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『Be Myself / 三浦大知』は日本のポップミュージック界に新風を吹かすか

こんにちは、クレスウェアの奥野賢太郎です。前回は、投稿のあとから数多くの応援をいただきまして、誠にありがとうございました。次はどういった内容にしようかと考えていたのですが、これだ!となる話題を発見をしたので紹介します。

それは、本日発売となった三浦大知氏のニューシングル "Be Myself" 。

私は残念ながら三浦大知氏の音楽をこれまで知らずにいたんですが、今回の "Be Myself" は、三浦氏の作品はこれが初である自分にとって、衝撃という言葉にふさわしい作品となっていました。

日本語歌曲での特有の事情

"Be Myself" の話をする前に、日本語で構成される歌曲について少し説明します。

もともと私は日本語の歌詞が耳に入ると、意識がそっちに持っていかれがちでした。そのため『ながら聴き』をするときは、インストゥルメンタル(ボーカルなし)の曲か、日本語以外の歌曲を好んで聴いていました。それはつまりJ-POPが嫌いなのかというと、別にそういう訳でもないんですが、日本語以外の曲―つまり洋楽―を好んでいたのには理由があります。

その理由とは、作曲家を生業としたこともある私としては、日本語での歌を聞いている最中に、メロディの制約を感じてしまうからです。

まず、日本語は母音が多く含まれる言語です。そのためJ-POPの歌詞は、日本語を使う以上「母音が多い歌詞」になってしまいます。一方で、英語は母音が少なく、さらに単語の連結で発音が変わっていく言語です。例えば、Rock and Rollはロケンローとなります。これを日本語で愚直に読むと「ロックアンドロール」となり、母音を取り出すと「オッウアンオオーウ」となります。

日本語は母音が多いことに加えて、少ない音素で伝えられる言葉のニュアンスがずいぶんと限られてしまう言語です。Richard Rodgers氏の"Shall We Dance?"を例にすると、"Shall We Dance?"という歌詞の中に「踊りませんか?」という意味が込められていますが、音としてはたったの3音です。同じあのメロディで「踊りませんか」と歌ってみると「お〜ど〜り〜」で終わってしまいます。誘えていませんね。

このように、限られた音素(あるいは、メロディ中の音符の数)の中で子音が多く歯切れのよい、音に意味をたくさん含められる英語と、母音が多く意味を伝えるにはたくさんの音を必要とする日本語では、そもそもの歌唱曲のつくりに違いが生まれてしまうのです。日本語で歌詞を優先して作曲をしていく場合、作曲家はたびたび「音符の置きすぎ」に頭を悩まされることになります。メロディとしては抜き差しが肝心…でも音を減らすと歌詞が収まりきらない…といったジレンマです。

90年代以降、J-POPに英語の歌詞が増えてきたのは、単に「かっこいいから」だけでなく、こういった事情も絡んでいると推測しています。

J-POPという枠からの脱却

そこで今回紹介したいのが "Be Myself" です。YouTubeのMusic Videoでは1:02からサビが始まりますが、ここまでの話を意識してそのサビをよく聴いてみてください。

日本語なのに、とても音が少ないんです。

1:36の "Be Myself" まで、一切の英語が出てきません。外来語すら含まない純然たる日本語。なのにメロディを構成する音の少なさ。

それでいて歌詞が意味を成しているのは当たり前ですが、なによりカ行、サ行、タ行、ザ行といった子音や濁音の織り交ぜ方が非常にハイセンス。明らかに「どこにどの子音を並べると気持ちよく聞こえるか」を設計した上で作られていると感じます。

これを譜面として見てみましょう。

※譜面は筆者が独自に採譜したもので、正確性の保証は致しかねます。楽曲の権利はavexならびに作詞作曲者に帰属します。

譜面があまり得意じゃない方でもここは気づいてほしい点として、休符の多さがあります。

先に述べたように、日本語では歌詞に言葉を詰めると、それだけ音が増えがちになります。さらに、カラオケでの歌い映え、テレビCMでの惹きつけの良さを重視するとどうなるか。

サビが始まるときに「さあ!ここからサビですよ!いいですかこれがサビです!どうぞサビを聞いてください!」と言わんばかりの音程跳躍、音の並びを駆使して「とてもドラマティックな旋律」を奏でることが実に多いんです。

これがもちろんいい効果を生む場面もあるし、日本の歌謡曲文化はこうやって変遷を経てきたわけですから、一概にそれを否定するものではありません。ですが、種類が増えるほどに「ああまたこれね」となってしまうことも十分有り得ます。このバランスはとても難しいと感じており、下手すると押し付けがましさに直結し、転落してしまう危うさを含んでいます。

それが、 "Be Myself" はこの音の少なさ = 休符の多さです。J-POPにありがちな「サビはかくあるべし」という枠にまったくとらわれていないんですね。

このサビのモチーフは『アウフタクト』という、前の小節の終わりから引っかかって始まるタイプのモチーフなのですが、それを過ぎてもサビの1小節目1・2拍目は堂々の休符。使っている音もミ、ファ#、ソ#のみ。この曲はサビで全然語らない、これぞ語らないかっこよさ!

SNS時代のCMタイアップ

SNSはすっかり市民権を得たメディアだと思います。CMも、テレビ向けだけでなくTwitterのために、YouTubeのために、尺や演出を工夫して撮られる時代となりました。

私がこの曲を知ったのも、何を隠そうTwitterの動画広告でして、サントリー社の新製品のものでした。炭酸飲料のタイアップとして選ばれたこの曲は、楽器の音といい声といい、炭酸のシュワシュワした雰囲気や爽快感と製品のイメージがよく合っています。三浦氏を存じ上げなかった私としても「ずいぶんとクールで炭酸っぽい曲やね」と思ったものです。

この新製品の関東での発売開始が8月21日で、タイアップとなった曲のリリースが8月22日なのは、まちがいなく意図的だと思いますが、いい商売をしているなと思いました。なんせ炭酸のことを知るだけでなく、このシングルもいいなと感じましたし、三浦氏のことも知ることができました。日本語の歌曲で配信を即購入したのは、宇多田ヒカル氏以来です。

また、上に掲載したように、Music VideoがほぼフルサイズでYouTubeに公式アップされている点も現代という気がします。むしろ公式が最初からじゃんじゃん聴けるようにして、それを聴いて、いいと感じるものに対して購入できる。クリエイターにとって面白い時代になったと感じます。

揉み手をさせない、カラオケからの殻破り

最後に楽曲全体のアレンジについて触れておきましょう。歌詞が日本の歌謡曲・J-POPらしくないのはすでに述べた通りですが、Aメロ、Bメロもかなり難解となっています。

『16ウラ』という16分音符単位の細かいリズムで構成された拍子感の薄いAメロから、『8ウラ』がひたすら続くBメロ、そして休符で余裕たっぷりのサビ。『揉み手』という、カラオケでよくある1拍目3拍目の手拍子を断固としてさせない、バックビートでしか刻ませないこのリズム感。日本国内でのカラオケランキングを重視せず、三浦氏にしか歌いこなせない難解かつ軽快なリズムは、これまでの曲たちとは違うんだという世界観を感じざるを得ません。

サウンドも斬新です。4拍で叩かれるクラップも無ければWobble Bassも響かない。昨今、散々J-POPに取り入れられたEDM的な要素は一切排除して、あえて言えば2017年以降のトレンドとなったTropical Houseのテンポ感や空気感が取り入れられています。シンセサイザーからは90年代や00年代のサウンドを感じる中で、ドラムだけが明らかに80年代サウンド。正確にはわかりませんが、たぶんLinn LM-1辺りでしょうか。新しいのに古い、古いのに新しい。絶妙なバランスです。

迎合しない創作、枠を壊していく自分らしさ

「自分らしさ」を意味するこの曲 "Be Myself" は、これまでのJ-POPでもなければ洋楽でもない。そんな音楽のジャンル分けを軽々と飛び越える、全世界に打って出られる「自分らしさの追求」が光っている作品です。このような作品が生まれるならば、日本のポップミュージックの未来もまだまだ明るい。こういった既存の枠を壊していく作品は、今後どんどん増えると予測しますし、それが今からとても楽しみです。

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