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【自己紹介#2】家が燃えたりゴキブリ飼ったり25歳までの落合陽一

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さて,落合陽一です.1987年生まれなのでいつの間にか31歳になりました.2012年前半までの落合陽一は前回の記事で書き終えたので,2012年後半から.なんか自伝感あるけどこの方が読みやすい人もいるんだろう.

暦本研の生活も2年目になると楽しくなってきた.1年目は東大はセキュリティが厳しくて色々ぶつかることも多かったんだけど,2年目になると慣れてくる.

廊下でマダガスカルゴキブリ飼ってたときは(授業の課題で生物っぽいシステム作ろうっていう河口洋一郎先生の課題があって,それでカメラ設置してとりま生のゴキブリをコンピュータビジョン的にトラッキングしまくってデータ貯めてた),越塚先生と暦本先生に「ペットを大学につれてこないでね」と怒られつつ,ラボの周りだと迷惑なので工学部二号館の地下に置いといたら,不審物だ! と警備員がたくさん来てヤバかったんだけど,当時からの親友の牟田君がなんとかしてくれたりして何だかんだ友達もできてきた.当時はよく生き物使った作品作ってて,2010年くらいにゴキブリをホタルにして展示するインスタレーションとかやったり,大きいブレッドボード回路に昆虫刺してくみたいなことしたりしてたんだけど,コオロギ作品に使うって言ったら「それ死なないよね?」と何回もご確認いただいた荒川先生の顔が忘れられない.

研究室の同期には恵まれていて,未踏ジュニアとかやってる鵜飼くんやゼロから作るディープラーニングを書いた元チームラボの斎藤さんは同期.玉城さんは僕がM1のときD3で,石黒さんもD2だったようなそんな感じ.一個上の学年に今東大にいるゆるきゃらのヒグヒグ(樋口さん)がいてって感じだったんだけど,最初は馴染んでなかったのもどこ吹く風,いつのまにかキャラも慣れてきてだいぶラボにいるのが居心地よくなってきた.2012年当時はImageNetが話題になって,その後2013? 2014?くらいにラボで勉強会されてたのがCaffeでDeepLearningやってみよう,ヒューマンインターフェースの研究に使えそうなのどこ? みたいな時代感. インストール地獄にハマる.今はだいぶお手軽になったからできることも広がったなぁとしみじみ.しかしながら当時から7年経っても課題意識は変わっておらず,「機械学習自体の研究」としてできることと「他分野の研究に使える程度に手法が成熟する」というのは結構違う話.それはいまのJST CRESTのxDiversityをやってても思う.我々に必要なのは使える機械学習を使った上での(もしくは既存手法を改良した上で)その延長としてのエンジニアリング的な研究成果.

2012年に学振の書類を書いてる頃は前年のテーマでディスプレイ系を書こうと思ってたときに形態が変わるディスプレイって面白いなぁと思ってしばらくはそんな研究をしようかなぁと思っていた.それで無事に通った後,2013年に博士に進学するまでに,実家が火事で半焼したり,ペットのハリネズミが死んだりとか厄年マジやべえなと思ってたんだけどなんか学際情報学府のコース賞かなんかをもらって無事に修士卒業.当時バーニングマンのジャパンイベントでめっちゃ煙が出るインスタレーション作ってたんだけど,家の中で実験しまくってたので,家が本当に火事になったときはスモークマシンじゃなくてガチだ! と思って焦った.火事になった日もパシフィコ横浜で自分の展示やってて,それが原因で家が留守だったんだよなぁ.当時は今はメタクラフトやってる鉄太郎くんと仕事したりREADYFORに毎週行ったり,楽しかった.松尾先生とはその頃からいろんなところで顔を合わせる.実家が燃えたので一人暮らしを始め,そして地下室にもあまり籠らなくなりラボへよく行くようになったのだった.当時JH科学さんとやった対談はまだWebのどこかに残ってるんだろうか.(と思ったらあったw)

落合陽一は丸い

2012年の終わり頃に超音波の研究つながりで当時名古屋工大の星先生と共同研究するようになった.まさか一緒にピクシーダスト社を起業するとは当時は思いもせず,ただ超音波の話とか楽しいなぁと思って友達になって装置を貸してもらった.なんで話が面白かったかといえば,僕と星先生は谷田貝先生が書いた同じフーリエ光学の教科書で勉強していたので話があったということだと思う.理解者がいると研究は捗るし楽しい.

2013年に進学した後は,火事のせいもあってか家の地下室に籠らなくなったし,前年の五十嵐先生の勧めもあり,面白いものを作りつつ論文も書くぞ! とわりと毎日朝決められた時間にラボ行ってサーベイしたり論文書いたりしていた.とりまラボにたくさんあった紙のTransaction on Graphicsをひたすら読む日々を繰り返す.なるほど,こういうものがグラフィクス業界のペーパーのモチベーションなのか.だんだん好きになってきたぞ.とまず,去年のコロイドディスプレイをまとめ直してIEEE CG&Aに投稿,無事に論文が通ってなるほどこういう感じかと思い始める.そしてこのころはラボで3次元音響浮揚の研究を始めて,ラボを粉まみれにしてた時期でもある.暦本先生とラボの仲間が寛容でありがたく,研究が捗って楽しかった.毎朝ラボに行っては実験したりろんぶんかいたり.当時ポスドクで辻田さんが暦本研にいて毎朝談笑したりするのも楽しかったなぁ.引っ越したばかりの東大生産研のラボで実験は続く.

この年もTokyo Designers Weekで展示したり,ACEでベストペーパーもらったり,なぜか日本マニフェスト大賞の特別賞もらったり,SIGGRAPHのStudent Competition入ったり,ロハス大賞にノミネートされたりとなんだか受賞することが増えてきて,目立ってきたのかなぁと思いつつ粛々とものづくりしたりたまにメディアでたりしながら博士研究をしていた.

当時の落合陽一は修士時代よりは痩せている.

さて博士1年,学振のDC1研究員だった落合陽一の研究環境が変わり始めてきたのは2013年の12月31日のことなんだけど,そこから先はまた次の回で.


NewsPicksのやつ:【筑波でメディアアートしてたら展覧会とかするようになって,IPA未踏やってたらスパクリになって,研究してたら国際会議に論文通るようになったんで研究も楽しいなと思って東大に進学して,起業して企業案件開発したりしてて,修士で研究したらバズってBBCとか来るようになって,(第一回でここまで消化)

トップカンファ愛好者になって,学振DC1とって,博士で研究したら(第二回でここまで消化)

バズって,CNNとか来るようになって,マイクロソフトリサーチ行ったり,CGとHCI系に国際会議にホロやライトフィールドや触覚絡めて最適化する論文たくさん書いて,TEDxTokyo出たり,東大を早期修了したり,いつのまにか専門の賞たくさん貰うようになって,知財を製品実用化する会社起業して卒業して,総務省の異能とかやってたら

筑波大の助教でPIになって自分の研究室始めて,自動車とか電機メーカーとかと共同研究してたら,また研究がバズって,アルスエレクトロニカとかグッドデザイン賞とかワールドテクノロジーアワードとかもらうようになって,授業したり魔法の世紀って本書いてメディア論しながら,学生さん育ててたらいつのまにか国際会議の論文とか結構通るようになってきて,ますます共同研究の業種増えて,自分と学生さんが学長表彰や対外的な賞を貰うようになってまた人増えて,ダボス会議とかザンガレンシンポジウム明日のリーダーとかに選ばれて,製品開発してたらお客さんつくようになって,要素技術を使って社会問題に取り組み始めたら,東京都とか内閣府とか文科省とか経産省とかの仕事増えてきて,JST CRESTとかNEDOとかの研究代表し始めて,筑波で学長補佐したり,自分の会社に資金調達して大学で講座始めたり,准教授になったりしてたら,客員教授とか理事とか増えてきて,最近でも論文書きながら徹夜したりプログラム書いたり展示現場で施工作業したり,サンジャポやニュースピックス出たり会議も多いけど,基本は現場の人間として生きている.
メディアアートを始めたときは19歳だったのに,気づいたら結婚して子ども生まれ,30歳になった.
日本再興戦略が売れたり,肩書きが増えたり,他人からはもう初見で理解不能な「働き者」です.開発・経営・アート・研究・教育・広告など様々な現場にいるので幅広く知ってるのが強みかなぁ,逆に現場にいないことについてはコメントしないことにしてる.
一言で言えば「みんなありがとう」🙇】

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