イブキちゃんの聖書入門#69 「組織の中では生き辛い(後編)」
※前回(#68 「組織の中では生き辛い(前編)」)の続きです。
⭐︎マルタはリーダーシップがあり、空気が読めて気が利き、はしこく動き、「組織の中で上手く立ち回れる」タイプの人間です。
そのようなタイプの人間は、「この世のシステム」が作り出す「この世の基準」においては、確かに表面上は評価されることが多いことかと思います。
しかしそれ故の弊害もあります。
「この世のシステム」に対して慣れ過ぎてしまい、またそこに居心地の良さや自分の存在意義を見出してしまい、「神の国の優先順位」に対して盲目になってしまう、という弊害です。
そのことをイエスはとっくに看破しており、思い違いをしているマルタに優しく諭します。
⭐︎「この世の視点」から見れば、確かにマリアは空気が読めない、気が利かない、鈍臭いと思われてしまうところはあったのかも知れません。
もしかしたら「マルタは優秀だけど、マリアはちょっと残念な子」という目で、この姉妹は周囲から見られて来たのかも知れません。
しかしマリアはマルタにはない圧倒的に優れた特性を有していました。
それはつまり、「神の国の優先順位」を理解し、それを正しく選び取る、という霊的な特性です。
「神の国」とは、聖書の中では文脈によってそれが何を意味しているのかは変化しますが、基本的には、「イエス・キリストが王として支配する、将来この地上に実現する王国」であり、また同時に「罪によって堕落する前のこの世界の本来の姿」のことであるとご理解下さい。
「神の国の優先順位」と聞くと、多くの日本人にとって抽象的に、不必要に宗教臭く聞こえるので、とりあえずここでは「聖書が提供している価値観・価値基準」と言い換えても良いでしょう。
マリアは「この世の価値観・価値基準」ではなく、「聖書が提供している価値観・価値基準」に従って生きるレセプターが発達しており、だからこそ彼女は「神が喜ばれる良いほう」、つまりマルタによるもてなしの輪の中で忙しく動き回るより、イエスの足元でイエスの話を聞く、ということを素直に選択することが出来たのでした。
冷静に考えれば、これは当然のことです。
もてなすべき対象であるイエスが、講話を始めている。
であるなら、もてなしの手を休めて、その話に集中すべきです。
むしろ、そのようにイエスの話に聞き入っていたマリアの方が、結果としてイエスを本当の意味でもてなしていたのです。
「聖書が提供している価値観・価値基準」に従って生きるとは、何も突飛な非常識なことではなく、至ってシンプルで常識的なことです。
しかし「この世の価値観・価値基準」に染まってしまうと、その当たり前のことが見えなくなってしまい、結果として他者へのひがみや自身への劣等感によって苛まされることになってしまいます。
⭐︎「組織の中では生き辛い」と感じ、苦しんでいる人は多くいると思います。
それはどうしても組織の中では上手く立ち回れない為、「この世の価値観・価値基準」に準じて生きることにどうしようもない障壁を覚えるからです。
しかし、その「この世の価値観・価値基準」は、私たち人間に与えられた価値観・価値基準の全てではありません。
聖書はむしろ、「この世の価値観・価値基準」とは180度異なる「神の国の価値観・価値基準」を提供し、天地万物の創造者である神はその価値観に従って私たちを評価されます。
「神の国の価値観・価値基準」こそ、人間に与えられた本来の価値観・価値基準なのです。
確かに今のこの時は、組織の中での生き辛さに甘んじなければならないのかも知れません。
が、しかしそれは永遠ではなく、将来「神の国」が地上に実現した時に終焉を迎えます。
「神の国」においては、今、私たちを苦しめている「この世の価値観・価値基準」は存在出来ないのです。
その「神の国」に1人でも多くの人間を招こうと、神は今、あなたに、個人的に手を差し伸ばしておられます。
どうか今、「イエス・キリストの福音」を受け取り、信じて、あなたに約束された「神の国」の平安を自分のものとしてみませんか。
心よりお勧め致します。
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