ボケてても、ブレてても
ご存知かと思いますが、こどもは動きます。しかも予測のつかない動きをします。
突然走り出したり、影に隠れたり、物を投げてきたり、ジャンプしたり…
その結果、これまでたくさんのピンボケ写真やブレブレ写真を量産してきました。
ピンボケ、ブレは悪?
撮った写真を見返すとき、ちょっとピントがずれていたり、ブレた写真は削除して、ばっちり写ってるものだけを残していました。「うわー、これピントあってたらめっちゃ良い写真だったのになー」なんて思いながら。
しかし、ある時思いました。
「ちょっとまて、ピンボケやブレがあると良い写真じゃなくなるのか」
仕事や明確な目的がある写真だと、ボケやブレは許されないケースもありますが、こどもの日常撮影においてはボケてもブレても良いと思っています。
むしろ、それによって良い写真(上手い写真ではないかもしれないけど)になることもあるし、僕の場合は意外とそういう写真に惹かれることが多いです。
なぜ良いと感じるのか、自分の中で言語化してみました。
その中で見えてきたポイントは2つです。(異論は認めます笑)
その1:はっきり写しすぎないことで、想像させる
この写真はかなりピンボケしていますが、すごく楽しそうな笑顔の表情が伝わります。
そしてこのすぐ後に撮ったボケてない写真がこちら。
どちらも良い写真です。(自画自賛)
どちらも良い写真なのは間違いないんですが、世間一般的に良い写真なのは2枚目でしょう。1枚目は水平もとれてないし、盛大にピンボケしてます。ただ、それでも良い写真だなーと思えてしまうのはなぜか...。
たぶん、ボケていても伝わる、すごく楽しそうな表情にあると思います。さらに言うと、ボケてるからより楽しそうに見えるのかもしれません。
人は曖昧なものをみたときに、勝手に脳内補完して、自分の良いように解釈すると何かで見たような気がします。
漫画を読むときに、自然と登場人物の声を自分の中でイメージしていて、実際にアニメ化されたときの声にちょっと違和感をおぼえる現象がありますが、あれも自分が良いと感じるように、情報(声)を補いながら読んでいるからですよね。たぶんこれに近いと思います。
この写真は表情がはっきり写ってない分、無意識的に楽しそうな表情という情報を(よりオーバーに)補完しているのではないかなと思います。
カメラのスペックが向上し、AF性能や解像度があがり、くっきりした写真が撮りやすくなりました。そんな中でもふわっとしたオールドレンズの描写を好む人がいたりするのは、こういう理由もあるのではないかなと思います。(たぶんね)
その2:裏にあるストーリーを伝えられる
この写真は急にこどもが走り出したので、ピントが合いませんでした。静止画だけど、体の動きや心の動きが感じ取れます。
こっちの写真は、娘にGRを渡したときに撮った写真です。
自分の好きなものを自由に撮っていて、全部がいとおしいと思える写真たちでした。
こどもは好きなものに対しては正直に寄って撮ることが多いみたいです。ただ、寄りすぎてピントが合ってなかったりしてます。
このピンボケも好きの証と思うと、さらに良い写真だなあと思えてきます。
(パパが写ってるのが本当うれしい)
人にしか撮れない写真
一見失敗に見える写真も、見方を変えると「良い写真」になり得ます。
ピンボケやブレただけで失敗とするのは勿体無い。そこから見えるストーリーに人間味があり、AIに代替されない部分であり、生身の人間が写真を撮る意味かなーなんて思ったりしました。
上手な写真じゃなくてもいい。良い写真だと思ったら、それを自分にしか撮れないものとして愛し、素直に残そうと思います。
ボケてても、ブレてても。
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