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何の根拠も無く、よい人生だったと言う

人並みのキャリアを経て、
人間関係に恵まれ、
能力の限り自己実現を果たして、
思いつく限りの良い/悪いことを経験する。

これらをひっくるめて「豊かな」人生と呼ぶことにするとして、豊かな人生を歩みたいと思うかというとそうでもない。

どちらかというと善い人生を歩みたい。

ここでは「根拠を必要としない」ことを「善い」と呼ぶことにする。

善い人生とは、根拠を必要としない人生。

言い換えるなら、人生そのものが根拠であるような人生。

何かを成し遂げようが何もしなかろうが成立する、人生とはそういうものであるべきだ。

どこかエモーショナルな期間だけを切り取って私の人生と呼ぼうとするのも結構。ただし切り取る前の原型の存在は否定できない。

私の人生は何だったんだろうか。人生である。

あの人の人生は何だったんだろうか。人生である。

そう呼ぶことで根拠から解放していく。

根拠に縛られている段階から解放される。

あなたの趣味は何ですか。
歩くことです、と答えない。

ただ歩く。

歩いている姿を見てもらって、あの人の趣味は歩くことなんだなと判断してもらうことしかできない。

私の趣味は歩くことであって、「趣味は歩くことです」と答える趣味はない。

願わくば、歩いている人といえば私のことだ、と私自身がそう認識したい。