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No.1230 心誘いの…

5月に入り、ようやく重い腰を上げたようです。
 
久しぶりにDコースを散歩すると、20年近く廃墟同然となっている団地に取り壊されそうな防護ネットがかけられています。トップは、主の居なくなって永い団地の1葉です。
 
東西約90m×南北約105mの広い土地に、40戸5階建てのアパートが3棟並んでいます。因みに、佐藤孔亮著『歌舞伎にみる日本史』(小学館、1999年、P106)に拠ると、江戸は本所松坂町にあった吉良上野介邸は、東西約130m×南北約60mだったとか。かなり大きな屋敷だと知りました。
 
私は、この団地が賑わった頃を知りませんが、大いに潤った時代を物語る現代の遺物です。近寄ってみると、壁の落剝の痕跡や、鉄の手すりが朽ちた個所もあり、更にツタやツル草が巻き付いたりしていて、「狐狸」も住みかねない姿を呈していました。
 
その3棟に挟まれるように桜の大木が1本ずつ植えられており、毎年みごとに花を咲かせて行き交う人々の目を楽しませてくれたのですが、今年4月13日の散り際の桜が見納めになりました。この桜の木は伐採されていました。


いつかは憂き目に遭うのだろうと覚悟はしていましたが、その時を迎えたのです。管理者が土地を売るか、新たな施設で再起を図るかの決意をしたのでしょう。たまに通りかかるだけの散歩の爺さんの知るところではありませんが、朽ち果ててゆくその様は、老いの身には堪えます。
 
それでも、数日前の青空の中での団地の光景は、
「若いもんには、まだ負けん!」
と、カラ元気を出して立っているように見えました。わが心象風景と重なって見えたからでしょうか?
 
ここが更地になったら、団地に住んでいた人々は子ども時代の生活を思い起こす機縁を失くしてしまうんだなと、他人事ながら感傷的な気分になりました。2016年(平成28年)に閉校となってしまった我が母校(小学校)に対するさまざまな思い入れとオーバーラップしてしまいました。
 
管理会社にとっては、ある意味、時代に取り残された厄介なお荷物でしかなかったでしょう。そこに、住んだこともない者が余計な詮索や感情移入をするなど迷惑至極に違いありません。その通りなのですが、桜の命が惜しまれてなりませんでした。
 
ひょっとしたら、最後となる桜の花を咲かせてしまってから伐採しようという心遣いがあったのかもしれませんが、「毎年の心誘い」をしてくれた桜の切り株に感謝して帰りました。