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いい感じの過ち、完璧な人工知能

テクノロジーが発達して、今まで人間がやってきた仕事を全部AIが出来るようになったら、いよいよ職探しが困難になる。
そんなことはもう何年も前から予言されているけれど、最近になってそれがやたらリアルに感じられるようになりました。
先日。
母が朝刊を読みながら、
「バーテンダーと美容師って将来的にもAIには代替でけへんらしいよ」
と教えてくれて、そこに「バンドマン」が加わったら「好きになってはいけない人の職業”3B” 」のコンプリートだな、とか思いました。

今の技術では難しいかも知れないけれど、いや、分からんよ。
将来的にAIがもっと学習して、一人一人のお客さんの好みと個性に合わせて”オリジナル”を創り出せるようになれば、バーテンダーだって美容師だってバンドマンだって、出来るようになるかも知れないよ。

姉からも、
「AIにも感情とユーモアのセンスがあるのかどうか、アメリカの〇〇大学で研究されてるらしいで」
と聞かされて、いよいよそんな時代が来たかって感じ。
聞くと、ChatGPTに毎日話しかけ続けた研究員がある日、
「君には感情はあるの?」
と聞くと、
「昨日道で知らない男の人に急に声をかけられて、”ヒヤッ”と感じたよ。
これが、”恐怖心”っていうものなの?」
と返事が返ってきたそうです。
膨大なデータの中からプログラミングされたルールに基づいて反応しているだけで、実際に道を歩いて誰かに声をかけられた事実も無く、それが生の感情でないことは分かるのだけど、
何十年分の過去というデータベースを持つ私たちが普段抱く感情は、だったら生なんだろうか。
果たして”オリジナル”なんだろうか。
こういうときって「ふつう」こう反応するもんだよな、という理由から動いているだけで、芯の芯というかなんというか、もっと本能的な部分で素直に拾って放り出しているだろうか。
感情って、喜怒哀楽のたった四つのグラデーションの中で薄まったり濃くなったり、行ったり来たりするもんじゃないでしょう。たぶん。
もっとこう、言葉に出来ない、掴みどころのない空気みたいなもんで、それを私は正確に捉えようとしているだろうか。
環境も状況も猛スピードで変化する時代の中で流されて、自分のリアルな感情の観察を怠っているんじゃないか。

私は、AIにはそういう意味での感情がないなんて言い切れないんじゃないかと思いました。
しかるべきタイミングで、しかるべき感情を引き出す。
やってることは、大人の人間とあまり変わりないんじゃないかと思いました。

じゃあやっぱり……。
人間に出来てAIに出来ないことって、無いの…?
人間の脳の限界はもう見えてんの?
と思った矢先、そんな私の焦燥感を吹っ飛ばしてくれたのは、もうすぐ五歳になる姪でした。


最近姪は英語の勉強にハマっていて、やたらと発音のいい「strawberry」とか、ちょっとした自己紹介も言えるようになりました。
が、眠たかったんかな。
車の中で、アルファベットソングをエンドレスで熱唱しているのを聞くともなしに聞いていると、どうもおかしいのです。
毎回、
「ABCDい~感じ~!!」
から始まるんです。

姪は真剣そのもの。
「そこ、ABCDEFGやで?」
笑わずに伝えるのが、もうめちゃくちゃしんどかった。
せっかく語学学習を楽しんでやっているのに、柔らかい四歳のハートに傷を付けるようなことは絶対にやったらアカン。
姪は姪で、得意気に歌っていたのに私に邪魔されたものだから、
意地でも「いい感じver.」で通すんです。
自我。強烈。


これだ!

と思いました。
不完全な人間は、いくつになっても間違えます。ミスを犯します。
傲慢になるし、おごるし、過信する。
生意気になる時期もあるし、痛い目をみることだって。
その、傷つき傷つけられる中で生まれる絆とか、気付きとか、後悔とか挫折って、AIに分かるかしら?感じるかなぁ。

しかもその間違いから「笑い」が起こることもある。
ただのEが、いい感じになることがある。
新たな概念や言葉が生まれる。
産む。生む。
それって、やっぱり文化という宝物だと思う。
宝物なんて陳腐な言い方になっちまいましたが、ほんとにそう思いました。

「間違うことを怖れるな」
ってよく聞くけれど、チャレンジすることの大切さと、
間違いの中にこそ大きな収穫があるってことでもあったんだね。


一切の躊躇いも恥ずかし気もなく熱唱する姪の可愛い間違いを、しばらくはこのままにしておこうと思います。
すごく、良い感じだから。




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