Bさんが語り継ぎたかった特攻
Bさんから差し出された名刺には、
「△△県 松空甲飛十五期会」
という肩書が書いてありました。
「これは、どのような会なんですか?」
と聞いた私に、
「一緒に特攻の訓練を受けた仲間との会です」
と答えてくれました。
続けてBさんは、
「特攻と言っても、よく知られている飛行機で敵艦隊に体当たりではないですよ」
少し間をおいて、
「伏龍(ふくりゅう)、と言っても知らないでしょう?」
言われる通り、初めて聞きました。
「もしよければ、教えていただけませんか?」
お願いすると、初対面の私に、そこから約1時間「伏龍」のことを話してくださいました。
Bさんが「伏龍隊」となったのは、太平洋戦争末期。
訓練のため、愛媛県の湾岸に集められたそうです。
すでに沖縄はアメリカ軍が上陸。
次は本土。
本土に上陸するなら、高知県の南側からであろうと予測されていた。
アメリカ軍が上陸する前に、敵艦隊を撃破する。
そのための作戦は、酸素ボンベを背負った兵隊(伏龍隊)が海底に沈んでおき、頭上を通過するアメリカ艦船を、先端に爆弾が装着している棒で突く。
「考えられないでしょう?」
とBさんは静かに笑いました。
「でも、当時はそんなこと考えてませんでしたよ。お国のために死ぬことは、当たり前という世の中でしたから」
「残念ながら訓練中に死んだ仲間もいました」
「結局、私たちは高知県に行く前に終戦を迎えました」
「戦後にわかったんですけどね。アメリカ軍は沖縄に上陸する前に、ものすごい艦砲射撃をしているんですよね」
「もし、伏龍隊が海底に潜っていたとしても、艦砲射撃で全滅でしたね…」
ここまでBさんは、どちらかと言えば淡々と話されました。
私が見て、少しさみしそうな表情になったのは、戦後の話をされたときでした。
Bさんは戦後結婚され、子どもが生まれ、孫も生まれました。
会社に就職し、定年まで勤められました。
孫や会社の若い人たちに、「二度と繰り返してほしくない」という思いで、伏龍のことを話していたそうです。
ただ、返ってきたのは、
「なんで国のために死ななければいけないんですか?」
「逃げたらいいのに」
Bさんは、「もうわかってくれないんだな」と思い、自分から伏龍のことを話すのはやめたそうです。
戦争を体験した方、被爆した方の高齢化が進んでいます。
このBさんも5年前に亡くなられました。
元気なうちに、もっと伝えたかったのかもしれません。
「考えられない作戦」だったから。
そして、おそらくほとんどの方に知られていない作戦だったから。
Bさんの「伝えたい」気持ちを奪ったのは、「聞く側の姿勢」だったと思います。
福祉施設で働く職員としてだけでなく、1人の人間として、
「人の話を聞く」
「この人はなぜこの話をしたいのか、気持ちや感情を理解する」
Bさんと関わったことで、あらためてその大切さを感じました。
「伏龍隊」について、もう少し知りたいと言われる方は
『群青に沈め』熊谷達也著(角川文庫)
があります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。