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シャニアニとは何か、シャニマスとは何か【シャニアニネタバレ感想】

アニメ『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の感想です。本編のネタバレを含みます。ポジティブ多め。ネガティブ少々。





はじめに

1月5日、シャニアニ第3章を劇場で鑑賞しました。公開後、インターネット上では様々な感想が飛び交っています。折角なので自分も感想を言語化したいと思い、筆を執りました。
自分は楽曲のオタクなので、良くも悪くもアニメの内容について特に期待はしておらず、「どんな新曲が聴けるのかな?」くらいの感覚でした。言うなれば、レストランへ何も考えずに行って、「おまかせ」を無理やり注文する人でした。とりあえず出されたものをいただきたい。実際は、1品だけどうしても食べたいメニューがありましたが。

映像面

・3Dモデル

特にこだわりがない門外漢ということもあり、自分はあまり気になりませんでした。予算都合や技術的障壁といった事情を愚推してしまうタイプなので、ハードル低めだったのも影響しています。

ライブシーンにおけるキャラ特有の動きの描写は、素人目でもこだわりを感じ取れて良かったです。果穂の元気な動きと、甜花の甜花感100点の動きがとても好きです。

・背景等

光の描写が良かったです。作中には様々な時間帯の空のシーンがありましたが、自分のお気に入りは夕方です。特に、事務所に差し込む西日がとても綺麗でした。

空の描写で思い出す作品は『AIR』で、絵の具をぶちまけたような青やオレンジの空が好きでした。『AIR』では空そのものの色彩を気に入っていましたが、シャニアニでは空と混ざり合う光を好きになりました。

シナリオ面

・1~5話

好意的に評価しています。キャラひとりひとりの掘り下げを各ユニット1話で収めるのは難しいと予想していたので、限られた尺の中で手を尽くしていたと思います。アンティーカが人気になった所以、放クラの地域密着度合、アルストの優しさ等、当たり前のようにあった共通認識が視えるようになったのは面白かったです。イルミネ回は、無為にオリジナル要素に走らず、enza版をベースに話が作られていて良かったです。

・6~8話

W.I.N.G.の扱いについてはこれで良かったと思います。シャニアニで最終的に描きたいのはユニット単位や個人の話ではなく、W.I.N.G.はあくまでも通過点に過ぎないのだなと。

W.I.N.G.後にあったユニット間の描写は、他愛のないものでした。何かしらの起承転結を観たかった気持ちもありますが、これはこれで良さを感じられました。他愛のないやり取りを知らな過ぎたので。

・9~12話

『ツバサグラビティ』と『Spread the Wings!!』の歌詞解釈や練習風景に多くの尺を割いていました。アイドルアニメ的にはかなり地味な描写ですが、1stライブの準備段階を愚直に描こうとするからこそ出てきたものだと思います。自分はこの試みを評価したいです。ただ当然、間延びしているという批評は避けられないと思います。

真乃がセンターを引き受けるくだりについては、アニメの情報だけでは必然性が無かった気がします。自分の中では「史実に基づき勝手に補完されていた」のが実情でした……。予備知識が無い方が観ると、疑問符が浮かぶ内容だったはずです。具体的な根拠となる描写があったほうが良かったと思います。

ライブシーンについては満足です。『太陽キッス』のところで少しウルっとしました。果穂がすごく良かったです。6thライブで観たい初期曲の筆頭は『太陽キッス』かもしれません。あと、舞台裏のシーンから「ライブを描き切るぞ」という強い姿勢を感じました。アイドルアニメでそういった着眼点の描写を観たことが無かったので新鮮でした。良かったです。

音楽面

・BGM

曲単体は悪くないと感じましたが、作品全体を広い視野で捉えた時、ピアノ曲ばかりで単調気味という不満は出ても仕方ないと思います。自分としては、EDに本編と同じBGMを使用していた点が、先行上映用とはいえ少し気になりました(本放送時はED無しと予想しています)。本放送に影響はないものの、「くどい」というマイナスの印象になりかねないので。少し損している気がしました。

・新曲

アニメ化決定段階では、他のアイマスシリーズアニメ作品同様に新曲のオンパレードだろうと思っていたので、想定外の結果に。新曲祭りはアニメ化の醍醐味みたいなところがあるので、ちょっと残念でした。ただ、第2章の終盤で、1stライブを描き切るという覚悟を制作側から感じたので、「これは新曲が入る余地は無いだろう」と気持ちを整理し、受け容れることができました。

・・・とは言ったものの、『想像のつばさ』が行方不明になってしまった点についてはモヤモヤしています。何と言っても、自分がレストラン「シャニアニ」で絶対に食べたかったメニューだからです。1話でいい匂いを嗅いで終了しました。あんなに良い曲なのに……
5thライブでティザーPVが流れてすぐこの曲に惚れ込み、世界中の誰よりもPVを観、曲に対する想いを馳せてきた自負があります。実際、1話で真乃が鼻歌でこの曲をハミングし始めた時、涙が流れ、心臓が止まるかと思いました。エンドロールで曲名も明らかになり、「もしかして重要な曲なのか???」と期待が高まりました。想像ですが、この曲は真乃が鼻歌で作ったものだと思います。なので、「シャニアニの中で正式に『想像のつばさ』を完成させ、最終的に全員で歌う」みたいな妄想を1話時点ではしていましたが、夢のまた夢でした。結局、この曲が日の目を見ることはなく、自分は"無"に放り出されてしまいました。ティザーPVで流れていた完成形は何処へ行ってしまったのか? 音源はいつ/どうやって流通するのか? 今も気が気ではありません。

誰よりも観たPV。とても好きな曲です。
個人的には『夜明けのベルが鳴る』を彷彿とさせます。

総括

・前提

賛否両論あって然るべきです。各人が抱いた感想は絶対的なものであり、本稿にそれらを否定する意図はありません。

・シャニアニとは何か

アニメ化発表から先行上映までの期間に「期待するシャニアニ像」を具体的に描けていた方ほど、公開後の"否"の感情が大きいと思います(勝手な想像で恐縮です)。特に、以下の内容についての期待は大きかったと思います。

①シナリオ
6年弱もの間、様々なコミュが実装されました。従来のアイドルマスターどころか普通のアイドルものでは考えられない後ろ向きなシーンもたくさんありました。そうやって、印象深いシナリオの数々を味わってきました。
これだけ重厚なシナリオを読んでいれば、それらがアニメ化されるのを期待するのは至極自然なことだと思います。

②キャラクター個別の掘り下げ・描写
個人単位でもコミュが多数あり、ユーザー側は長い月日をかけてキャラクターを深堀りしています。その過程で思い入れがどんどん増していくのは必至であり、アニメで具体的な描写が望まれるのも必然です。

シャニアニにおいて①②の要素が薄くなるのは、シャニアニがenza版の補完的な位置付けになることに起因すると思います。シャニアニで描きたかった要素は、enza版では描きづらい、他愛のない会話や心の機微だったのではないでしょうか。

裏を返せば、史実の重要な部分はenza版に委ねたのかもしれません。重要シナリオをアニメ化して中途半端な出来だったら、それこそ目も当てられません。重要シナリオのアニメ化は期待されるところではありますが、限られた話数の中にそれらを余すことなく落とし込み、かつユニットやキャラの掘り下げ、ライブ回も盛り込んでいこうとすると、とても1クールでは足りないですし、2クールあっても怪しいと思います。だからこそ、シャニアニは、表情・音楽・映像にこだわり、従来のアイドルアニメらしからぬ描写に特化していったのだと考えます(そのこだわりの良し悪しは別問題です)。主要コミュの一部が本歌取りのような形で登場したのは、enza版へのリスペクトかもしれません。また、第3章のパンフで高山プロデューサーが「1話を観た時、実写映画のように感じた」という趣旨の発言をされていますが、自分はこの発言でシャニアニに抱いていた感情が腑に落ちました。確かに、心の機微を表現しやすいフォーマットは、アニメよりも実写映画です。

結局のところ、制作側のやりたい内容と視聴者が期待する内容がマッチするとは限りません。これが賛否両論を生んでいる要因だと考えられます。あらかじめ「1stライブの過程を描いたアニメです」と銘打っていれば、世間の評価はまた違ったかもしれません。自分はある種「どんとこい」の精神だったので、シャニアニを比較的スムーズに受け容れられたのだと思います。

以上を踏まえると、シャニアニとは「enza版のアニメ化作品ではなく、1stライブを軸としたenza版の補完的作品」というところに落ち着きます。良い点もそうじゃない点もありますが、自分個人としてはトータルでプラスに評価しています。しかし、enza版の補完的作品である以上、新規の方には親しみにくい作品だと思います。

第3章の最後の最後に、ストレイライトとノクチルの描写がありました。追加ユニットを交えて続編が製作される場合、enza版のシナリオに触れないのは流石にナンセンスだと思います。いずれも物語性が強いユニットです。今ここで、願いを込めておきます。

・シャニマスとは何か

シャニアニに立ちはだかった最大の壁は、奇しくもシャニマスだったと思います。まもなく6年目に突入するシャニマスは、大きな存在になっていました。シャニアニは、シャニマスを大事にしようとすればするほど、逆にシャニマスから距離を置かざるを得なかったのではないでしょうか。

シャニマスはもう、様々な人々の心に"あります"。人の数だけシャニマスがあると思います。コミュを読む人、曲を聴く人、ライブに行く人、グレフェスをやる人、シャニソンをやる人、二次創作をする人……。その形は様々ですが、それぞれがシャニマスと向き合った結果であり、確固たる存在です。だからこそ、「シャニマスのアニメ化作品」という目線でシャニアニを観た時、ズレが生じるのは必然だと思います。愛ゆえのすれ違いです。

現状、自分自身の感情に苛まれています。全てのシャニマスファンが手放しで喜べるようなシャニアニを観たかった気持ちも、1stライブを愚直に描いていったこのシャニアニを大切にしたい気持ちも、自分の想いとして確かに存在しているからです。

シャニマス絡みで複雑な感情を抱くのは、5thライブDay1の演出以来です。あの演出については当時受け容れることができましたが、それは自分が幸運にもDay1、Day2の両方を現地で鑑賞できたからであり、Day2のチケットを握れていなかったならばマイナス評価でもおかしくなかったと思います。

シャニマスから刺激を供給され、感情を動かされることを期待している自分がいます。5thライブDay1の時に抱いた感情も、シャニアニを鑑賞して生まれたこの文章も、自分がシャニマスと向き合って生まれたひとつの成果物です。自分にとってシャニマスとは何なのかといえば、「コンテンツを通じた自分自身との対話」なのかもしれません。そして自分は、自分が思っている以上に『アイドルマスター シャイニーカラーズ』というコンテンツが好きなのかもしれません。


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