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壺の話

修習生や若手弁護士との会話

修習生や若手弁護士と接すると「今、何しておいたらいいですか?」とか「今後どのジャンルが伸びると思いますか」というようなことをよく聞かれます。

何したらいいか? →知らないよ。好きにすればいいよ(笑)。
今後どのジャンルが伸びるか? →さあ、分からん(笑)。

経済的な成功は、・・・まあ、できるならした方が自由度が上がっていいと思いますが、不幸な金持ちも結構見ているし、いくら成功しても、結局「人間」に産まれている以上、身体的な限界からは逃れられない(=老いる・死ぬ)わけで、そう考えると、時々、自分の人生を振り返って納得がいく生き方ができていればそれでいいのかなという気がします。

で、「納得がいく生き方」で思い出すのが「壺の話」。

壺の話

壺の話とは何か。
某匿名掲示板での有名なコピペです。読んでみて下さい。

 ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
 そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
 一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
 教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
 一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ。」
 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
 それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり……。
ここで言う「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。
 それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
 もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

大きな岩=優先順位が高いこと

自分にとっての「大きな岩」ってなんだろう・・?

転生や死後の世界を信じない人にとっては、人生とは死んだら終わり。
結局、人生なんて、ただの死ぬまでの暇つぶしなのかもしれない。いやきっとそうなんだろう。

であるならば、できるだけ楽しく悔いのない人生を歩みたい。そのためには本末転倒にならぬよう、壺の話は時々思い返してみるべきなんでしょうね。

おわり





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