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2024年、文章を書くこと。


2024年になりました。

どうか北陸に雨や雪が降りませんように。今日は少しでも暖かい日でありますように。一日でも早く、一人でも多くの人が日々の暮らしに戻れますように。そんな祈りを込めて胸の前で手を合わせることくらいしか出来ないけれど、どうか多くの人がそう祈り願う気持ちが届きますように。



今年も私はこうして文章を書いていきます。どうぞよろしくお願いします。今年は昨年よりもっと文章を書きたいという気持ちが膨らんでいます。

仕事に精一杯で書く余裕を生み出せなかった昨年でしたが、今年はちゃんとアウトプットをしていきたい。思い描いていた自分の生きたい人生を生きることを、年末年始にかけてふわっと決めた次第です。覚悟を決めたという程きちんとしたものではないですが、ぼんやりとしていたそれを叶えられる未来もあるんじゃないかなと、何となくそんな気がしているのです。そこに向かってアプローチをしていく為にも、書くことを続ける1年にしたいなと思っています。


noteを始めて3年の月日が経過しました。毎日投稿でもなければ毎週投稿ですらない私のnoteですが、それでも毎月は投稿してきたようです。ペースこそゆっくりではありますが、普段三日坊主にすらなることが難しい私が3年間何かしらを書き続けている。これは凄いことです。

続けている理由は単純に、書くことが好きだからなんだろうと思います。誰に強いられているわけでも何かを課せられているわけでなくても、書こうと思える。そしてきっと、ある程度向いているんだろうとも思います。思考が散らばって何だか上手に話せなくても、書くときは心が落ち着いています。書かなければ容量オーバーになってしまうくらい毎日毎日あらゆる思いが浮かんでは漂っているので、時々は書いて整理をしてあげなければならないというのもひとつ。書いて残してあげなければ、シャボン玉のように浮かんでは消えていく言葉や思いがどうにも儚く思えたりもします。

更には、時々自分の書いた文章が誰かの役に立てることがあった。救われました、ありがとう、という言葉を貰うことがあって、その時の嬉しさのような感動のような気持ちが私にとって宝物みたいな感情だったから。というのも文章を書きたいと思う大きな理由です。

30歳の誕生日を迎えるとき、私は30代のテーマを浮かべました。掲げるとしんどくなりそうだったので、あくまで浮かべたまでです。

そのテーマは、「与える人になる」というもの。生きづらいと嘆いていた20代前半までの私ですが、20代中頃からはこの先どんな人間になりたいか、これからどんな生き方をしたいかと考えるようになりました。


振り返ってみると、沢山のものを与えてもらってきた人生です。愛情、優しさ、思いやり、言葉、美味しいもの、学び、楽しさ、感動。

そういう自分が与えられて嬉しかったもの、知ることが出来て良かったと思うことを、今度は私から誰かに渡していきたい。過去の私のように生きづらいと悩んでいる誰かの元へ届くように発信したい。経験とともに歳を重ねる楽しさをもっと多くの人が感じられたらいいな。そう思う気持ちが次第に強く膨らんでいきました。

そしてきっと無意識の部分で、「与えてこそ与えられる何か」、それこそが歓びなのかもしれないと気付き始めたのだろうと思います。その何かは物質的なものではなく、感情のようなエネルギーのような目に見えないものです。

まずは素敵なものばかり並べてみましたが、実際には受け取らなければ泣くことも悔しい思いもする必要がなかったことだって数えきれない程あります。痛みを感じることも、傷が出来ることも勿論ありました。

その傷跡は綺麗に消えたのかと問われると、そんなことはないです。けれどこの傷跡は、疼いて眠れない程に痛むものでないのであれば、消し去ってしまわない方がいいのかもしれないと思うことだってあります。

以前、仕事で自分が思いを込めて行ってきたことで、ひとりの人にとても感謝されたことがあります。感謝されただけでなく、自信や希望に繋がったと本人から伝えてもらったことがありました。

私はその時これまでの全てが報われた気持ちになったのです。きっと彼女にそう思ってもらえたのは、私が痛みを感じたり傷ついたりしたからこそ気付けて行動したことや、発することの出来た言葉があったから。

何かを発明したわけでもなく、何かに成功したわけでもない。昇進したわけでもなく、金メダルを手に入れたわけでもない。それでも、報われたと感じました。ひとりの人へ自分の何かが届いたことで、これまで私が私として生きてこれて良かったと思えました。

私は相手や誰かを傷つけてしまったこともあります。自覚しているものも、無自覚のものもあるだろうと思います。いつまで経っても間違えることはあって完璧にはなれないけれど、一歩ずつでも、少しずつでも、学びながら善い人になっていきたい。そんな気持ちもあります。


与える人になりたいと言っても、心を揺さぶるアート作品は創れないし、配れるほどのお金もない。専門書を書ける程の突出した知識もスキルもない。この私から、一体誰に何を与えることが出来るだろう。自分は何者でもないと嘆いていた頃もあります。

しかし、何者でもないからと言って、何もないわけではありません。何者でもないことは、何にでもなれる特権でもある。変幻自在自由自在に私が出来ること、与えられるもの。それは、経験から得たものです。

自分の心の声を聞いて決めたことを自分で行動に移す。やりたいことを声に出してみて周りの人に助けてもらう。そんな経験を積み重ねていくうち、こんなにも生きやすくなりました。歳を重ねるごとに楽しくて、毎日が愛おしいです。


不安ながらに行動してみたこと、失敗して誰かに助けてもらったこと、思いきって一歩踏み出してみたこと、悲しい時に誰かに優しくしてもらったこと。そうして積み重ねてきた無数の大丈夫が、私を強くしてくれました。

生き方に正解なんてないけれど、もしも私の経験が、誰かや何かのヒントになるのなら。生きづらいと感じている人が生きやすくなるために、この経験を活かせるなのなら。一歩踏み出す勇気が出せないと悩んでいる人に、私の失敗談が役に立つのなら。

与えることができるという表現はおこがましいけれど、自分の経験を持って紡いだ言葉が、書いた文章が、誰かに何かを届けることが出来るかもしれない。その可能性があるなら、ゆっくりでもチグハグでも、書くことを続けていきたいなと思っています。と言いつつ何でもないただの日記を書くことの方が多いですが、それはちょっとした脳休めのような娯楽になれば嬉しいです。

2024年、不規則で正直な文章を、書いていこうと思います。


じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^