ことばのうみのはじまり1

わたしは幼稚園で挫折している。
他人と集団をつくる最初の時点でわたしは最弱だった。
登園拒否というのだろうか、入園した4月にはもう門の所で泣きわめいていた。

いじめられたという訳ではない。
むしろ活発な女の子などは構ってくれたが、
それすらわたしを泣かせる要因になって「別になにもしてないよ」と言わせてしまったりしていた。
何もかもが気に障った。一人で「ねずみくんのチョッキ」ばかり読んでいた。

担任は新人の若い女の先生。とても優しくて可愛らしいショートカットの先生だった。
となりのツツジ組はベテランで頼りがいのある一つ結びのメスゴリラ先生だったので、本当にフジ組で良かった。
でもそんな優しくて可愛い新任先生だとしてもわたしは登園を嫌がり、
毎朝幼稚園の門で母と先生に手を引っ張られては泣いていた。
門を通って行くほかの児童たちの視線を感じ、さらに悲しくなった。
他にこんな子はいない。
「あのこなんで泣いてるの」「いつもだね」「変だね」
言葉にしなくても弱いわたしには聞こえていた。
きっと先生だって「こんなはずじゃなかった」と傷つき疲弊しただろう。
わたしだって「どうしてこんな哀しい恥ずかしい思いをするんだ」と思っていた。

なにがイヤだったのか今なら少しは言葉にできる。
でもそれだけかどうかは自分にも分からない。
行動がすべてロジックに基づくわけでもない。
むしろ大体の理由はあとづけで、自分を納得させる補強材のように思う。
恋の相手、趣味、天職、住む場所、好きなもの、嫌いなもの。

幼稚園に入るまで、
わたしは両親や親族、近所の人たちに守られ幸せに暮らしていた。
国鉄アパートの一番古いボロ棟に住んでいたし、欲しいものが買えるほど裕福ではなかったけれど、産まれた時からそうだから別に文句もない。
風呂は火が点きにくく、夏には大きな蚊が入りこむ。
軒下はどぶねずみが走り回る。
エアコンはあるはずがない。
テレビでドラえもんを知ってはいたけど、漫画本という存在は小学校に入ってから知った。
でもわたしは何も気にしたことがない。
風呂の壁により大きな蚊のスタンプが増えるのを楽しみつつ、ペタン!と蚊をたたいていた。
不満がなかったし不足を知らなかった。
今思えば恋に発展するような幼なじみが居なかったのは不満だけど、
親友は隣に住んでいたし、恵まれていた。

知らなかった不満を幼稚園に入ることで知ることになる。
他人と比べて弱く劣っていると。
わたしは「不自由」に弱いのだと思い知る。
当時はそのイヤなものが何か分からないままとにかく泣いて抵抗していた。
同じ服を着せられ
決まった時間に登園し
決まった歌や絵を訓練させられ
揃いの知育道具で好きでもないものを作り
知らない人に主導権を握られ
知らない大勢と同じ部屋に入れられ
一日の大半をその柵の中で浪費する。

それまで自由に生きてるだけで楽しく幸せだったのに、
わたしは柵の中に預けられるだけで不安と不満にさいなまれた。
新しい「他人からの教育」という環境に順応出来なかった。
これは生まれながらの性分としか言いようがない。
大人になるまで生きてきたからこそ身に覚えのある原点がここに垣間見える。
縛られて生きていけない。
ゼロから自分で考えたい。
自分が決めた人にだけ手綱は握らせる。
どうでもいいことはどうでもいい。

エジソンの母親は、エジソンが小学校に馴染めないことを教師に咎められた際
「あなたにうちの子は教育できない。明日から私が教える」と自宅で教育し始めたらしい。
自分の子供を信用する力が強かった、という逸話だ。
結果エジソンは金と嘘と欺瞞の人間に育ったので良かったかどうかは何とも言い難いが。

わたしの母は客観的に見て、賢く人情厚く強い人間だ。
父は良い選択をしたとわたしでも思う。
しかし毎朝幼稚園の門で繰り返される大岡裁き子争いのような
「いらっしゃい」「行きたくない」「行きなさい」のやりとりは
母を疲弊させた。
母は自分が出来る人間である分、何故この子は出来ないのか
どこかおかしいのか
自分の育て方が悪かったのか、分からない。
他の子と同じように出来ない我が子を恥じる心もあったろう。
次第に「ノイローゼになりそうだ」が口癖になっていった。
わたしの目の前で大きなアカンベーをして
「ほれ見てみろ、お前のせいでお母さん泣きすぎて目が真っ赤だ。ノイローゼだ」と見せられた。
わたしは悪いことをしてるな、と思ってはいても、何がイヤで行きたくないのか言葉で説明できる理解を自分自身出来ていなかった。

「その人にとって何が大切なのか」思いを馳せることが母には出来なかった。
本人がやめてくれといっても、それを押し返して「こうした方がいい」と我を通してくる。

ある日園長先生の部屋に呼ばれた。
幼稚園で呼び出しを食らうのはなかなかだ。
骸骨のように痩せた優しいお爺ちゃん先生。
本当に優しく「ポッカちゃんは幼稚園嫌い?」
「明日も来れる?」「じゃあ園長先生と約束だねえ」と話してくれた。
わたしはウンウンと頷いてはいたけど
当然、次の日も門の前で行きたくないと泣き叫んでいた。
幼稚園児に説得も理詰めも約束もあるか。
イヤなものが次の日に変わるわけがない。
因みに園長先生は次の年本当の骸骨になった。

どんな心境の変化があったわけでもないが、ねずみのチョッキものびすぎるほどにのびきった頃
わたしは徐々に幼稚園に馴染んでいった。
弱さを克服した?ーそれは表の事実で。
裏の事実は幸せ(自由)をあきらめていった。
そして真の事実は「こんなに大好きな親であっても、わたしを理解できない」という教訓を得た。
当時は頭で考えてはいない。大人になった後で、あとづけで、そんな風にあの頃を言葉でなぞる。
わたしは弱い。だけど自分が守るべきものは理解した。

小学校に入ってからは憑き物が落ちたように楽しく過ごした。
あんなに悲しかった時間の束縛も気にならなくなっていった。
社会に馴染ませるための母の尽力は正しかったのかも知れない。
わたしは文句をいわれない程度に仕事をこなす能力を手に入れた。
自由への長い道程の第一歩だ。


ーーー大人になってから聞いた話。

幼稚園でこんな有様だったので、果たして小学校でうまくやれるだろうか。
わたしが小学校に入学してから、父はこっそり学校に覗きに来たことがあったそうだ。今風に言うと不審者だ。
その日はプール開きで、その中にわたしを見つけた。
「大丈夫だべか」と覗く父。
先生は子どもたちに向かって「泳げる人はいるかな~?」と聞き
すかさずわたしが「はいはい!」と手を挙げる。
泳がしてみると5メートルも行かずに沈む。
「もう~ポッカ!」「ははは」とおどけるわたしの姿とクラスを見て、
父は「ああ、もう大丈夫だ」と安心して仕事に戻ったという。

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