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航海の地図だなんて、大それたものではなくても


高校入試の面接で、「あなたを乗り物に例えるなら何ですか?」と聞かれました。

全く回答を用意していない質問でした。しかし、意外なことにも私はスラスラと答えられたことを覚えています。

「私自身を乗り物に例えるなら、船だと思います。船は、潮の流れの方向や速さ、波の高さに身を任せて、大きな海を進みます。私は、そういった周囲の環境に合わせていくことが得意です。しかし、流れに乗っても流されることはないよう、しっかりと舵をとらなければならないと思います。」

詰まることなく一言一句をこんな風に話せてはいなかったと思いますが、こういった内容の回答をしました。

新幹線や電車のように速く一直線には進めない自分であること。飛行機のように空中を速く飛ぶことはできない自分であること。周囲の影響を最も受けやすいこと。どうやらそういった自分の本質は、この頃から何となく理解していたみたいです。

国際荷物だって、船便は最も遅く時間がかかる。きっと、そういう感じです。遠回りしちゃうし、天候や潮の流れにもの凄く左右される。時間がかかる。不安定でもある。

飛行機だったらなぁ。迷いのない一直線の飛行機雲を描いて、まっすぐに飛んでゆけたら。そんなこと、もう何百回と思いました。私が飛行機雲に目を奪われ心が動かされる理由も、そういった憧れの感情からなのかもしれません。


それでも、流れに乗った時の自分は割といい感じに進みます。この流れに乗って、行きたい場所へ、会いたい人のところへ、何処にだっていける気がしちゃいます。波に抗う程の体力はなくとも、潮の流れを味方につけて、何にだってなれる気がします。

弱点は、流されてしまいやすいところ。不安定な時には、舵をとることも出来なくて。大きな広い海で、周りばかりに目を向けて、その影響をすべて受け止めてしまう。自分自身がどんどんと流されていることに気付けないまま、いつの間にか自分を見失ってしまうのです。


ずっと、周りの目を気にして、周りの意見に気をとられて生きてきたように思います。常に、他人というフィルターを通して、自分を見ていました。

みんなにどう思われるか。こんな自分の一面をあの人は嫌うかもしれない。あの子がやりたくないなら私がやらなきゃ。あの人に比べて私はここが足りない。みんなは私にこうして欲しいはず。あの子みたいに出来ない私。みんなに求められている私でいたい。

他人のフィルターを通して、選択をする。だからこそ、他人のせいにすることも簡単でした。

そんな私が、きっと初めて、自分でした選択。それが、ワーキングホリデーに行くことでした。胸の高鳴りと“直感”を信じて、船を進めるのみでした。

自分の気持ちに従って選択をすることが、こんなにも誇らしいこと。自分のやりたいことをすることが、こんなにも気持ちいいこと。

初めて知る快感でした。ありきたりな表現ですが、一皮剥けたような、殻を破ったような感覚でした。

自分で選択した日々を自分で生きたこと。それが何より誇らしく、その経験が愛おしく、沢山の人に助けてもらった思い出のその全てが、自信となりました。


そして、影響を受けて揺らぎやすいこの気質に名前があると知ってからは、自分のことを受け入れられるようになりました。

空中にふわふわ浮いていて掴めなかった何かをやっと掴めたような、もやもやーっとしていた輪郭がはっきりとしたような、そんな感覚でした。

決めつけられるのは大嫌いなくせに、自分の所属先があることに、安心したんです。周りからその括りで見てほしい訳ではありません。自分が自分のことを受け入れる為に、必要だったんです。

気にし過ぎる、気づき過ぎる、感情の振り幅が激しい、複数のタスクを同時にこなせない、すぐに動揺する、そんな自分に疲れる時もあります。表裏一体で、多重人格のような自分と付き合っていくのは、確かに波乱万丈です。


おっとりというイメージを持たれるけれど、心がいつもせかせかしているところ。癒し系だと言われるけれど、辛辣な意見を持っているところ。気付かなくてもいいことに気付いてイライラしているところ。

他人に見られたくない自分、他人に知られたくない気持ち。そういう一面が確かに自分の中にあることを、ずっと認めたくありませんでした。

けれど、そんな隠したい無くしたい一面も、まるごと私なんだということが、この気質に関する本を読んで分かりました。

だから、そんな一面も、隠し味みたいで、スパイスみたいで、いいんじゃない?と思うようになりました。ちょっと良く例え過ぎかな?


敏感で、気付くことが多い自分で、良かったと思うこともあります。

まだ気付かれていない誰かや何かの素敵なところに気付くことができるのって、特権です。見過ごされていた誰かの頑張りや我慢した気持ちを掬うことができるのって、大切です。

道端に咲く小さな花の命に勇気をもらったり。まっすぐに伸びる飛行機雲に大丈夫の気持ちをもらったり。風に揺らぐ新緑の木々に新たな1日の始まりを感じたり。光の反射で架かった虹が幸せだったり。

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受け取る幸せがとても多い、日々の暮らしです。

そんな自分の暮らしが、愛おしいです。そんな暮らしをつくっているのは、私の周りに居てくれる人と、自然と、おいしいもの、そして私自身です。

自分自身というフィルターを通して、私の周りに居てくれる人たち、私の周りにあるものを改めて見渡してみると、思い知るのです。こんなにも、満ち足りていることに。


そして、言葉が、日々の暮らしに彩りを与えてくれることを知りました。振り幅の大きい豊かすぎる感情を言葉に紡いでいくと、自分がいくつもの物語を生きていることを知るのです。日々の暮らしが、彩られるのです。

私は、自分の気持ちを言葉にすることで、自分と向き合っているんだと思います。この時間が、この場所が、とても大切です。


きっと年齢なんて関係なく、いつだって揺らいでは、流れに乗れば進んで、小さな嵐が来てはひと休みせざるを得ない。そんな日々だと思います。

人生は不安定な航海だって、シェイクスピアが言ってたみたいだし。シェイクスピアのことはよく分からないけれど、海を航るように、ドラマチックに、生きていられたら。

休憩で立ち寄った小さな島で出逢った人に助けられ、そして助けることが出来れば。流れ着いた先で出逢った誰かが仲間になったりもして。なんだかあの有名なアニメみたいになっちゃいました。


揺らぎながら、目的地は変わったっていいと思うんです。それさえも、楽しんでしまえれば。

大切なのは、目的地ではなくて、自分を見失なわないこと。大きな広い海で、この世界で、自分だけは、自分を見失ないように。

そんな自分の心の中に、いつも余裕を持っておくこと。そのスペースは、自分以外の誰かの為に使えるようにしておくこと。


航海だなんて、大それたものではないけれど。

蛇行運転の寄り道ばかりで描き上げたこの地図が、いつか誰かの、道標になるのなら。

きっと素晴らしい物語になるのではないかと、わくわくしています。


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