服を愛してるのか、自分を愛してるのか。

「ねねちゃんはほんまに、洋服が好きなんだね」と言ってもらえることが増えた。ほんっとうに嬉しいのだが、果たして私は本当に服が好きなんだろうか。「服を着ている自分」が好きなんだろうか。

ブランドへのこだわりも無ければ、価格帯も気にしない。自分が洋服屋さんで働いていなければ、もしかしたら「ファストファッションでも可愛けりゃ良いやん」と思ってしまうかもしれない。なんて口が裂けても言えないからここに書いてる。(そんな世界線、今じゃ考えられないが)

小さい頃からとにかく目立ちたい性格だったので、何かしらで自分を表現することが好きだった。手段はなんでも良くて、例えばピアノのコンクールに出たり、習字が飾られたり、みんなの前で側転したり。
出来ればピアノで目立ち続けたかったけど、家でこもってずっと練習しなきゃいけないという自分との勝負と、ピアノが上手い猛者たちに負けて「じゃあ、どうやって自己表現すっかな〜。顔は可愛く無いしな〜。鈍臭いしな〜。なんかカバーできるもんないかなあ〜。」という感じで行き着いたのが洋服の力を借りて着飾るという事だったんだろう。(今別に目立ってもいないし何者でも無いということは分かっているのでどうか目を瞑ってください。)

私が絶世の美女だったら洋服屋にはなっていないしこんな格好していない。白Tにチノパンで自分の良さが最大限に活かされるならそれが良い。(もちろんシャネルのバッグは持ちたい)。でもそうじゃない?服を好きになる動機なんて、モテたいとか、誰かによく思われたいとか、そういう対人関係ありきやん。

だから別に「服ってより自分が好きなのかもなあ」というスタンスを悪いとは感じていない。好きな自分になるための手段が服なんだから。旦那に言わせてみれば「服屋なんてみんなナルシスト」とのこと。じゃないとやってられないか、確かにそうやんな。あのシャイで口下手な旦那もナルシストなんだと思うと心強い。こんなに自分に似合う服を見つけられたのも旦那のおかげだ。

そんな話はおいといて

私が変わった服装を好むのは「そうでもしなきゃ自分がよく見えない」からであって全てはコンプレックスから生まれている。でもそんな自分が大好きだ。ネガティブ思考強めで感情に揺さぶられてしまうメンヘラ体質だけど、自分のことが大好きで、何より自分を愛してる。とにかく目立ちたい性格、というよりかは自己愛の強いナルシストの極みなんだろうか。まあいいか。こういう性格の自分もまた趣があって良い。
そんな話をするときっと母は「怖い」と言いながら笑ってくれるだろう。

明日も自分を好きでいられる服を着よう。
皆さんも是非そうしてください。おやすみ。

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