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悩める高校生よ、「心理学部」を選ぶのはまだ早い

あなたが"心理学に興味があると言っている高校生"に出会ってアドバイスを求められたら、とりあえず「心理学部には行くな」と言っておくとよい。

現在、大学の心理学部で行われている「心理学」とは、概ね、統計を用いて、できるだけ自然科学的に妥当な手法で人の心を明らかにしようとする学問であり、基本的には認知心理学や行動心理学などである(※1)。

だが、上記のような、一般に心理学部で行われている「心理学」と、その他のあらゆる人文学問を混同している人も多いようだ。

社会学、教育学、経済学、哲学や思想、文学、これらは全て「人の心や行動に関するテーマを扱う学問」であるが、いわゆる「心理学」ではない。

組織論、マーケティング論、マネジメント論、人材開発論、コミュニケーション方法論、なども、「日々の生活や業務で直面する人の心に関する課題をどう解決したらいいのか」「自分はどうやったら今の欠点を克服できるのか」の回答を教えてくれるが、いわゆる「心理学」ではない。

精神医学、障害学、ジェンダー論、看護学、ケア論、(医療)人類学、なども、「人がなぜ悩むのか」「苦悩する人に対してどう関わったらいいのか」という問題に関する豊富な回答を与えてくれるが、いわゆる「心理学」ではない。

言語学、美学、科学哲学、メディア論、これらも全て「人はどのように物事を感じ、認識するのか」に関する豊富な知見を持つが、いわゆる「心理学」ではない。

もし、あなたが興味がある分野や単語が上の中にありそうであれば、あなたは心理学部に進まずに、それらの学問分野に進んだ方がよい。心理学部よりは、あなたの関心に近い内容が学べるはずである。

あなたが選ぶのは「どの観点で人の心を見るのか?」だ

この記事を読んでいる高校生の方がいたら、伝えたいことがある。

あなたはきっと「人の心に関わりたい」という想いがあるからこそ、心理学部に進むことを検討しているのだろう。

だが、あなたがどの道に進んでも、(やりやすさの差はあるが)「人の心に関わる」ルートは存在すると思う。例えば、工学部でも「人はどのような設計を使いやすいと思うのか?」という観点で人の心を扱うことはできるし、情報学部なら、「情報システムで、人の心はどのように表現できるか?」(人工知能)という観点で人の心を扱っている。極端な例で言えば、理学部ですら、「人は世界の正しい姿をどのようにして認識できるのか?」(科学哲学)という観点で人の心について考えなければならないことがある。

だが、学部を選ぶ時、「どのような観点で人の心を見るのか」は制限される。

教育学部であれば教育や臨床という観点から人の心を扱うし、保健学部や医学部であれば健康や治療という観点から人の心を扱うだろう。経済学部なら、経済活動という観点から人の心を扱うし、社会学部では、人間の集団という観点から人の心を扱うことになる。

そして、心理学部を選ぶとは、統計を用いた科学的実験という観点から人の心を扱うことを選ぶことだ。

あなたは、そのような関わり方がしたいだろうか?

それでも選ぶのが難しいあなたへ

それでも心理学部に行きたいとしたら、まず一度大学の何らかの研究室に遊びに行くとか、授業に忍びこむ(秘密裏に!)ことを進める。それが、本当にあなたがやりたい学問なのか、己の目で確かめるのだ。

そうではなく、「まだ将来何やりたいかわからないけど、なんか人の心に関わるのって面白そうだから」くらいの"ふわっとした動機"で心理学部を検討していた人もいるだろう。それもそれでいいと思う。高校生は、大学の学問のイメージなど湧かないだろうし、その中でどれをやりたいかを判断しろと言われても、難しいだろう。私もそうだった(※2)。

"ふわっとした動機"で選ぶのであれば、それに適した学部や入り口がたくさんある("総合人間科学科"みたいな学部とか)。大学に入ってから色々な学問をつまみ食いしてみて、自分が楽しいと思える学問を探したらいいと思う。自分の学部の授業がつまらなかったら、他の学部の授業に忍び込んでもいい。ネットで探すと色々な人が読書会や勉強会を開いているので、それに参加するのもおすすめだ。

「人の心に関する学問」はあまりにも広大であり、大学の4年間程度では、全体像を把握することすらできないだろう(※3)。

そして、心理学部の「心理学」はその中のほんのほんの一部にすぎない。あなたが心理を学びたいとしても、「心理学部に進む」という決断は、まだしなくてもいいと思う。色々な学問を渡り歩き、様々な観点から人の心を知るといい。あなたが面白いと思える学問に出会えることを祈っている。

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※1 僕は東京大学に在学していたのだが、東京大学には心理に関する学科がたくさんあった。僕が知る限りでは「文学部の心理学科」「教養学部の認知行動科学コース」「教育学部の教育心理コース」「医学部の健康総合科学科」の4つがあった。この中で、一般の人がイメージする心理学にもっとも近いのは「教育学部の教育心理コース」であり、臨床心理学的な介入手法なども扱っていた。対して、「文学部の心理学科」「教養学部の認知行動科学コース」は、統計を用いるガチガチの実験系であり、統計や実験が嫌いな人にはつらそうだなぁという印象であった。

※2 東京大学には「進振り」という制度があった。入学直後は全員教養学部に入り、大学2年の後半にそれぞれの学部を選択するという仕組みだった。学生の間でも賛否のある制度だが、私自身はこれに非常に助けられたと思う。

※3 僕は上述の「医学部の健康総合科学科」に進み、公衆衛生や精神保健学、医療人類学、生物学、統計学などを学ぶ一方、留年してるのに文学部の授業に忍び込んでは哲学やら宗教学やら経済学やら障害学やら死生学やらをつまみ食いするという変な学生であった。社会学系の友人と読書会を開いたこともあった。知り合いが、東京大学の心理系学科の学生が学部を横断して集まって勉強するという会を作ってくれて、それにも入会したのだが、メンバーと集まってよく話していた内容は、思いっきり科学哲学(認識論など)の話題だった。私は卒業研究で「精神障害ピアスタッフの実践の現象学的研究(ざっくり言うと、精神障害を持つ人の同士の支援はどのような特徴があるのか、という研究)」をしていたのだが、これは精神看護学教室の教官、成人看護学の教官、文学部の哲学の教官の3人に指導してもらいながら書いた。オンラインでカウンセリングを提供する会社(https://cotree.co)に所属し、組織論やマーケティングなどを勉強しながら、Webエンジニアの仕事をしている。これらの経験を総合して思うのは、「人の心に関わる学問」というのは定義が緩すぎて、あまりに広大であり、とても一つの学部に収まるものではないということだ。

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追記(3/28)

この記事を3/27(水)に公開してから、1日で6000Viewをいただいた。はてなブックマークのホットエントリ(上位20位)入りもしたらしい。

この記事を書いたのは、身近な人から進路の相談を受けたからだったのだが、こんなに広がるとは思っていなかったので、驚いている。

想像以上に広がった結果、方々からツッコミのコメントもいただいた(※4)ので、いくつか転載しておく。

・統計的正しさだけにとらわれないほうがよいし、統計だけを理由に敬遠しないほうがよい

駒場キャンパス時代(大学1,2年生)の頃に心理学を講義いただいた大久保 街亜先生から言及をいただいた。(びびった。)わかりやすい授業と独特のキャラクターで、毎週の講義を楽しみにしていた先生だった。

歴史的な経緯から、心理学界隈では外から観察可能な行動だけを扱うことが正当な"科学的"姿勢だ、とみなす風潮が強いそうだが、科学哲学などの分野では、これを批判する議論もある(※5)。統計を用いた手法だけが科学的手法なわけではない。誤解を招いていたら申し訳ない。

また、統計が苦手だから、という理由だけで、心理学部を選択肢から外すのも良いことではないと思う。どうせ、どの学部に進学したところで、一日中やりたいことだけを学び続けられる訳ではなく、我慢して学ばないといけないことはあるのだ。たまたまそれが統計だったというだけである。ちょっとでも心理学が面白そうな気持ちがあるなら、覚悟を持って飛び込んでみるのも、ありかもしれない。心理学は心理学で面白いことはいっぱいあるのだ。

・大学によって事情は異なるでしょ?

私の所属する心理学科は、記事に描かれているようなガチガチの実験ではなく、もっといろんな観点から心理を学べますよ、という趣旨のコメントも来ていた。大学によって事情は異なると思うので、それぞれの大学を調べてみてほしい。

・「心理学部」じゃなくて「心理学科」じゃない?

多くの大学は「(文学部)心理学科」であり、「心理学部」なんてほとんどない、というコメントも頂いた。確かに。適宜、必要に合わせて読み替えてほしい。

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※4 これはただの愚痴だが、執筆している段階では、当然こんなに拡散されるとは思っておらず、「身近な何十人かに読んでもらうための文章」だと思って書いているのだが、一度バズると、突然「数千人が読む記事」になってしまい、「なんでぇ、多くの人が読む記事なのに、間違ったことばっかり言ってやがる。ロクでもねぇやつだな、俺が正してやる」みたいな姿勢のコメントをいっぱいもらった。言われてみればたまに自分も同じことをやるので何も言えないのだが、「別に有名記事になるつもりで書いたわけではないのに、なぜ求められる水準が後出しで高まるんだ」と理不尽な気持ちになった。「筆者が記事を書くときと、読者が記事を読むときで、文脈が変わってしまうこと」が原因だと思うので、ぜひ社会心理系の人にこの構造を研究してもらい、改善してもらいたいなと思った。

※5 私は、卒業論文を書くときに、"現象学的看護研究"という、珍しい質的研究手法で論文を書いていた。これは、一般に"科学的"とされる前提からは大きく外れる前提を採用した手法である。村上靖彦先生の摘便とお花見や、西村ユミ先生の語りかける身体などがこの手法による研究成果としては有名であり、とても面白い本なのでぜひ読んでみてほしい。
東大の精神看護学教室には、この研究手法に詳しい教官がいなかったため、グラウンデッド・セオリー・アプローチに詳しい山本則子教授や、哲学研究室の榊原哲也教授など、複数の教官の元を渡り歩きながら学んだ。学部4年生の1年間だけでは無理そうだったので、もう1年間留年して質的研究手法の学習をし、学部生なりに「科学的と言える研究手法とは何か?」についてずいぶん悩んだ。指導教官ですら完全には理解していない研究手法に挑み、いろんな本を読んでは、様々な先生を訪ねて質問し、初めての研究手法を自分のモノにする、というのは、学部生にとってはかな〜りキツかった。
そういった経緯もあって、私は質的研究に個人的な思い入れがあるので、統計至上主義的な心理学に対しては、やや敵対心がある(この記事にも、そういう私の気持ちがちょっと反映されている)。「質的研究は筆者の解釈が入るので客観的ではない」とする意見もあるが、量的研究も結局は「この数字をどう解釈するか」という点で筆者の解釈が大きく入る。(数字は嘘をつかないが、数字の解釈ではいくらでも嘘を吐けるのである。)結局のところ、大事なのは、一つ一つの主張を吟味し、このデータから本当にその結果が言えるのか、丁寧に一つ一つの解釈の妥当性を検証することなのであって、質的研究だろうと量的研究だろうと、そこに違いはないだろう。心が観測不可能なものである以上、心を一切の研究者の解釈抜きに語ることは不可能であり、「できるだけ妥当な解釈」を目指すしかないのである。
なお、私の卒業論文の要約は、雑誌"精神科看護"の2018年7月号掲載の「精神障害ピアスタッフの実践の現象学的分析 : ピアの視点を看護に活かすために」で公開しているので、興味がある方はぜひ読んでほしい。私も、大学生活を投じた研究へ、コメントをぜひ聞いてみたいと思っている。


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