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インドの「青い街」ジョードプルで出会った純朴で懐かしい感情

確かにこの街に行きたいと思ったのは「ブルーシティー」に惹かれたからだった。でも今振り返ると、一番に浮かぶのは純朴で人懐っこい住人たち一人ひとりの顔。ブルーシティーと呼ばれる街は他にもあるものの、どこか懐かしい思いにもさせてくれるこの街に出会えて良かったと素直に思えてくる。インドの片隅にある「ジョードプル」という街に。

ちなみにモロッコのブルーシティー「シャウエン」にも行った際の記事はこちら。

ブルーシティーに迷い込む

ジョードプルは北インドのラージャスターン州にある街で、ニュー・デリーから飛行機で1時間半の旅路だ。空港がすでに青く、「ブルーシティーに来たんだな」という気持ちを高めてくれる。空港から観光の中心地である時計台までは4~5kmであり、体力に自信がある人は歩いてみるのもいいだろう。私自身、歩きながら見知らぬ街を線と線でつないでいく感覚が好きであり、どの観光ガイドにも載っていないだろうお店やスポットに遭遇できるのもワクワクしてくる。

ジョードプル空港に到着
「こっちの道で合ってる?」とたずねながらチャイやパンをいただく。この揚げパンができたてでめちゃくちゃおいしかった

時計台は旧市街の中にあり、家屋が青く塗られたブルーシティーもこの旧市街の中にある。見上げるとかつてマハラジャが住んでいたメヘラーンガル砦、そして雲一つない青い空。ジョードプルは晴れた日が多いこともあり、「サンシティー」とも呼ばれている。旧市街の家屋の壁が青く塗られ始めた時期は不明だが、蚊やシロアリといった害虫を防ぐほか、屋内の気温を上がりにくくする効果や、カースト制度の聖職者階級であるバラモンの家と区別するためなど、複数の理由が考えられている。

時計台は旧市街の中心にある

ちょうど家屋を塗装している住人に遭遇したため、「なんで塗装しているの?」とたずねたが「ブルーシティーだから」という返事しかなかった。ちなみにその住人は青というよりは紫の色に染めているところだった。ブルーシティーとは言え、その色味は実に鮮やかだ。またデザインも、マハラジャのストーリーを描いたようなものからアート性に富んだものまで様々あり、次の曲がり角ではどんな風景に出会えるんだろうと自ら道に迷い込んでしまう。でも大丈夫。坂を下っていけば道幅はどんどん広くなり、いつの間にか街の中心地に戻ってきているはずだ。

旧市街にはたくさんのゲストハウスがあり、だいたいどこのゲストハウスにもルーフトップが備えられている。ブルーシティーとメヘラーンガル砦を望む景色の中でいただいたチャイが本当においしかった。

メヘラーンガル砦のすぐ下にブルーシティーが広がる。ゲストハウスのルーフトップで小休止

在りし日のマハラジャをたどる

ジョードプルの観光スポットは時計台(その配下のサダル・バザール)、トゥールジーの階段井戸、メヘラーンガル砦、ジャスワント・タダが中心になるだろう。トゥールジーの階段井戸は旧市街の中にあり、井戸ということもあって涼みに来ている人たちも多いようだった。訪れた際、何かの撮影をしているようでカメラマンが向かいのモデルさんたちに指示をしながら何度も撮影を繰り返していた。すぐ横でおじさんが井戸の掃除をしており、こういう人たちに街は支えられているんだなと感じた。その一方で、元気な少年2人組が井戸に飛び込む。

トゥールジーの階段井戸にいると何かが起こる!?

高台にあるメヘラーンガル砦とジャスワント・タダはオートリキシャ(トゥクトゥク)のお世話になってもいいかもしれないが、時計台から徒歩20~30分なら歩いていけなくもない。前述の通り、メヘラーンガル砦はマハラジャがかつて住んでいた城であり、ジャスワント・タダはジャスワント・シン2世の墓所として建造された霊廟だ。白大理石を用いた白亜の建物はメヘラーンガル砦とのコントラストも美しい。

ジャスワント・タダは青い空にひときわ映える

みんながみんなそうというわけではないかもしれないが、住人に話を聞くと今でもマハラジャは特別な存在であることがよく分かり、家にマハラジャの写真を飾っている人もいるようだった。空港から旧市街に向かう道中、右手にウメイド・バワン宮殿が見えるのだが、1929年にマハラジャのウメイド・シンによって建設が始まり、およそ15年もの歳月を費やして完成した宮殿だという。現在も親族が所有しており、半分はホテルとして開放されている。利用者しか来訪できない地だが、住人は「あそこに見えるのがマハラジャの宮殿だ」と誇らしげに紹介してくれた。

ウメイド・バワン宮殿は1泊10万円~。1泊数千円で旅する者からするとなかなか手が出ない

メヘラーンガル砦とジャスワント・タダは公開されており、メヘラーンガル砦は在りし日のマハラジャたちの暮らしを物語る博物館になっている。今も美しく輝く装飾品たちは当時、どれだけ希少で高価なものだったのだろうと想像してみる。ジャスワント・タダの周囲には親族の廟が並んでおり、庭園も綺麗に手入れされている。ここには町中に鳴り響く車のクラクションも届かず、落ち着いた時間が流れている。

メヘラーンガル砦内には伝統音楽を奏でる演奏者の姿もある
細部にまでこだわりの装飾が施されている

握手とグータッチを求められ

ジョードプルはジャイプールについで州内2番目に大きな都市ではあるものの、観光地として訪れるならだいたい徒歩圏内にすっぽり収まる大きさだ。人々の生活もその中にあり、カメラを向けると笑顔でポーズを取ってくれる。特に小さい子どもたちは「私も撮って」とアピールをしてくれる。ときには「私1人を撮って」「あの子も撮って」「私にも撮影させて」とこっちが困惑することもあるだろうが、相手をだましてやろうという気持ちからではないことは伝わってくる。道中、中学生らしい大集団がに遭遇した際など、なぜか握手とグータッチを一人ひとりと交わしていくことになり、なんだか勝手に有名人になったような気持ちになった。

インドのどの街に行ってもオートリキシャの客引きがあり、都市によってはかなり強引なこともある。だがジョードプルではそこまでしつこくなく、私が「歩きたいんだ」と言えば、「その場所ならあっちの道だよ」と教えてくれる人もいた。商売っ気がないとも言えるのかもしれないが、適度な距離感がありがたかった。

朝5時30分、真っ暗な街にコーランが鳴り響く。と思ったら、どこかからインドっぽいポップミュージックが流れ、あちこちから犬の遠吠えが聞こえる。日の出前の早朝というのにこんなにカオスなのかとちょっと笑えてくる。

ジョードプルを出る際は鉄道に乗ったのだが、ジョードプル駅も旧市街のすぐそばにある。ゲストハウスの家主に「ハッピージャーニー」と見送られて街に出ると、この日は日曜日だったのだが日の出前からすでにいくつかお店が開いており、掃除をしている人もいる。

前日に下見に行った時のジョードプル駅。昼間はこうして涼んでいるだけの人も多いよう

鉄道は約10分遅れで走り出した。鍵付きの4人部屋で男性と同部屋になり、ちょっと不安だったのだが、「何かあればこのベルを鳴らすか、俺に声をかけたらいい」と気にかけてくれる気遣いに感謝した。ニュー・デリーへ仕事に行くんだという。旅をしていると声をかけ、「ジョードプルに来て良かった」と加えた。「いい街だ」と男性が言ってくれたから、「うん」と答えた。


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