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TRPG設定小説(冒険都市Z HO1)

※この小説は、新クトゥルフ神話TRPGシナリオ「冒涜都市Z~深碧の魔境~」のハンドアウト1 のキャラクター設定用に書いたものです。
※本編のネタバレは含まれていません。






 ケイ・スミス氏について私が知っていることは、典型的なケルト系の顔立ちに大きな痣があることと、爆音のような怒鳴り声を上げることだ。彼は私が勤める新聞社をよく訪問していた。個人としては珍しくタイプライトされた原稿を持ち、デスクの編成とよく口論になっていた。口論の内容は主に自分の原稿の扱いが軽いとか掲載料が安いだとかいうスミス氏からの文句で、編成の同僚は酸いビールを飲んだような顔で彼をたしなめていた。それから共和党政権の批判や太平洋外交論など政治の話をしたかと思えば、何番街の中国人は不法移民だとか、フォードは素晴らしいがゼネラルモーターはダメだとか捲し立てた後、さっさと帰っていく。彼が帰ると社内が静かだ。同僚のため息が大きく響く。内勤志望で編成に異動してきた男だが、こんな目に遭うとは思ってなかっただろう。ちらと机を見ると、そこには『密林探検録』の印字の横に、筆記体でケイ・スミスと手書きしてあった。同僚は原稿を横に退け、アーサー・フェイブルの記事を巻頭に配置しようと調整を始めていた。

 1926年のある時から、スミス氏の来訪が無くなった。同僚は表情から晴れやかだったが、私は気になった。
 彼が新聞社で怒鳴る時、そこにはある種の切実さがあった。それは報道としてのわが社の姿勢を問うものだった。彼は広告ばかり増す昨今の新聞の不道徳を嘆き、職業倫理を我々に説こうとしていた。受付や編成はうんざりした顔を隠さなかったが、私は内心落ち着かなかった。私が新聞記者を志したのは、報道の使命に憧れたからだった。シカゴの政治と移民の癒着、行政の腐敗を見て育った私は、報道の社会正義をいみじくも信じていた。しかし彼の説得は廃教会の鐘楼と同じく、高らかに鳴るが誰の耳にも届かなかった。ただ1人私を除いて。
 彼が来なくなってから、彼の身辺を調査し始めた。彼の探検録は読んでいるが、もっと人となりが知りたかった。彼の文章は極めて抒情的で、時には冒険への陶酔ともとれる筆致がある一方で、密林の植生や原住民の生活の描写は徹底的な観察に基づいて冷静であり、そのアンバランスさが気になった。まるで彼の中に2人の人間がいて、椅子を奪い合いながらタイプしているようだ。

「スミスさんは丁寧な人よ。私は好感が持てるわね」
 彼の入居するアパートメントの大家は快く取材に応じてくれた。教会に程近く、高くはないが小綺麗なアパートだ。
「ジャングルを冒険する探検家なんて聞いて、初めはひどく心配したわ。断ろうとも思ったけど、元軍人さんってわかったら、何か応援したくなってね。ほら彼、顔に傷あるでしょ。きっとフィリピンか何かでゲリラにやられたと思うのよ。私の姉の夫も軍人だったんだけど、30年前にメイン号で、ね。祖父も軍人で南北戦争を戦ってるから、どうも弱くて…。彼もきっと辛かったと思うわ。私はアパートの正面で花屋もしてるんだけど、彼が時々買いに来て世間話をするのよ。それで今の話をしたら、彼は涙を流してくれてね。嬉しかったわ。『皆さん神の御国でとても安らかにおりますよ』と手を握ってくれた。その喋り方が凄く耳に染みるから、聞いたら牧師さんの息子なんですって。納得よね。私もプロテスタントだけど、今どきあんな人珍しいわよ。あんな人っていうのは、敬虔ってことですよ。どうも最近は消費だ消費だって世間が浮かれてるけど、彼は嘆いていたわね。マックスなんとかって人の本の話もされたけど、わからなかったわ。私は新聞の広告結構好きなんだもの。彼は毛嫌いしてたけど。あ、記者さんにこんなこと言っちゃいけませんね。アーサー大佐の記事は好きでいつも読んでますからご安心ください。
 そういえば、彼が取り乱すところを見たことがあるのよ。普段凄く紳士で落ち着いてるから意外だったわ。ここに住むようになってから、彼は毎年7月の中頃にバラを買うのよ。でもある時切らしてしまってね。何も知らない彼がうちに買いに来て、無いって言った時の彼の顔といったら。凄く青ざめて落ち着きがなくなって、本当に? 一本も? って聞いてくるんですよ。本当に無いですって伝えると、彼は肩をガックリ落として家に帰って行ったの。その時の彼、何か呟いていたから耳を澄ませると、小さく『ごめんなさい、ごめんなさい』って繰り返してたんですよ。
 …え? 彼の知人? うーん、思い当たらないわね。人付き合いの盛んな人じゃなさそうだったし。でも所属していた軍基地はわかるわ。⚫︎⚫︎です。もしかしたらそっちの出身かもしれませんね。訛りは北部風だったけど」



「ケイとは同期入隊だった。勤勉な男だったよ」
 ⚫︎⚫︎基地に取材を申し込むと断られた。国威昂揚のための取材ならいくらでも受けてくれるが、退役済みの人間についての聞き取りは門前払いらしい。基地周辺の街で聞き込みをしていると、幸運にも酒場の店主が元軍人で、スミス氏の同期だった。
「正直なことを言うと、始めはちょっと馬鹿にしてたんだ。あの名前で、ブロンドの癖毛で、当時はまだ細かったから、キャサリンってからかわれてた。俺たちは米国艦隊世界一周を見て入隊した世代だからさ、我が軍は強くて世界一の大海軍っていう逞しい印象が強いんだ。ケイは馴染んでなかったな、初めの頃は。それからすぐ、あいつは実力で俺たちを黙らせた。学科も実技も成績優秀で、身体もすぐに鍛え上げた。あいつが寝てるとこ見たことある奴いないんじゃないかな。そのぐらい勉強してたな、うん。そんで結構喋れるんだ。でも時々怒りだす。宗教の話と野球の話はケイにはNGだった。サイ・ヤングの悪口を言った同期が、陰でボコボコにされてるのを見たことがある。あ、これは記事にはしないでくれ。
 真面目かと思えば活発で、陽気かと思えば短気な奴だった。でも優秀は優秀だから、1番に出世するだろうと思ってた。きっと本人もそう思ってただろうよ。だけど不運だよな。俺たちの代には彼がいたんだよ。お前ももちろん知ってるだろう? アーサーだよ。アーサー・フェイブル。
 実はあいつら同郷でさ、よくつるんでたよ。アーサーは言葉も行動も変なときあったけど、成績にかけちゃケイより頭1つ上だったな。凄えよなあ。今あいつの記事読むと俺は嬉しいんだ。アーサー大佐閣下だぜ。俺は欧州の戦争で足をやっちまったから退役したけど、それでもアーサーやケイと一緒に戦った日を今でも覚えてるよ。良い奴らだよ、2人とも本当に。
 だからケイが辞めた時は本当に辛かった。徹夜で引き留めたけどあいつは聞かなかった。
 ああ、ここからは記事にしないと約束してくれ。これを書くと俺までケイに怒られちまう。いいか? 書いたらパナマに送るからな。本気だぞ。
 欧州の戦争で、俺は別部隊だったが、先に昇進したアーサーが指揮して作戦を展開してたんだ。ケイはアーサーの下さ。本人は気にしないって言ってたけど、バレバレだったね。信じられないくらい気にしてた。あいつは嘘が下手なんだ。だって考えてみろ。ずっと一緒だった幼馴染が先に隊長で、誰よりも努力する男は頭の固い二番手呼ばわりだ。頭の固いってのは事実だが、ケイの動揺は皆んな知ってた。あいつは賢いから、そう思われてることも気づいてて、焦ってた。だからあの作戦で何としても手柄を取りたかったんだろうな。その部隊の奴から聞いた話だが、ドイツ野郎の塹壕を2,3個潰して帰投するはずが、斥候の報告にない別働隊にアーサーたちは囲まれた。アーサーは撤退を命じたよ。出し抜かれたことは失態だがそれは斥候含めて情勢を立て直す必要があるから、生きて帰ることを優先させた。でもケイは違った。別働隊を殲滅させることを主張した。普段なら上官に絶対歯向かわない男なんだが、アーサーだから言ったんだろう。アーサーも殴ればいいのに、説得しようと試みた。別働隊の包囲網が迫る中、結局ケイは賛同する隊員何人かを連れて強引に奇襲に出た。結果? 失敗だよ。正直、生きて帰ってきたのが不思議なくらいだ。奇跡的に死者がいなかったのは、アーサーの手腕だろうな。
 …顔の痣? ああ違う。ケイの顔はこの時のものじゃない。この後の話だ。
 アーサー部隊の失敗は問題視されたが、アイツは「自分の誤った命令のせいだ」と一貫して部下を守った。隊員はケイの独断専行を証言しようとしたが、アーサーがそれをさせなかった。これについては賛否両論だな。敵部隊は敗残の少数隊で、撃破できるかどうかの判断は難しかったらしい。ケイの言い分も一理ある。だが結局ケイを止めきれなかった責任がアーサーにあるのも指揮官の務めだ。俺は美談ではなく、軍の規律としてアーサーが責任を負うのは然るべきだと思うよ。
 だが、この判定で1番やるせなかったのはケイだ。あいつは岩盤で出来てる石頭の真面目男だからな。自分が悪い、自分のせいだ、って喚き散らしてアーサーにくってかかった。フレデリックもベンも死にかけたのに、何で俺はお咎めなしなんだ、おかしいだろ、って。アーサーは宥めたけど聞かなかった。正直、俺がケイなら同じことを言うと思う。なんか他にも呟いてたが、思い出せないな。それで、言い合ってるうちは良かったんだが、次第に取っ組み合いの大喧嘩になった。周囲は止めに入ったが、実技No.1とNo.2の大喧嘩だ。下手に手を出せばこっちが怪我するような激しさで、それに。…それに、なんていうか、ケイの気持ちもアーサーの気持ちも皆わかってたから、殴り合いで気持ちの整理がつけば、って思ってた。だが、組み合った2人の上に、ぶつかった衝撃で棚の上のカンテラが落ちて…。…すまない。辛いんだ。いや、話す、話すよ。ケイのことを聞きに来る奴なんてお前が初めてなんだ。あいつは元気にしてるのか、後で聞かせてくれ。
 それで、カンテラがケイの顔面を直撃した。ガラスが散って、あいつの顔を炎が覆った。悲鳴を上げるケイに、周囲もアーサーも慌てて、幸い近くに水桶があったからすぐに火は消せたんだが、ひどい火傷になってたからすぐに救護隊に搬送されていったよ。アーサーはひどく焦って付き添った。あんなに青ざめたアーサーも初めて見たな。だが俺は、見たんだ。誰に言っても信じてもらえないんだが、搬送される時、ケイは笑っていた。火傷の痛みに両手で顔を覆いながら、フッと笑ってたんだよ。それからすぐに戦争が終わって、ケイは軍隊を辞めた。あの喧嘩を兵卒から下士官への反抗としてチクったバカがいてな、その責任を取るってことらしい。馬鹿らしくて、ケイを説得しにいったが、無駄だった。あいつはミイラ男みたいに包帯巻かれた顔で表情はよくわからなかったが、どこか気分は良さそうに見えた。軍を辞めて何をするんだ、と聞いても答えなかったし、故郷に帰るのか、と聞いたら『故郷には帰らない』って言ってたな。あいつとアーサーは◼︎◼︎の出身だから、帰っても仕事がないのかもしれないなと思った。俺がケイと話したのはそれが最後だ。
 ああ思い出した。ケイがアーサーと喧嘩する前に呟いてたこと。あいつ、『罪には罰が、罰が必要なんだ』って言ってたんだよ。らしいよな」



「あの子達のことはよく覚えていますよ。優秀な子たちでした」
 老爺は遠くを見つめながらそう言った。目線の先には30年前の光景が浮かんでいるのだろう。長い時間をかけて◼︎◼︎まで辿り着き、宿でスミス氏の名前を出すと、実家の教会ではなく元教師の家を案内された。理由を聞いても答えてくれず、彼に聞けばわかると言われた。
「エクターはピューリタンの教義が服を着て歩いているような人でしたから、ケイに対してもとても厳しかったんですよ。ん? ああ、彼の父親ですよ。教会の牧師だったんです。私はここで教師を50年していますけど、ケイとアーサーはその中でも五指に入る才能を持っていました。ケイはまあよく勉強する子で、ラテン語もギリシア語も幾何も歴史もよく出来ていましたねえ。私はリンカーンの演説を聞いたことがあるのが自慢なんですが、彼らはリンカーンのように立派になると信じていました。ちょうどワシントンから1世紀のときに生まれた子ですからね。ジャクソンのときの西部の人たちの気持ちがわかるような気がしました。
 ただ、彼らの少年時代は私のときと比べると可哀想ですね。私は1846年生まれなのですが、その時代はゴールドラッシュでした。なんだか、どんどん世界が広がっていくような感覚を覚えてますよ。おじは捕鯨船に乗って、東洋のお土産をくれました。変わった衣服でね、上と下の区別がないんですよ。キモノって言ったかな。でも、ケイたちの頃は激変期でしょう。たしかに景気は良くなったけど、人は出稼ぎに出るし、移民は来るし、農作物は下落するし。あなたシカゴの生まれなら、万博は行きました? あ、まだ生まれてなかったんですか。私は行きましたよ、感動しました。けどターナー先生の話には隔世の感がありましたね。もうゴールドラッシュはない、フロンティアの時代は幕を閉じるみたいに言われてね。全然知らない国に来てしまったような気がしました。
 何の話でしたか。そうそう、ケイですね。彼は優秀でしたが、可哀想な子でもありました。エクターはケイが誰かに劣ることを許さなかった。一度雪の日に、ケイが家の外に立たされているのを見たことがあります。慌てて駆け寄るとエクターが出てきて、『神の国に行くためです』と私を牽制する。ケイもケイで、両親を心から尊敬していました。だから私にできることは、家の裏の雑木林を彼らの遊び場として開放することくらいでした。そこで、ケイとアーサーは出会ったのです。
 ケイは物語が好きな子供でした。自分のルーツのケルトの神話、北欧神話を愛し、神と自然と人の対話を信じ、神秘的な力に憧れる子でした。一方で、ベルヌやウェルズなどの小説が大好きでした。それらは彼に未知への好奇心と探検心、観察眼を授けましたが、エクターはそれを良しとしなかった。彼は自由な探検家ではなく、勤勉な労働者として奉仕する息子を作りたかったのです。特にウェルズはイギリス人だから嫌いだったようで、ケイの折檻の理由になりました。彼が父親の監視を逃れ、どうにか林の中でこっそりと『透明人間』とか『月世界へ行く』とかを読んでいるとき、同じ趣味を持つアーサーがケイに話しかけました。その頃はアイルランドとか東欧とかの移民の子が多く、エクターが彼らを毛嫌いしていたし、英語が読めない子も多かった中、アーサーはケイにとって初めてできた友達でした。いや、友達はいたのですが、学校でのケイはなんというか、目立ちたがりというか独善的というか、とにかく親の生き写しのようになりつつありました。教義を説いて罵倒したり、自分より成績が劣る子にきつくあたったりとかね。私も仲裁に入るのですが、ケイの取り巻きのような子もいて、うまく出来なかったのは今でも反省しています。今思えば、彼の家は比較的お金がありましたから、だから小説やお菓子なんかもあって、それらが目当てだったのかもしれません。彼らが陰でケイを女の名前と揶揄していたのを聞いたことがあります。そんな中で出会ったアーサーは、初めてケイが同じ目線で話ができる相手だったのでしょう。彼らは意気投合し、私の裏庭を飛び出て冒険に出かけました。ケイはアロナックス教授で、アーサーはコンセイユです。時には逆だったり、コロンブス役だったり、神通力を使う神々だったりしたこともありました。池を太平洋に、丘をエベレストに見立てて、小さな探検隊は幾つもの死地を乗り越えて行きました。
 これでアーサーが普通の子どもだったのなら、ケイにとってどれほど幸福だったでしょうか。悲しいかな、アーサーはケイ以上の神童でした。ラテン語もギリシア語も幾何も歴史も、ケイの一つ先を行っていました。そして、そのことがケイを辛い目に遭わせました。エクターは2番で帰ってくる息子を許せず、ひどい折檻を浴びせました。ケイもそれを自らの怠慢として認めていました。どうあっても、父を愛していたのです。
 ある時、アーサーが1人で雑木林にいるときに、『今日は相棒はいないのかい?』と尋ねると、つまらなそうに『うん』と頷いていました。後から聞くと、ケイはエクターの誕生日を忘れ、アーサーと遊んでいたらしいのです。父の誕生日にはバラを持って祝う家のしきたりを無視したということで、ケイは外出を禁じられていたとのことです。しかし、子どもは逞しいですね。何週間かすると2人で一緒に遊んでいる姿を見ました。ただ、また何日かするとアーサーだけが遊んでいる。そんな繰り返しでした。
 だから、2人が◼︎◼︎を出ると聞いた時は、正直ホッとしました。私は彼らに『辛い時は帰ってきてもいいが、君らはどこに行ってもいいんだぞ』と告げました。2人とも元気な返事をくれましたが、ケイの顔がどこか曇っていたのは今でも覚えています。
 それから何年かして、2人が軍隊で活躍していると聞きました。かねてより息子の入隊を希望していたエクターも嬉しそうでした。エクターは私より10歳以上若いですが、彼は国粋主義的で、息子が軍人として他国に米国の威信を見せるのが痛快なようです。だからこそ、ケイが軍を辞めたと聞いた時の落胆と怒りは相当なもので、あろうことか彼を勘当しました。私はこっそりケイに「帰ってこなくていい」と手紙を書いていましたが、返事は来ていません。ただ、今日まで彼が帰ってきていないことを見ると、届いていたのだと信じています。これが、私の知るケイの全てです。
 新聞記者さんと仰いましたか。アーサーの記事は常に読んでいます。彼の活躍には心躍り胸が熱くなります。多くの国民も同じ感情を抱いていることにも誇らしい気持ちです。ただ、ケイの記事が最近少なくありませんか? 一時期はケイの探検記がよく載っていましたが、近頃はあまり見ません。ここの皆んなもアーサーの話はしますが、ケイの話をする人は少ない。彼の冒険もそこの棚に全て保存してあります。彼は元気なのですか? もし彼に会うことがあるなら、続きを待望する読者がここにいると、是非伝えてください。君の冒険は始まったばかりなのです。私の人生も残りわずかですが、最後まで君の冒険を楽しみにしていると、どうか彼に伝えてください。お願いします」

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