娘が母を殺すには?』

【目次】

第一章 「母殺し」の困難

1 母が私を許さない
2 母が死ぬ物語―「イグアナの娘」『砂時計』「肥満体恐怖症」
3 「母殺し」はなぜ難しいのか?

第二章 「母殺し」の実践

1 対幻想による代替―1970~1980年代の「母殺し」の実践
2 虚構による代替―1990年代の「母殺し」の実践
3 母を嫌悪する―2000年代以降の「母殺し」の実践

第三章 「母殺し」の再生産

1 自ら「母」になる―もうひとつの「母殺し」の実践
2 夫の問題
3 父の問題

第四章 「母殺し」の脱構築

1 母と娘の脱構築
2 二項対立からの脱却
3 「母殺し」の物語



有料部分は新刊裏話です!

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678字

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