南米パラグアイの楽園で過ごす、人生の夏休み
2016年7月1日、私は南米パラグアイの首都アスンシオンを旅立つ準備をしていた。
長距離バスの中で食べるおやつが欲しい。宿近くのケーキ屋で、ラズベリーケーキとチーズケーキをひとつずつ買った。
アスンシオンのバスターミナルで待機していると、ブラジル国境近くの街、「シウダー・デル・エステ」行きのバスが到着。トランクにスイッチバッグを預けて乗り込み、右側の窓側席に座った。
「273キロメートル地点で降ろしてほしいの」
恰幅の良い運転手のおっちゃんにそう伝えると、彼は「うむ」と頷いた。これは「アスンシオンから273キロメートル離れた場所」という意味。有名な旅ブログに記されていた伝え方だった。
しかし、本当にこれで伝わったのだろうか。降りる場所に気付かず通り過ぎでもしたら、えらいことになる。
不安に駆られ、隣の席のパラグアイ人のおじちゃんにも確認すると、「273キロだな。私も覚えておこう」と言ってくれた。心強い。
バスが走り出す。アスンシオンの街を抜け、緑豊かな草原が広がる地帯に入った。およそ1時間後、私は大事に両手で抱えていた紙箱を開け、プラスチック製のフォークでラズベリーケーキをつついて頬張った。うまい!
車窓が、どんどん赤土の大地に変わっていく。
◇
パラグアイは、周囲をブラジル、ボリビア、アルゼンチンに囲まれた内陸国だ。国土は日本の約1.1倍。観光資源は乏しく、旅行先として人気な隣国に向かう際の通過点的な立ち位置の国でもある。
実は、パラグアイに長期滞在する日本人バックパッカーは少なくない。その多くは「イグアス居住区」を目指してやってくる。戦後、日本人移民が築き上げた小さな日本人村だ。
日本の食材が豊富に揃うオアシスで、その居心地の良さから数ヶ月単位で沈没する者もいるという。
そんなイグアス居住区に、伝説の日本人宿があった。小林夫婦が経営する「民宿小林」である。
◇
アスンシオンを出発してから、およそ6時間。バスは果てなく続く一本道をひたすら走行していた。
「そろそろ着くよ。下車の準備をするといい」
隣のおじちゃんが私の肩をトントンして教えてくれた。
荷物をまとめ、バスの前の方に移動していくと、運転手のおっちゃんが「もうすぐだ」と目配せ。ちゃんと覚えてくれていたんだ。
しばらくすると、前方に「SOS」と書かれた看板が見えてきた。
(よかった!273キロメートル地点を示す噂の目印だ!)
ホッと胸を撫で下ろす。
バスから降りると、空は薄紫とピンクのグラデーションに染まっていた。目の前に広がる大自然を前に、呆然と立ち尽くす。
(なんだかすごい所に来てしまった……)
民宿小林を見つけるのは簡単だった。バス停のすぐそばに、大きな一軒家がぽつんと佇んでいる。
門の呼び鈴を鳴らすと、お母さん(小林夫婦の奥さま)がにこやかに出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃい。長旅で疲れたでしょう。さぁ、入って入って!」
民宿小林はいくつかの棟に分かれ、部屋タイプはドミトリーと個室の2種類がある。人に気を遣わずにゆっくりしたかったので、私は個室を選んだ。冷暖房やキッチン付きで、快適そのもの。
その日の夜、お父さんやほかのゲスト3名に挨拶をして、みんなで夕飯の支度をした。「お母さんの手料理は絶品!」と旅人界隈で大評判で、私も心待ちにしていた。
メニューは日替わりで、この日は蕎麦。山芋、天ぷら、ネギ、刻み海苔、すだち、キュウリのつけもの……テーブルの上に次々と並べられるご馳走を前に、興奮が止まらない。
蕎麦なんて何か月ぶりだろう。ちゅるちゅるっと麺をすすると、爽やかな喉ごしと出汁の旨みに感動し、うっかり泣きそうになった。
「これ、すごい人気なのよ」
とお母さんが出してくれたのは、胡麻プリン。なめらか濃厚でとろける。一口一口、味わって食べた。
なんだか田舎のおばあちゃん家に遊びにきたかのような、不思議な懐かしさが込み上げる。
熱々のシャワーを浴び、清潔な香りがするベッドで深く眠った。
◇
翌朝、ぱちりと目を覚まし、歯を磨いて軽く化粧をしてから外へ出た。
冬が到来した7月のパラグアイ。秋晴れのようなひんやりとした空気を「スゥ~」っと吸い込んだ。目の前には、見渡す限りの草原が続いている。
「わぁ……」
思わず感嘆のため息が漏れる。
「ほら、あそこ。あの辺までがうちの敷地なの」
お母さんが指差した先があまりにも広大すぎて、どれが「あの辺」なのかよくわからなかった。
いてもたってもいられず、散歩に出かけることに。私が歩き出すと、数匹の小さなワンコたちが飛び跳ねながらついてくる。
「君たちも一緒に来たいの?」
犬は正直あまり得意な方じゃないのだけど、ここのワンコたちは人懐こくて本当にかわいい。
どこまでも続く草原と、赤土ロード。
「カントリーロ~ド、この道~、ずっと~、ゆけば~……」
大好きな「カントリーロード」を口ずさみながら、スキップまでしちゃう。さぁ、どこまでゆこうか。時間はいくらでもある。
気の赴くままに、どこへでも。
青く澄んだ空の下、時間がゆっくり、ゆっくりと流れていた。
散歩から戻ると、お父さんが日系スーパーの「農協」に連れて行ってくれるという。農協は、民宿小林からおよそ10km離れた場所にあった。
店内に入るなり、「ひゃ〜!」と大興奮。
懐かしき日本の食材がずらりと陳列されている。ニッキの飴、UFOや味噌汁、そうめん、うどん。5か月ぶりに目にする豊富な日本食に、アドレナリンが大放出した。
いろいろ迷った末、「コアラのマーチ」とあんぱん、駄菓子の3色団子を買った。甘いものばかり(笑)。
口数は少ないけど優しくてチャーミングなお父さんは、イグアス居住区のありとあらゆる場所を車で案内してくれた。
日本人経営のアイスクリーム屋や、移民資料館、ラーメン屋、最近完成したばかりのお寺まで。住職から話を聞くこともでき、その志に胸打たれた。
イグアス居住区には、日本語学校や日系の病院、日系の薬局もあるという。地球の裏側には、確かにリトルジャパンが存在していた。
◇
料理下手な私はお母さんに弟子入りし、夕食作りの手伝いをしながら自炊の訓練をすることにした。キュウリを切ったり、ハンバーグをこねたり、手巻き寿司を巻いたり。
「冷蔵庫に入ってる卵は、1日1個まで自由に食べていいわよ」
この言葉には飛び上がって喜んだ。海外で生卵が食べられる機会なんて、めったにないのだ。
醤油などの調味料も自由に使えて、冷蔵庫に常備してある麦茶や、前日の夕飯で残ったご飯も無料でいただくことができた。採算がとれているのか、勝手に心配になってしまう。
夢にまでみた数か月ぶりの納豆は、たまらないおいしさだった。なぜ海外を旅していると、このネバネバが無性に恋しくなるのだろうか。
お母さんにとろろを分けてもらって作った、月見とろろ蕎麦。
どんだけ不器用なのか、卵焼きや温泉卵を何度も失敗。ぐちゃぐちゃになった温泉卵を、お父さんが「大丈夫、うまいよ」とフォローしながら食べてくれた。
煮込みうどんを作ったら、なんとも不味そうな仕上がりに。
うどんを大量に茹ですぎてしまい、食べきれず途方に暮れていたら、Kくんが残りを食べてくれることになった。
「見た目によらず、冗談抜きでうまいっすよ!」
嬉しいような悲しいような(笑)。だがその言葉に救われた。お母さんのような料理上手になれる日は、果たしていつ訪れるのだろうか...…
◇
とある日も、ワンコと散歩に出かけた。彼らと追いかけっこしながら、赤土ロードを先へ先へと進むうちに、いつの間にか空はオレンジ色に染まっていた。
夕陽に照らされた大地が、さらに赤みを帯びている。
燃えるような茜色の空を前に、立ち尽くした。私は夢を見ているのだろうか……
ミニ三脚のゴリラポッドを設置して、ワンコたちと記念撮影。我ながら良い感じの写真が撮れたので、満足。
さぁ、そろそろお家に帰ろっか。
この日の夜はすき焼きだった。みんなでテーブルを囲んで鍋をつつき、「うまい!たまらん!」と歓喜しながら、柔らかい牛肉を頬張った。食後、仲間たちと深夜まで旅について語り合った。
◇
ある日、お父さんとイグアス居住区に住む日本人女性のご自宅を訪問することに。彼女はカピバラやハナグマなど、多種多様な動物を庭で飼育している。
ダチョウの卵を発見したお父さん。でかい!
悶えるかわいさのヒナ鳥。
それにしても、彼女はなぜここで暮らしているのだろうか。
「もともとアマゾンに強い憧れがあってね。南米移住のそもそものきっかけは、それでした。たまに不自由することもあるけど、イグアスでの生活は本当に豊かです。すごく気に入ってますよ」
女性の自宅を後にして小林に戻る道すがら、お父さんが突然、車で茂みの中に入ってズンズン突き進み始めた。車体が周囲の木々にバシバシぶつかってるけど、大丈夫!?
「なんじゃあれは!」
お父さんが得体の知れない赤い実を発見して、車は急停車。
お父さんは車から降りて実を摘むと、躊躇なく潰して爪に塗った。
「こりゃ、マニキュアになるぞ!」
その数分後、「乾いて色が落ちんくなったぞ!」と、慌てて必死に爪をこすっていた。茶目っ気たっぷりすぎやろ……(笑)。
◇
お父さんの趣味は、釣り。一緒に釣り堀に行くと、ティラピアという淡水魚を何匹も釣り上げてご満悦そう。大漁だー!
お母さんがティラピアを捌いて刺身にしてくれた。鯛のような味わいと食感でおいしい。
宿近くの川でも釣りができる。Kくんの釣りに付き添ってみると、おもしろいほど小魚が釣れる。
宿に戻ると目を離した隙に、泥棒ニャンコがバケツに入った魚を何匹か咥えていった(笑)。
お母さんが、Kくんが収穫した小魚を揚げてくれた。パリパリと香ばしく、こちらも絶品である。
お父さんとお母さんの温かい人柄とホスピタリティーに包まれ、小林での日々は瞬く間に過ぎていった。心地よさにどっぷりと浸かり、ずっとここで暮らしていたいとすら思った。
しかし私には時間がない。当初3か月を予定していた中南米の旅は、すでに5か月目に突入していた。
◇
最終日の夕暮れ、みんなで屋上に上がり、地平線の向こうに沈みゆく夕日を静かに眺めた。青、ピンク、オレンジ、黄色……刻一刻と空の色が変化していく。
お母さんがぽつりと言った。
「私ね、ここの夕焼けを見飽きたことなんて、一度たりともないのよ」
小林での生活はとてもシンプルだ。モノも娯楽もほとんどない。でもなぜだろう。一瞬一瞬が、この上なく豊かで贅沢だと感じる。
「私は今、人生の夏休みを過ごしている」
そう思った。
晩ごはんはアサード(焼肉)だった。お父さんが、肉やソーセージを炭火で焼いてくれる。香ばしい香りにつられ、腹ペコの私たちは何度も様子を見に行った。
分厚く柔らかい肉にかぶりつき、全員が恍惚の表情を浮かべた。
食後、お母さんが「じゃじゃーん!」と運んできてくれたのは、私の送別に作ってくれたスペシャルケーキ! びっくりなサプライズに、熱いものが込み上げる。
その日は七夕だった。
「ねぇ、星を見に行かない?」
食後にテーブルを囲んでトランプをしていると、母さんが私たちを誘ってくれ、みんなで再び屋上に上がった。真っ暗闇の静寂のなか、見上げると満点の星空。
「あれが水星で、あれが火星よ」
星に詳しいお母さんの説明を聞きながら、織姫星と彦星を探す。その後、「UFOは本当に実在するのか?」という議論が盛り上がった。
「あ!流れ星!」
ひとつ、またひとつと、光を放つ星々が降ってきた。
◇
出発の日の朝。お母さんが「みくちゃん、こっちへ」と私を呼び寄せ、一枚の紙を手渡してくれた。
その紙には、達筆な文字でこう書かれていた。
「みくちゃんにこの言葉を伝えたくてね」
目頭が熱くなる。
昔から不器用で要領が悪く、人一倍努力しなければ、人並みにすらなれなかった。才能あふれる周囲の人たちが羨ましかった。
でも自分なりに懸命に生き、積み重ねてきたことは、決して無駄じゃない。私の人生を、そう肯定してもらえた気がした。
結局は自分次第。これからも現状に甘んじず、自らの力で人生を切り拓いていこう。
「お母さん、ありがとうございます。大事にします」
◇
昼前に荷物をまとめて外に出ると、小林夫妻やゲストのみんなが見送りにきてくれた。出発前に記念撮影。恥ずかしがり屋のお父さんは、ツーショットでカメラ目線をくれない(笑)。
みんなの顔を見たら涙がこぼれそうで、下を向きながら笑ってごまかした。
「本当にありがとう! ここで一緒に待ってもらうのも悪いし、私、もう行きますね」
「行ってらっしゃ~い!」と送り出してくれるメンバーに、「行ってきまーす!」と手を振りかえしながら、私はSOSの看板に向かってスタスタと歩き出した。
しばらく待っていると、シウダー・デル・エステ行きのバスが到着した。乗り込むと、5人掛けの後部座席に座った。
バスが走り出す。後ろを振り返り、窓の向こうに見える民宿小林が、少しずつ遠ざかっていく。そして、あっという間に見えなくなってしまった。
堪えていた涙が、ジーパンにぽたぽたと落ちた。寂しい。最後、ちゃんとみんなの目を見て挨拶をすればよかったな……
ひとしきり泣いてから、財布からお母さんがくれた紙を取り出し、またブワッと涙があふれる。お父さんお母さん、どうか、ずっとずっとお元気で。
だが、いつまでもめそめそしてはいられない。今日は忙しくなる。アルゼンチンのプエルト・イグアスに向かうために、ブラジルとアルゼンチン、2度の国境越えをしなければいけないのだ。
最初の国境まで、どのくらい時間がかかるんだろう。確認しなきゃ……
鼻をチーンとかみ、涙を拭いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?