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トンネルを抜けると、そこは、、、

川端康成の小説では、
それは「雪国」でした。

本物のトンネルではなく、
比喩的に「トンネル」という言葉を
使う
ときがありますよね。

その場合だと、「雪国」の代わりに
色々な言葉が入れられる
ような
気がします。

長い、暗い、トンネルのような毎日。
そこを何とか通り抜けて、明るい出口が
見えてきたそのとき。

一体何に遭遇できるのか?
それはきっと、トンネルの中を
走っていたときの自らの態度や
心構え
によって、かなり変わって
来るのではないでしょうか?

客観的に見ても「不遇」な時期に、
オレはツイてない、とばかりに
腐ってしまえば、その後にどんな
チャンスがあらわれたとしても、
そのチャンスをモノにすることは
至難の業でしょう。

どんなに「不遇」であったとしても、
そこで腐らず、自らができることを
通して何とか浮上の目を見るべく努力
し続ければ、極くわずかなチャンス
あっても、きっとそれをモノにすること
が可能となるのではないでしょうか。

自分自身がこれまでに色々経験してきた
「トンネルの中」
を思い返してみると、
どのときも何か別の人、別のものの
せいにしていたように思います。

全てを自責、自分の至らなさが
引き起こしたことに過ぎないのだと
腹落ちし、反省したときに初めて、
トンネルの中でもがいていた頃の
自分を「成仏」させられる、
そんな気持ちです。

とはいえ、

トンネルを抜けると、そこは天国だった

だと、何だか現世では上手くいかず、
そのままあっけなく自ら成仏して
しまったような響きです。

せめて、

トンネルを抜けると、そこは楽園だった

位が良いかもしれません。

いや、楽園も天国と大して変わらない
ですよね。
ここは、ひとつ趣向の違う言葉で
埋めてみましょう。

トンネルを抜けると、そこは故郷だった

自らの原点に戻ってきたぞ、
でもトンネルでもがいた後だから、
一段レベルアップして、
螺旋を一段登った上での再出発、
そんな意味合いを加えられる
かもしれません。

皆さんだったら、
トンネルを抜けたときに
どこに到達したいですか?

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。