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【ノートルダムの鐘】少しだけ中身のこと

前回のブログを読み返していると
あまりに内容に触れない浅い話をしていたので
何の事だか自分でも分からなくなった。

だから少しだけ、中身のことを書いてみる。


15世紀末のパリを舞台に、ノートルダム大聖堂の鐘楼に住む男カジモド、その彼を密かに世話する大聖堂聖職者フロロー、同警備隊長フィーバス、そして、その3人が愛するジプシー娘エスメラルダが綾なす愛の物語―。今回の演出版では、ユゴーの原作がもつシリアスな印象を重要視し、人間誰もが抱える“明”と“暗”を繊細に描くことで、深く美しい人間ドラマに創り上げました。

実際に、「心に強く訴え、熱烈に感情を揺さぶる。素晴らしいパフォーマンスに促され、観客は喝采する」(バラエティ誌)、「強力で魅力的。愛と報復の物語に新鮮な深みを得る。圧倒的な喜び」(サンディエゴ・ユニオン・トリビューン)、など、国内批評家に好意的な印象を与えています。まさに“大人のための上質な演劇作品”と呼ぶことができるでしょう。

ノートルダムの鐘にヴィランはいない(と思う)

「どこに違いがあるのだろう、人間と怪物」

外見や知的が健常者とは違うカジモドと
それを取りまく人々。
もちろん、
怪物→カジモド、それ以外→人間 として
話が進んでいくわけだけど
フィナーレの演出で全てが覆る。
ハッとさせられズンと重たくなる原因はこれのせい。

ヴィランであるフロローは本当に悪者なのか?
彼だって誠実に、真面目に、聖職者として
生きてきたじゃないか。
カジモドの事を思い、人々の目に触れないよう、
あの年齢まで育て、心優しい青年にしたのは
紛れもなくフロローだ。
フロローが全部悪いのか?と聞かれた時に頷けない。
憎いしキモいけど別に全部フロローのせいじゃない。
ちなみに劇団四季でのフロローは、ディズニーのように
根っからの悪者ではないんだ。
だから100%の心で憎めない。
彼は何も知らずに生きてきてしまっただけなんだよな。本当にキモいけど。

フィーバスは本当にプリンスか?
戦地から帰還し
PTSDに悩まされる描写と表情は痛々しい。
あれほど勇ましい兵隊だったのに
エスメラルダのために職を捨てる、あの全てを投げ打つ場面はグゥ〜となる。

エスメラルダは男勝りで凛々しい立ち振る舞いだが
''神よ 弱き者を救いたまえ''の切ない歌声からは
住む家もないジプシーの悲痛な叫びが聴こえる。
カジモドの前では明るいのに
フィーバスの前では儚く弱々しいんだ。
そのカジモドに見せる明るさのせいだ、こんなことになったのは。

では、カジモドは?
名前の由来は''出来損ない''
その見た目のせいで大聖堂の屋根裏に隠されて
石や小鳥と話をしながらここまで生きてきた。
外の世界に出て、人々から罵られ、エスメラルダに恋をした。
ここまで聞くと1番の被害者はもちろんカジモドで、
可哀想なのだけど、
唯一の理解者であったフロローを最後に投げ飛ばしたのは彼自身だ。

誰が悪いか?誰が怪物か?誰が人間か?なんて
答えられないし、そんなに重要じゃない。
答えが分からないフィナーレだから切なくなる。

魂で演じるキャストの皆さまに脱帽

前のブログでもちょっと言及したけど
カジモドが、本当にカジモドなんだ。
もう、目を背けたくなるくらいには。

一人の青年が錘を背負い、
布をかぶせられ、
腰と頭を曲げ、
髪をぐしゃぐしゃにし、
顔に墨を塗る。

そうしてカジモドが出来上がった時、
なんか、「うわあ…」って。
見ていられないのに、見てしまう。
この瞬間自分自身も怪物だと思わされてしまう。そんな感じ。

''陽差しの中''という曲で
カジモドは障害者の声と、そうでない声を
使い分けて歌う。圧巻。
そんな体勢で、どこからどうして声を出しているの?
瞬きしてる暇なんてない。

そういった、所謂、カジモドが持つ障害者っぽさが
1番濃く出ているのが飯田達郎さん演じるカジモド。
カジモドそれぞれ、公演ごとに全く印象が違うんだよ。
サラリと演じてみせる人もいれば
幼く、甘えん坊っぽいカジモドもいる。
誰が良くて誰が悪いなんて無いけど
私は飯田カジに1番感情移入できた。

低予算で面白いB級映画が好きな私は

派手に回転したり、何か落ちてきたり
照明がピカピカ〜ってするわけでもなく
地味な小道具(小声)が、
ある時には大聖堂の柵になったり、
ある時には橋になったり。
ほぼキャストの演技力と見せ方に委ねている所に惹かれる。

人間の持つ本当の恐ろしさで怖がらせてくる、
そんな海外のB級ホラー映画ってあるじゃないですか。
あれを観てる時の感覚に似てる。
アナ雪やオペラ座を観た後だと余計にそう思う。

エルサが舞台を凍らせるシーンや、
シャンデリアがガシャンと落ちてくる、
あの感動とは全くの別物。

生身の人間が、たった2-30人かそこらで
目の前でありったけの表現している、
そんな空間が好き。


だから、ストーリー展開の早さや
人の心の移り変わりに疑問を抱いてしまったり
演技くさいと思ってしまう人は
もしかしたら合わないのかもしれない。

というか、好き嫌いがめっちゃ分かれるんだと思う。
華やかさはゼロだ。

それでも日本でこれだけヒットしている
ノートルダムの鐘は
日本人の抱える心の闇に
パンチラインをクリティカルヒットさせているんだろうな…実際オペラ座の怪人よりもチケット取りにくいもん。

休みのたびに舞台を観に行くほどハマっているけれど
ノートルダムの鐘を超える作品には出会えるのだろうか。いつかは出会えるんだろうな。楽しみだな。

4/9には京都公演が終わってしまう。
ノートルダムの鐘ロスは確定している。
本当に寂しい。メンヘラになってしまう。

メンヘラにならないように、今は5月から始まる東京公演に向けて一緒に観に行ってくれる人を探している💸

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