【短信】義母との永い別れ

 どうも、乙楽です。長いこと投稿が途絶えて申し訳ありません。
 タイトル通り、今回はとても重い話なので、読まれる方は相応の準備をお願いします。



 ポストでも告知した通り、義母が病気療養の後に亡くなりました。
 83歳という年齢は、今は長寿とは呼べないかもしれません。しかし、何年にも渡って幾度も病魔と戦い続けた義母を、私は誇りに思います。苦しむことなく、安らかな最期を迎えられたことが、悲しい中ながらも一つの救いでした。

 私は、39歳で家長と呼ばれる立場になりました。
 21歳で母を、その後に祖父母を送り、父を送ったのが39の歳なので、普通の人よりは割と早くに親と別れたと思います。おかげで、先人を送る際の手続きや作法には一通り詳しくなってしまいました。
 妻は一人っ子です。両親は健在でしたが親戚付き合いが薄く、また祖父母が早く亡くなったこともあり、葬祭というものに直接触れたことがありません。
 いきおい、葬祭については私が一手に引き受けることになり、打ち合わせから親族への連絡の手ほどき、用意するもの等の手配を行ったところです。
 正直な話、泊りがけも含めた入院中の世話からこのかた、心身共にしんどくてたまりません。が、ここでくじけては夫として、また義理の息子として示しがつかないと、空元気を出しているのが現状です。なお、現在は某地のスーパー銭湯の休憩所にてこの投稿を書いています。
 明日の通夜、そして明後日の告別式からの一連の流れを滞りなく進めること、それが今の私にできる精一杯です。その先に待つものについては…、今は考えないようにしています。

 今回のお話は、いずれnoteでもまとめようかな、と考えています。
 辛気臭い話、縁起でもない話ではありますが、人が人として生きている限り、避けては通れないものでもあります。
 もちろん、読みたくないと思う人、生理的に無理だ、という人もいると思います。読むことを強いるつもりは、毛頭ありません。
 ですが、私にとって義母がどう闘ったかを何かに残しておきたいという気持ちと、今回の葬祭に関わる情報などがいつか誰かの参考になればいいな、という思いを込めて、後日投稿する予定です。

 今回はご報告と、現状をお伝えします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

追伸。
 ラデニウム論文、以前の告知よりさらに進捗が遅れますことをご容赦ください。ちゃんと書きますからね。

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