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恐怖のドライブ体験

サーキットをフルスピードで走行するレーシングカーに乗ったことはあるだろうか? オレはある。もっとも、レーサーとしてではなく、同乗者としてだ。当時勤めていたドイツの自動車会社では、現地のテストサーキットでレース走行を体験できる研修プログラムがあり、入社間もなかったオレが日本からの参加者として選ばれた。サーキットはノイブルク(新しい町)という南ドイツの田舎町にあった。町自体は実際新しくも何ともない典型的な地方都市なのだが、完成後間もなかったサーキットは田園地帯のど真ん中にあって異様にモダンで、クラブハウスはガラス張りの美術館のような建物だった。

研修には色々な国から数十名の参加者が集まり、本社からやって来た若いドイツ人女性がホスト役を努めていた。名前は忘れてしまったので、仮にヨハンナとしておこう。クラブハウスの中には、アップルがカフェを作ったらかくあるべし、といった瀟洒なラウンジがあった。そこで気の利いた朝食を食べた参加者は、その場でヨハンナ(仮)から研修のインストラクションを受けた。今回使われるR8という車の特徴、サーキットの紹介、そして順番に車に乗り込んで体験をする手順などなど。インストラクションはさっぱりと終わり、オレは2番目の体験者に指名されてさっそくピットに連れ出された。すでに3台のR8が待機していたので、搭乗する順番は直ぐにまわってきた。

それがオレの優雅な出張の終わりだった。R8が動き出した瞬間、強烈なGが背骨から首を伝って、ヘルメットで重くなったオレの頭をカクンとのけぞらせた。不意に世界のムードが切り替わるような感覚がオレを襲った。ドラマや映画でいえば、引きつった顔の主人公がアップで映し出され、緊迫した音楽が流れ出す瞬間のようなムードの変化だ。気づいたかい? 今お前のいる世界は、数秒前の世界とは別世界なのだよ。頭の中で美輪明宏がそうオレに語りかけている。魔王のように高笑いしながら、ではない。どこか同情じみた諦めをたたえながらだ。

それまでの間、オレはどちらかと言えば「ドライブ」のムードだった。ドライブは好きだ。なぜなら、オレにとってそれは「自由」の象徴だからだ。車があれば、そしてそうしようという意思があれば、人はいつでもどこにだって行ける。車は人は自由にする。本来は。しかし今はどうだ。レース仕様の頑強なシートベルトで体を固定され、進むも止まるも全ては運転席のドイツ人ドライバー次第である。これは「不自由」なんて生やさしいものじゃない。「拘束」だ。自ら進んでそれを選んだのだから、もちろん犯罪的な意味での拘束ではない。ムードとしての拘束だ。

何を言っているかよく解らないだろう。普通に生活していれば、ムードとしての拘束になど、人は出くわすことなどないだろうから。もう少し解りやすく現実世界で起こりうることで説明するならば、過去これに一番近い気分を味わったのは、最恐クラスの絶叫マシーンに乗ったときだ。自慢ではないが、オレは絶叫マシーンが大の苦手だ。どれくらい苦手かというと、「スプラッシュ・マウンテン」を絶叫マシーンに位置づけているほどである。

そんなオレが、苦手と言い出せない若かりし小さなプライドから、最恐の絶叫マシーンに乗るはめになったことがある。それは控えめにいって地獄だった。しかし、どうだろう。たった今サーキットでR8が動き出した瞬間の精神的な悪寒は、そのとき絶叫マシーンが動き出した瞬間のそれを10で乗じたほどのものではないか。そして、R8が第一コーナーに差し掛かったとき、そんな精神的な悪寒は、紛うことなき肉体的な衝撃と手触り感抜群の身の危険に完全に上書きされるのである。

「いやっ!これダメ!!!」

オレは心の中で叫び声をあげた。これはダメである。スタート前に見渡したコースの全体像から考えるに、R8がここを1周するには少なくとも5分はかかるだろう。しかも今通過したのは第一コーナーなわけで、この先第二コーナー、第三コーナーとカーブが緩やかになっていくとは考え辛い。さすれば、今以上の衝撃とGを、オレはこの先5分以上やり過ごさないといけないのだ。それは無理な相談である。なんとかしてその旨をドライバーに伝え、この恐怖のドライブを今すぐストップしなければならない。

しかし、である。考えれば考えるほど、そこには問題が山積みだった。第一に、我々参加者は、そういうときにどうすればいいのか? というインストラクションを事前に一切受けていなかった。歯医者だったら「手を上げてください」とか、アトラクションだったら「並んでいる間に係員に申し出てください」とか。そういう救済手段の説明は一切なかったのだ。要するに運営サイドとしてはそんな事態は想定していないわけで、そうなるとドライバーは言われたところでどうすればいいか解らない可能性が高い。ノロノロ走るにしても、後ろからくる次の組を危険にさらしてしまうかもしれない。

また、ということは、である。ここでストップさせて前代未聞の事態を招いてしまうと、オレは腰抜け野郎としてこの研修の歴史に汚名を残してしまう可能性が高い。むかし日本から来た発音し辛い名前のやつが、途中でギブアップしてその後の運営がめちゃくちゃになってしまった。だからちょっとでも無理かも、と思ったら今ここで申し出てほしい。そんな事前の注意が運営マニュアルに付け加わってしまうかもしれないのだ。いや、オレが腰抜け呼ばわりされるのは構わない。しかし、日本人が腰抜け呼ばわりされるのは許せない。

そこまで悪いシナリオにはならなくても、ヨハンナ(仮)はじめ運営チームや、一緒に研修に参加しているメンバーから白い目で見られるのは確実だった。悪いことに、オレは開始前、必要以上に「興奮している」をアピールをしてしまっていたのだ。日本人はシャイでおとなしい。そんなステレオタイプに反発を覚えるオレは、国際会議などではいつも積極的に発言するよう心がけている。ヨハンナ(仮)から事前のインストラクションを受けたとき、質門はないか? という呼びかけに沈黙する一同を前に、そんな積極発言野郎の血が騒いでしまった。そして、「質門はないが、今とても興奮している。今回の出張はこれが何より楽しみだった。コースに出るのが待ちきれない」などと軽口を叩いてしまっていたのだ。

バカっ!オレのバカっ!!

さらに悪いことに、インストラクションの場にはドライバーたちもいた。もちろん今オレの真横でR8のハンドルを握る彼もだ。ドライバーたちはこう思ったことだろう。あの場でわざわざあんな発言をするなんて、日本からやって来たこいつはとんでもないスピード野郎のようだ。こいつの名字はHONDAか? BRIDGESTONE(石橋)か? R8がF1よりしょぼい、なんて思われちゃ困る。しっかりと楽しんで貰わないとな。そんな事を想像しながら恐る恐る運転席に顔を向けるオレに、ドイツ人は上気した口調でこう叫びかけてきた。「エキサイティングだろ!? どうだ? 思っていた通りか!?」。朦朧としはじめた意識のなか、オレはなんとか気力を振り絞って答えた。

「イ、イエァ」

全くお前ってやつは。ドイツ人ドライバーはヘルメットごしにそんな含み笑いを投げかけてきた。鳴り響くV型10気筒エンジンの爆音。視覚を残してヘルメットに覆い尽くされる表情。こんな状況で相手の真意を汲み取ることなど、カリスマ心理カウンセラーでも不可能だろう。ましてや相手は屈強なレースドライバーで、お互い母国語ではない英語でやり取りをしている。オレの意思を伝えるには、どストレートにこう絶叫するほかない。

「ストォォォーップ!アイム・ヴォミッティーーーーング!」
(止まってくれーーーー!吐くーーーー!)

でもまあ、吐き気という観点でいえばまだそこまででは、である。というか、吐く以前に気絶しそうなのだ。そもそもどのツラを下げてそんなことを言えばいいというのだ。オレは開始前「待ちきれない」などとのたまったのだぞ。と、そうこうしているうちに、スタート地点のピットが一番遠くに見える地点に来ていることにオレは気付いた。コースの半分をパスしたたのだ。あと数分。あと数分をしのげばラウンジに戻れる。ラウンジに戻ったら、あのライムやらミントやらが入ったデトックス的な水でも飲んでやろう。そんな水、今まで一度も飲んだことないけどな。そして通りかかるヨハンナ(仮)に、グラスを掲げてこう言ってやろう。

「君は最高のオーガナイザーだ、ありがとう!」

そんなとりとめのない妄想に思いを馳せていると、いくらか気分がよくなってきた。恐怖と吐き気の波が小康状態を迎えたのだ。何よりゴールはもう目と鼻の先だ。何とか耐えた。耐えきった。そうして少し上気した気持ちをあえて口にすることで、残りの数十秒をラストスパートでやり過ごすべく、オレはドライバーにカラ元気を振るって見せてやった。

「ソーグッドだったぜ。ダンケ・シェーン!」

しかし、これがとんでもない事態を招いてしまう。スタート地点のピットへと続くストレートに差し掛かると、ドイツ人はあろうことか加速を始めたのである。オレがレーシング体験を体全体で満喫していると勘違いした彼は、もう一周追加でサーキットを回ってやろうと決めたのだ。ホスピタリティーである。ジャーマン・ホスピタリティーだ。はるばる日本くんだりから、ここノイブルクまでやってきてくれたんだ。仕事と割り切ることもできるが、ここでもう一周回ってやるのが国を超えた友情ってもんだろう。ヘルメットごしの目がそう語っている。

ノーーーーーーーーーーーーー!ノーーーーーーーーーーーーー!

オレはもはやそれを心の叫びに止めておくことができなかった。ただ、いくら叫んでも時すでに遅しである。フルスピードの加速でひときわ唸りをあげるV10のエンジン音にかき消され、ドイツ人にはオレが何を言ったかよく聞き取れなかったに違いない。実際にこちらも向こうの声がよく聞き取れなかった。ドイツ人は大声で、短く言葉を区切りながら、オレに向かって何かを言っている。

「お・も・て・な・し」

いや、そんなはずはない。そんなはずはないのだが、オレには確かにそう聞こえた。そこから先のことはほとんど覚えていない。滝川クリステル、ついで滝川、次にクリステル、そして再び滝川クリステル。そんな具合にオレの思考は乱れに乱れ、ヘルメットのフードを開ければすぐに宇宙と交信が始められそうだった。そして気づくと助手席のドアが開けられ、朝食で知り合った「アタナシウス」というギリシアの神のような名前の研修生が、オレに手を差し伸べていた。R8はサーキットをもう一周してピットに戻っていたのだ。

助かった。。。

オレはアタナシウスの手を借りてR8の助手席を降りると、アルカトラス刑務所から命からがら脱獄してきた冤罪者のような足取りで、クラブハウスに向かった。いや、アルカトラスからの脱獄者でも、もう少し覇気のある表情をしていたに違いない。しかし、一歩、二歩と歩みを進めているうちに気力は少しづつ回復していき、クラブハウスでヨハンナ(仮)の出迎えを受ける頃には、オレは辛くも次のような軽口を叩けるようになっていた。

あ、あと2周は、ま、まわりたかったよ。

R8の助手席にいるオレがタイムリープしてその場に居合わせたら、最後の「よ」と同時に後ろから思い切り頭を叩いていただろう。ヨハンナ(仮)の笑顔に屈託はなかったので、オレが恐怖で3歳ほど老け込んでいたことはうまく隠し通せたようだった。他のメンバーが体験を終えるのを待つ間、オレはラウンジにあった桃を異常なペースで食べ続けた。ドイツ特有の、上下に圧力をかけてぺちゃんこにしたような形の、少し硬い桃だ。他の参加者がオレの異変気づくとしたら、尋常ならざる量の桃を食べている、というその一事を持ってしてだろう。それくらいオレの心はすでに平静を取り戻していた。

オレの恐怖のドライブ体験には、そろそろここらで幕を下ろそうと思う。いかにもチンケな話だっただろう。ここまで読む価値があったのか? と問われれば、自分でも自信を持って首を縦にふることはできない。それでも、この話から無理矢理に一つ教訓を引き出せるとしたら、それは次のようなものになるのではないか。つまり、忍耐とは、見栄にかまけた壮大なやせ我慢であると。あるいは、他に選択肢のない状況でやむなく何かを耐え忍ぶことである、と。

そんなふしだらな忍耐でも、時に人生や歴史を変えるきっかけになったりすることもあるものだ。知人の息子さんがアメリカに留学する際、出発の数日前からグズりだし、当日は「行くのをやめる」と言い出して聞かなかったという。とりあえず空港までは行こう、と車を走らせるも、空港に着くといよいよ追い込まれた息子さんは泣き出してしまったらしい。ところが、どうだ。見送りにきた友人たちを遠くに認めると、息子さんは突然シャンとして涙を拭い、彼らの羨望の眼差しを尻目に意気揚々とアメリカに旅立っていったというのである。

人生とは、なかんずく忍耐とは、そういうものなのではないか。それは壮大な痩せ我慢なのだ。投げ出す、という選択肢を剥奪されたものの、惨めなブレイクダンスなのだ。されば問うなかれ。忍耐力を身につけるにはどうすればいいのか? などと。それは自らきった見栄で自分をがんじがらめにすること、自分を袋小路に追い込むことなのかも知れないのだから。

おわり

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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