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彫刻展であったちょっと残念なことと、多様性について

GWですね。みなさまはどうお過ごしでしょうか。先日、上野の東京都美術館の日彫展というのに行ってきました。毎年この時期にあって、数年前に知ってからできたら毎年行きたいなと思うものです。
これは彫刻の公募展で、いろいろなサイズの彫刻、若手からベテランまで、またU-20(未成年)作品も展示しています。特に下の階は上階まで吹き抜けになっており、彫刻作品を展示するにはとてもいいスペースだと思っています。
彫刻はあまり馴染みがないかもしれませんが、フランス語の先生によると、フランスでは「絵画」とは別な独立した一分野と捉えられているようです。ヨーロッパでは昔から教会などにびっしりと彫刻がついていますから、馴染みも伝統もあるのかもしれません。日本だと真っ先に思いつくのは仏像でしょうか。日本ではしかし、美大で彫刻科を廃するような動きもあると聞きました。たしかにコツコツと彫る、というのは今のスピード社会の真逆のような気はしますが、ぜひ日本での彫刻の伝統も残ってほしいものです。

さて、その日彫展でU-20の辺りにいたとき、通りかかった女性が壁に貼られた作品の写真の一つを見て、「なにこれ、意味分かんない」とつぶやきました。連れの男性もいっしょでしたが、それを聞き及んで私はちょっと残念な、悲しい気持ちになりました。
これも日本では、と言ってしまうのですが、抽象画など中小作品への受容度は日本の方が低いように思われるのです。覆おうにして、この女性のように「意味が分からない」と言います。果たして「意味」が必要なのでしょうか? 感じたまま、あるいは居心地が悪くさせられるのならばそのような体験をそのまま受容すれば良いのだと思います。
よく分からないものに「意味がない」「分からない」として、そこで止めてしまうということは、(話が飛びますが)多様性を認めない、認めにくいということにもつながるかと思います。「これはこうだ」という正解や定義的なものしか求めていないということだからです。
学校や会社、あるいは地域社会などに見た目や意見が違う人がいたときに、それを受け止める、交えるというよりは阻害してしまうのではないでしょうか。

「すぐに分からない」は居心地の悪いものですが、そこを出発点にして理解しようとしていくこともできます。ここから我田引水になってしまいますが、心理療法はまさしくそのようなプロセスです。その人が経験している悩みや生きづらさなどが、なぜなのかというのはいずれ分かる(というか、理想的にはその人によるセオリーのようなものができあがっていく)のですが、それまでは「よく分からない」を手がかりに、というかそれまで分かっていることを手がかりに、少しずつ進めていくことになります。セラピスト(心理療法家)に求められる資質の一つが「あいまいさ耐性」だと言われますが、このためでもあります。心理療法の目的の一つに「(自分の人生や体験に)意味を与える・創出する」というのがあると言われますが、まさしくこのことを思い起こさせられた一幕でもありました。
こういうプロセスに取り組もうという人は、今の時代貴重なのかもしれませんが、また多様性社会にも適応していけるものだと信じています。

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