見出し画像

留学の5W1H -留学編 その2-

高校時代からなんとなく海外に憧れていた自分は、
幸運にも20歳で個人で留学という選択肢を選ばせてもらえた。

これは一重に夢見がちでアホな息子を金銭面を全面的にサポートをしてくれた親のおかげではある。
そのことは十分に承知している。
だが実際にこの選択の舵を取ったのは自分だ。

いうならば親が出資した資本家で、私が私という会社の経営者である(?)
きな臭いビジネス勧誘みたいな話になったついでに、
資本家ならぬ親をどう説得したのかビジネスでよく用いられる5W1Hで解説しようと思う。

When(いつ):
留学するなら年齢が若ければ若い方がいい、これは高校生ながら気づいていた。
当時は日本のメディアに、海外がバックグラウンドな芸能人がデビューし始めていた時だ。
彼ら彼女らの英語の発音を聞いていれば幼少期での語学体験がいかに大事かは火を見るより明らかだ。
加えて、東海地方の工業地帯という土地柄、日系ブラジル人のクラスメイトからも学ぶことがあった。
小学校から日本にいるクラスメイトと中学から親の都合で日本に来た日系ブラジル人クラスメイトの日本語の上達具合を見て…
明らかに語学力、何より日本という異国の環境への馴染め方が違った。
しかし、高校卒業後直後に留学するのは流石に二の足を踏んだ。
ご都合主義な自分は日本の専門学校に通いながら英語を勉強し、専門学校を卒業した後、つまり20歳になったら留学することにした。
大学を卒業してからにしろとか色々言われたが、親もまぁ納得した。
今思えば数年後には海外留学への熱が冷めていると思ったのだろう。

Where(どこへ):
B'zから音楽にのめり込み、ボンジョビ、ガンズアンドローゼス、ニルバーナ、ブライアンセッツァー…アメリカンなロックに傾倒していた私の選択肢はアメリカ一択だった(世代的には大分ズレてます)。
場所はもちろんひかり輝く太陽とやしの木が生い茂るカリフォルニア。
当時としてはまだ珍しく海外にも旅行経験があった旅行好きな親は、子がどこに行こうとも特に気にかけない様子だった。

Who(誰が):
自分だ。
知り合いが誰もいない異国の地に留学したいなんて言い出す息子に当時の親はどう思っていたのだろうか…

What(何を):
何を学ぶか…大半の高校生が進路を悩むところだが、自分の場合はミュージシャン一択だった。
ここには親も賛成だった。
音楽に関係する仕事に就ければいいと言い出した息子に、中途半端なことはするなと本気で怒る親だった。
楽器演奏や音楽理論など基礎的なことを日本の専門学校で学んだ後、ジャズやロック等のより専門的な分野を本場の地で勉強をしたいと無理矢理こじつけた。

Why(なぜ):
好きなことを憧れの場所で学びたい。
この一言に尽きたが、親には語学力の大切さを力説した。
当時はグローバリゼーションなんて言葉はなかったが、そんな感じのそれっぽいこと言った。
仮に夢が果てた後でも語学力で何とかなるかもしれない、そんな保険的な意図もあった。
中途半端なことはするなと怒る親の前では言えなかったが。
今思うと、この発想とこの経験が自分の人生の下支えになった。

How(どのように):
実を言うとさすがに18歳の子供にここまで頭は回らなかった。
なんとかなるだろうとたかを括っていた。
そんな息子を見てか親は、高校の卒業祝いにノートパソコンを買ってくれた。
このパソコンが留学までの情報取集、留学後の日本への連絡にかなり役立った。
(当時はまだスマホも5G回線もない時代です)

‘How’が抜けていたのはご愛嬌だが、そんなこんなで18歳の自分は22歳くらいまでの自分の地図を描いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?