見出し画像

休めない理由と社会人の祝祭

 以前は3日でいいから一旦休ませて欲しいと思っていたけれど、今は1日でいいからと考えている。とにかく寝不足と不眠が続き、頭が痛い。頭というか脳味噌がズキズキしており、正確には僕そのものでなく生存本能が「休ませてくれ」と頼んでいる感覚です。
 仕事で報酬の相談・支払いのタイミングのたびに「お金はいいから一日休ませてもらいたい」と思っている。なんなら一度「僕はお金要らないので次の仕事の準備資金に回してください」とお願いしたことがある。そうすることで先の負担が薄れて休み時間を確保できるのではと試してみたかったのですね。
 しかし、これが面白いことにこうして次の仕事への準備を万端にしてもらうと、当然今までよりスムーズに物事が進行してむしろ次の仕事がくる間隔が早まって余計に休憩は減るのです。自分が試してみたかったことなのでこのケースは問題ないのですが、誰か一人が犠牲になる(この場合は作家一人分のお金と時間が浮いた)ことで驚くほど企画が楽になる事実は面白くもあり、日々どこかの会社で誰かが生贄とされていることの裏付けでもある。
 「そこまで休みたいなら素直に相談すればいいじゃん」も本当にそうなのですが、素直に相談したとて無理なものは無理だ。仕事の人たちは仕事の相談は聞いても、「他人を休ませる」ことに対応できない。平行で進んでいる他社の仕事に踏み込まねばならないので、それは他人の人生へ干渉することと同義となる。代わりに提案されるのは「打ち上げ」や「お疲れ様会」で、それでぱあっと労って楽しくやりましょうという流れになるたび、「飲み会に行くと魂が穢れるので」と断っている。
 これもまた面白い構造で、他人を強制的に休ませることができない以上、ストレスを下げるため息抜きの飲み会をセッティングしようと気にかけてくれるのですが、僕は社交辞令が飛び交う社会的な場において非常に息苦しくなるため、むしろ負担になってしまう。あと寝不足でそのような場に参加するのはつらい。
 なので、「自作の打ち上げ」を出版社もゲーム会社も企画してくれるものの全て断ってしまっている。打ち上げの時間で1.2時間でも多く眠れる方が嬉しい。けれども「打ち上げでスタッフの苦労が報われる」ことは本来お金以上に大切……というか「精神のための休み時間」とされているため、向こうはむしろ僕の体調や心を気遣って言っているのですね。となると「お仕事を頑張ってくれたのでお金じゃない大きな恩恵を用意したよ」と向こうの労いを断り、主役不在のためパーティは行われず、打ち上げを断ったところで実際その時間が休みに変換されることもないため、互いに損している。打ち上げを開催することで「作家を大切にしている」事実を相手も得られる。そこで次の仕事への約束がやんわり進行される。
 というのも踏まえて通常なら物事が良い方向に進むので打ち上げには参加した方がいいのかなと思いつつ、それ自体が社交辞令であり、自分の中で矛盾を感じてエラーが発生する。となると相手側も「お金以上に作家を大切にしたい」といった姿勢自体はあるものの宙に浮く。
 真に自分が望んでいることは睡眠時間の確保と米青ネ申禾斗への通院であり、それを仕事の関係でサポートするにはとても難しい。といった諸々があって休みを自主的に勝ち取ろうと頑張りはするため、向こうもそれを認めてくれて報酬額は増える。といっても、もはや今はどんなにお金があろうとも(これはめちゃくちゃ金があるという意味でなく)休みが増える状況でない。報酬額が増えると次の仕事の大きさが自然と一回り増える。これは意識していなくてもそうなる。企画を通して回転している額が増えるだけ、規模と責任も増加するのは考えれば当然。
 本来、労働者たちの生活に楽しみを与えるため「祝祭」があった。一般市民たちも羽目を外して全身で歌って踊るお祭りを設定することで、みんなその日のために努力し、祝福をした。祝祭によって音楽やスポーツなどの文化も発展した。労働への恩恵は報酬額もあるが人間としては「祝福」が最も大切なのかもしれません。
 現代での祝祭は「打ち上げパーティー」だ。その祝福をキャンセルする前提なので社会人との関係に齟齬が起きる。ただ社交自体が嫌で祝福が呪いになるのだから難しい。こちらとしては今後も円滑でいるために不参加をしている(さらに言えば本当に休みたい)。
 というのが自分が「簡単に休めない」理由なんじゃないかと思っている。本当に本当に一日だけでも休みたいですが、今はこの状態で進んで一度倒れた方が合法的にたくさん眠れて現実的である。医者や看護士は社交を通さない無償の愛(実際は保険料を払っているのだが)を与えてくれる。神が居るとしたら病院に居る。

サポートされるとうれしい。