ことばのうみのはじまり6 淡さ

小学3年から同じクラスになった真中という子がいた。
頭も人柄もよく、何というか雰囲気があった。
元ドラえもんの大山のぶ代のような大らかさを思い出す。
隣の席だったからそういうのも分かったのかも知れない。
衛生検査、のような名目でハンカチ、ちり紙を持ってきているか抜き打ちで検査されることがあった。隣の席同士で確認しあい、さらには足の爪をちゃんと切っているかまで見せ合う。そんな時も二人で笑いながら照れながらほんわかした空気で検査しあった。

真中はクラスでも優秀さを認められていたので、学級委員をやっていた。
わたしは特にこれといった役目も役名もない、ただの児童A。
仲良くしてくれているといっても真中は高嶺の花という感じだった。
きっと育ちが違うのだ。
そもそも学級委員なんていう役職はわたしなら重責で吐いてしまう。いったいどこで学級会の司会のやり方なんて教えてくれるのだろう。
わたしはそういったものへの関わりは、友だちが立候補して選挙になった時にポスターを描いてあげるくらいだった。
友だちが自分の名前の旗を持って歩いているポスターをあの頃よく描いていた。絵やマンガを描くのは好きだった。

真中とペアになる学級委員はだいたいわたしがポスターを描いてあげた友だちだった。4年生になってもわたしはポスター職人だった。

ある日の放課後近く、担任のヒゲヅラに呼ばれた。
「学級委員の横山が欠席してるから、代わりに学級委員長委員会に出てくれないかい」
少し混乱したが、3~6年生各クラスの学級委員が集まる会議らしい。
なんでわたしがそんな大役を。
なにか悪いことしましたか。給食係での働きが悪かったですか。確かに横ちゃんは友だちだけどそんなノウハウ聞いてない。ていうかよく見ろヒゲヅラ!お前が声をかけてるのはただの児童Aだぞ目を覚ませ!


「会議は児童会の会長や副会長がやるから、ただ座っていればいい。」
そんな乱暴な説明のみで、ずらりと長いコの字型に机が並べられた会議場に放り込まれた。
都市部の学校なので各学年5~6クラスあり、委員50人以上が集まる。
4年生なので末席の方だ。会長や6年生の座ってる方なんて霞んで見えない。
なにこれ。吐いていい?意見とか聞かれる?みんななんて堂々としているんだ。立派だよ。立派なのは認めるからトムとジェリーの再放送を見てた日常に返してほしい。

ザワザワとした会場に人が集まってくる。
自分の座る席は分かったけど、どこを見ていればいいのか分からない。
目に入る人皆が優秀そうに見えるし、わたしがポスター職人でしかないことを見透かされているようにも思う。
同学年の他のクラスの学級委員もそういえば見たことがある大人っぽい人種ばかりだ。こんなとこ居られない。
トムとジェリーの再放送を考えるしかない。

「緊張、するよね」
クラクラしているわたしに隣にいたペアの真中が声をかけてくれた。
真中はもじもじしながら「私も緊張する」と笑う。顔が赤い。
何度となく委員長会議に出ている真中でもこんな顔するんだ。
惚れてしまうだろ。
嘘なんてつけないだろ。
わたしは精一杯「うん」と正直に答えた。
ピンチヒッターとは言え、真中の隣に座ってるだけでもいいじゃないか。
発言をする事もなく本当に座ってるだけで会議は終わった。
それでもなんとなく、何かのひと山を越えた気がした。

5年生になってからは何の酔狂かわたしを学級委員に推薦する友だちが増えた。
ポスター職人なんですけど。
ただひと山越えたわたしは「出来ないこともないか」と思えた。
それに父母に誉められたいという思いもあった。
なんとか委員長というのは分かりやすい価値を感じさせる。


6年生では晴れて真中とペアで学級委員を務め、修学旅行にも行った。
児童会の会長選挙にも出ることになった。
全校集会での演説では「どうせ公約なんか掲げても達成できる訳じゃない口先だけのパフォーマンス。自分が後悔しない人をその目で観て選んで下さい」とだけ言った。それをトップバッターで言ったので後の人は困ったかも知れない。落ちるだろと思ったら副会長になった。
色んな行事の開会の言葉や閉会の言葉、挨拶の言葉などメモも見ずにやる。
いつの間にかこなせる人になっていた。合間に学芸会の劇の主役もやっている。
今のわたしでは到底できない。
大人になって余計なことを考えるようになると、緊張が飲み込めなくなる。

委員長職というのは議場の流れを俯瞰して見ることができるという楽しさがある。長引きそうなら必要な材料を整頓して場にもどし、不要な脱線があれば指摘して進行する。
高校まではやりたい人がいない場合のみ、そういったことも引き受けていた。
どうやら世界はポスター職人でも回せるらしい。

真中とは、どうなったか。
6年生の後半、真中の母親が病死した。
友人2人と葬式に行った。参列者を見送る家族の中に真中を見つけたけど
何て声をかけたらいいか分からずお互い目を合わせて「へへへ」と不謹慎にも笑った。
育ちがどうとか高嶺の花とか勝手なイメージで見ていたけど、家族の病と戦っていたんだ。その痛みを上手に隠していたんだ。
やっぱり…わたしのような単純な人間とは違っていた。

中学校までは一緒だったけど、一度も同じクラスにはならず別々の高校へ進んだ。東北のわたしの居た地域は、恋愛やお付き合いに関してかなりの奥手だった。
付き合うとか告白とか、英国のものかというくらい遠いものだった。
それともあれはわたしだけだったろうか。


高校の時、インターハイのどさくさで
市内の高校生が競技場にワッと入り込んだ事がある。
リハーサル終わりのおふざけみたいなもので
人混みの流れの中にわたしは居た。
ワッショイワッショイ
その対流の中に真中を見つけた。あちらも多分気づいていた。
人の波を泳げば泳げただろうけど何を話せばいいかも分からないしお互い流されるままに見えなくなった。
帰りに競技場の周りをぶらついてみたものの逢うこともなかった。


あの時「緊張するよね」と声をかけてくれた勇気を忘れない。
友達の応援だけで表舞台に立つことがなかったわたしが
淡く「追いつきたいな」と思った初めての人。

わたしはいい思い出になれただろうか。

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