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錬金術と初期キリスト教とアイルランド神話と『縦に広がる「多様性」』

マンガの続きを描きたいながら、うまいこと頭が働かないので準備運動のように書き始めてみる。

基本的にここで書いていることというのは、ごく個人的な寝言のようなフラフラしたものと思われたい。

このところ、土曜23時から配信なるものをしている。

内容はいろいろで、ばらの品種改良のことを話したり、アイルランド神話や初期キリスト教の話をしたり。

前回は錬金術のことを話した。

ようするにこれまでは家のなかでくろながさん相手に話していたようなことを、くろながさんに聞き役になってもらいながら、Discordに向かってしゃべっている。

これらはみんな私がこれまでさまざまに熱を上げてきた……ようするに『ジャンル』についての話で、これはたとえばアニメやマンガ、小説などの『ジャンル』と同じようなものと思っていただければおそらくそう違いがない。

その分野からやってくるものを、私はファンとして喜び、情報を搔き集めては夢中になってきた。

つまり配信で私が話していることというのは、基本的にTLで行われている『〇〇語り』のようなものであって、それは推しへの叫びや感想や考察、あわよくばと流れ出す、いわゆる布教活動と同じようなものだ。

正確さには欠けるし、何より私は語学ができないので、最先端の研究といったものには手が届かない(そのことはもちろん事前に断っているし、私としては配信で口にした単語が調べもののヒントになったら儲けものだな、くらいに考えている。単語がわからなければ検索のしようもない)。

前回話したのは『錬金術』、これも誤解の多いジャンルだ。

私自身、種村季弘などのユングを経由したユング的錬金術解釈からこの『ジャンル』に入ったため、「錬金術とは精神変容の秘術である」ということを、わりと長いこと受け入れて生きてきた。

しかし2018年、ローレンス・M・プリンチーペの『錬金術の秘密 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』がヒロ・ヒライさんの手によって翻訳され(本当にありがとうございます)、私は大きなどんでん返しというか……「錬金術とは精神変容の秘術であるというのは、ユングがそういうことにしちゃったんだよね! 20世紀に入ってから!」だったことを知った。

私はユングを許さない。

要するに同人解釈じゃねえか!

このへんは完全にいち錬金術ファンの私怨であり、ほかにもエリアーデなど許せない気持ちになる人がたくさんいるが、それはここでは省略させていただく。

みなさん『錬金術の秘密』を読みましょう、お願いします!

さておき、この先日の錬金術配信のなかで、

「その真なる錬金術についても変わらず自ジャンルという気持ちはあるんですか?」

という質問をいただいた。

これは「精神変容の秘術だと思っていたのなら、そうではなかったことで魅力を感じなくなったりしないのか?」ということだと思うのだが、私はむしろ「それがなんであるのかを知りたい」という気持ちでおり――要するに『ジャンル』の情報を食べて生きながらえているので、これは中々予想外というか、なるほどな~! と思う指摘だった。

それから少し考えて、けっきょくのところ……私は自分のなかにある引き出しに「人間のバリエーションを集めているのだ」ということに気づいた。

……昔、TLのはるかかなたで某鹿島先生がこんなことを仰っていた。

そう、私はこれまで通ってきた『ジャンル』を通して、「人間のバリエーション」を私のなかにコレクションしているのではないか……。

…………。

と、いう記事です、これは。

この世にはもちろん、多種多様な人間がいる。

よく多様性という言葉が使われるが、しかしこの多様性は主に横の広がり――いまこのときにも生きている人々(最近亡くなった人も含め、つまりあるていど時間を共有している人々)に対して使われることが多かろうと思う。

私はそうした同時代的な『横に広がる「多様性」』以上に、『縦に広がる「多様性」』……つまり、いま生きている我々とは遠く異なる思想や思考、感性や感覚、制限や限界を持って生きていた人々について、強く興味を持っている。

そしてこの『縦に広がる「多様性」』は、ひるがえって、同時代的な『横に広がる「多様性」』について考えるためのヒントや補助線になるのではないかとも考えている。

私は人間のことが好きで、人間がこれまでの長い時間の間に考えてきたこと、いま考えていること、そして主にその欲望の方向性に惹かれている。

だからそうした、当時の人々が残した脆い『もはや生きて伝える者が存在しない「多様性」』を破壊したユングのことはさ……やっぱぜってえ許せねえんだよな……。

ユングを許さない、絶対にだ。

まあ、アトウッドとかパリの科学アカデミーとか、その近辺の錬金術を歓迎したオカルトブームに対しても大体けっこう許せねえ……という気持ちを持っているものの、そのへんはいくらか仕方のないところもあるし……それこそ彼ら彼女らのふるまいにこそ『当時の「多様性」』や時代的な限界が垣間見えることもあり……それはそれで興味深く、意義深いものでもあると思う。

私個人としては、長く誤解を受けてきた錬金術というジャンルが、以降の研究者たちの手によって正しい位置に復帰することを願っている。

最後に……ローレンス・M・プリンチーペさんの『錬金術の秘密』、みんな読んでくれよな!

そして毎回、あんな寝言のような配信を聞きにきてくださるみなさま、本当にありがとうございます!

↓ほんとみんな読んでお願い。

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b372627.html

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