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助産師が性教育に”うるさい”理由とは? 助産師は命のプロフェッショナル

「助産師って性教育するの?!へえー。お産とってるイメージしかなかった。」と学生時代の友人に言われた時、「おや、意外と世間では助産師が性教育をすることを知られていないのかも」と気が付きました。

そして助産師がお産だけではなくもっと多くの患者さんと関わっていることを知ってもらって、「だから助産師は性教育をするんだね」と知ってもらいたいと思います。


助産師は看護師です!

結構知られていないのですが、日本では助産師は看護師免許がないとなれません。ということは、助産師は看護師業務ができるということです。
私の助産師仲間には看護師経験を経て、助産師になった人も沢山いますし、私自身も短い期間でしたが救命救急センターで看護師として勤務していたこともありました。つまり、助産師はお産だけではなく、闘病生活や死にゆく人たちとも寄り添っているのです。

産科は生と死が混在する場所

看護師友達から「産科って赤ちゃんかわいいし、おめでたい科だよねー。私らなんて死んでばっかよ。」とよく言われます。

おめでたい科であるのは事実ですが、死産や中絶もありますし、私は出産したばかりの母親が亡くなるところにも立ち会ったこともあります。

病院の霊安室でお焼香し、「ご愁傷様でした」とご遺族に声をかけたその5分後には分娩対応をし、「おめでとうございます!」とご家族に声をかけ、凄まじい勢いで命の形が変化していっているのです。
自分の感情が整理がつかず、ぐちゃぐちゃになることもよくあります。

産科は生と死、そして誕生死(流産や死産のこと)と、様々な命の形があります。その現場に立ち合わせてもらっている私たち助産師は、あらゆる職種の中で性(生き方)教育に関する知識が最もある自信があります。

【体験談】患者さんが教えてくれた命の形

ここで、今後助産師をするにあたり、私に沢山のことを教えてくれた患者さんとのお話に触れさせてもらいます。個人が特定されないようにするため、一部事実を変えてお伝えすることをご了承下さい。

「なあーに泣いてるの?」から始まった子沢山お母さんとの出会い

当時私はまだ新卒の助産師で、患者さん対応どころか自分の業務だけで手一杯で毎日先輩に怒られ、メソメソしていました。
そんなメソメソしているところをとある患者さん、さゆりさん(仮名)に見られてしまい、「なあーに泣いてるの?」と突然を声をかけられ、びっくり!ハスキーボイスのおばちゃんみたいな声で喋りかけられました。

「あ、ああ、、、すみません、、情けないところを」と言い、私が慌てて職員休憩室へ立ち去ろうとしたら
「私結構、泣く子好きよ。」と突然さゆりさんに言われ、また私は「あ、、え、、すみません。」と言葉が発せずにあわあわしてしまいました。

「泣くって自分の弱さを認めることじゃん、弱さを認められるって強いことよね。私の息子もよく泣く子で、男なのに恥ずかしいって思ったけど、今沢山泣いておかないと強くならないじゃんって思ってるよ。」と立ち去ろうとする私にさゆりさんはそう言葉をかけてくれました。

「いきなりこんなに慣れ慣れしく話かけてきて、変な人!なんか見透かされている気がして、、恥ずかしい」と心の中で私は思いました。
その後、さゆりさんは既に上に3人の息子さんがいて、今4人目を妊娠している妊婦さんであることが判明。子沢山お母さんだからこそ泣いている私を見て放って置けなくなってしまったのでしょう。そしてどうも妊婦健診で採血データが引っかかり検査入院することになってしまったようでした。

「泣かないは強いじゃない」という強いお母さん

さゆりさんは検査入院にて”がん”であることが判明しました。しかしがんがどれ程進行しているか調べるためには赤ちゃんを産んでからじゃないとわかりません。

医師と助産師で再三の倫理カンファレンスをした結果、さゆりさんと家族にがんであることや、出産しないとがんの進行具合がわからないことを全て説明する方針で決定しました。以下、病状説明内容です。

「さゆりさんは、悪性腫瘍ができています。悪性腫瘍はいくつかのステージがあって、ステージによっては治療すれば治るものもあれば、もう手遅れのものもあります。さゆりさんの場合、妊娠週数がもう臨月間近であって、お子さんを産んでからじゃないと悪性腫瘍の進行具合を調べられません。そして、最悪、この悪性腫瘍がかなり進行していた場合の話ですが、余命1ヶ月、、持っても半年になります。調べてみないからにはわかりませんが、最悪のこともお伝えしておかないとと思って、、」

帰宅する家族を見送る時、さゆりさんは旦那さんに「頑張ってくるね!」と静かに笑うもどこかどっしりした様子がありました。そしてさゆりさんは3人の息子さんたちの頭をガシャガシャと撫でていきました。
3人の息子さん達は、上のお兄ちゃん2人は不安そうな顔をしており、一番下の子は笑っていたものの、だんだん何かの異変に気がつきソワソワし始め、「ママー!」とついに泣いてさゆりさんに抱きつきました。さゆりさんは抱きついてきた一番下の息子さんを優しく抱き返すかと思いきや、、「何泣いてんのー!」とゲンコツをかまし、家族4人を見送り、その次の週に帝王切開に臨むこととなりました。

「さゆりさんはお強いですね」
深刻な病状説明を受けた後に一滴の涙も流さず、さらには幼い息子にゲンコツをかますという状況を見て、私はさゆりさんにそう声をかけられずにはいられませんでした。

「状況がわからないから泣けないだけであって、泣かないが強いことじゃないよ。」と終始返答が侍のようにかっこいいさゆりさんでした。

しかし帝王切開の前日、私が夜勤の巡視をしていた時、病室でシクシク泣くさゆりさんの姿を見て、「やっぱりさゆりさんは強いのだな」と痛感しました。

どんなに強いお母さんにも終わりは来る

帝王切開を行い、4人目の息子さんを出産。出産したのにも関わらず、お腹は腹水で臨月の妊婦と同じくらい膨らんでいました。その数日後にがんの進行度をみるため開腹検査を実施、、、なんとがんはかなり進行しており、もう手遅れの状態でした。

そしてさゆりさんの病状はみるみる悪化していき、育児も行うのが困難な状況となり、妊娠中から入院してわずか1ヶ月半でお亡くなりになりました。

がんである事実は知っていたものの、あんなにも強かったさゆりさんがこんなすぐに亡くなってしまうことに私は現実の残酷さを覚えました。

強いお母さんはいなくなっても、強い意志はずっと繋がる

さゆりさんが病院の霊安室から出棺される時、さゆりさんの旦那さんが静かに涙を流しながら、息子4人を連れ、私たちスタッフに声をかけてくれました。

「4人目の息子の誕生から、妻の最期までありがとうございました」

この言葉を聞いた時、命は儚くも強く繋がっていると実感しました。

私たちは生まれるまでに何億という数の精子と卵子が受精し、それが無事に子宮内膜に無事に着床して、合併症のリスクとの隣り合わせの中子宮の中で約10ヶ月も育ち、出産も命がけで行い、その後も病気のリスクや事故や事件など、、、様々な危険と隣り合わせであり、いつ命を落としてもおかしくない、儚い存在であると同時に”生きている”という奇跡の連続が起こっているのだと思いました。
しかし、私たち人の想いや意志の繋がりはすごく強いと思いました。考えてみて下さい、歴史人物の言葉って名言集のように残っていますが、ずっと語り継がれています。例え肉体は朽ちても、その人の想いは強く繋がっていくのだなと思いました。

今回のさゆりさんの看護経験では命という奇跡の連続、亡くなるという儚さ、思いは残るという強い繋がりを学ばせてもらいました。
私は今後このさゆりさんとご家族の意志を大切にし、助産師人生につなげていきたいと思います。

命という奇跡の連続

私は性教育の講義では矢島助産院さんのお産の動画を使用させてもらっています。さゆりさんの体験の後にこのお産の動画を見ると、色々と感慨深くなります。
ちなみにこの動画をある高校で流すことを養護教諭の先生に提案したら「この動画は性的表現が結構あるのでうちの生徒達にはキツいと思います。」と却下されました。うーん、、キツいですかね?いずれは体験するかもしれないのに、、、こうやって見せない、やらないをやってる方が人生キツくなるのでは。

さゆりさんの体験談を通して命についてどう思いましたか?そして性教育=命を語ることだよね、、、と思ってもらえると幸いです。

今私たちがこうして生きているのは奇跡の連続であって、決して当たり前のことではありません。

命が奇跡の連続である、と気づけた時、賭けがいのない自分を好きになれるのだと思います。

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