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「ずっと画面の中だけの神さまでいてね」

「ずっと画面の中だけの神さまでいてね」

 ものすごく今更ながら『8番出口』の実況配信を再生してみた。このゲームは知っての通り駅の通路に迷い込むという内容のため、ロールプレイを重視する実況者は「なぜか通路で遭難した」という設定を守り、コメント欄を一切観ない人もいる。偶然開いた動画もホラー性と閉塞感を重視するスタイルであった。
 だからなのか、ふとコメントのなかで文脈無視のメッセージが流れてきた。「ずっと画面の中だけの神さまでいてね」。もちろん、そんなコメントもチャット欄の濁流により一瞬で流される。僕自体もその方が良いと感じて、突然の一文に心動かされつつも再確認は一度もしていない。このコメントは「画面の中の神さま」が絶対に読まない今だからこそ投稿されたもので、それを進んで見に行くのは野暮な行為に思えたのです。
 当然、画面の中の神さまである配信者当人は未だ駅からの脱出に夢中であるし、例えコメント欄と戯れる通常の形式だったとしても、この文脈無視な一文をわざわざ拾うことは無いでしょう。だからこそ、この人は信仰する神へ静かな愛を書き残すためネットの海に、それもできるかぎり神さまの領域に近い場所へ想いを放流する。
 この一文には勝手ながら相当なドラマチックを感じてしまう。きっと、投稿主は推し配信者のユーモラスで努力家な面に精神を大きく救われているのでしょう。なぜかこんな自分にも毎日元気を、無償の愛を与えてくれる優しい存在に対して、天を越えた神々しい光を覚えている。思えば、ホラーゲームの設定を活かして没入感のため遭難者を演じてくれる時点で相当なプロフェッショナルである。こんなに一緒にゲームで遊んで楽しい時間を作ってくれる存在を「神」と認識するの感性もまた尊く思えます。
 その上で、「画面の中だけに収まっていて欲しい」という願望も込められている。あなたのことをネット上に存在するキャラクターとして感じていたいので、ずっと自分たちを「キャラクターとファン」「推しとオタク」「神さまと敬虔な信者」の関係のまま、気持ちよく祈りを捧げさせて居て欲しいと願う。画面の前で神さまに祈る間は間違いなく幸福であるのだから、外界の余計なノイズやリアリティをすべて遮断したい。この気持ちも分からなくもない。
 引いて見るなら、なんて事のない感極まったオタクの一コメントでしかないでしょう。しかし、人が感極まる瞬間なんてめったに見れるものでなく、どうであれ純粋な信仰心には心惹かれてしまう。今もコメントの投稿主が画面の中の神さまに救われたままであると良い。

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