見出し画像

「女はバカな方がいい」という時代の終焉

巷にあふれる恋愛コラムには、必ずといっていいほど「女の子はちょっとバカな方が愛される」「知っていてもわざとわからないふりをしましょう」というアドバイスがでてくる。

男性に花を持たせる。一歩前を譲る。

それが、できる女の処世術なのだと。

***

最近急に、以前書いた「『嫁ブロック』の陰に隠れた『彼氏キャップ』の罠」がまた読まれるようになった。

この記事の中で私が一番言いたかったことは、この一文にすべて詰まっている。

「彼氏キャップ」を引き起こしているのは自分自身の勝手な思い込みであって、自分のやりたいことを根気よく伝える手間を惜しんではいけない、と思う。

女性は、雑誌やWebメディアの刷り込みによって勝手に「女の子はバカな方がかわいい」と思い込んでいる。

さらに言えば、若ければ若いほどよくて、家事が完璧にできて、男性の好みに合わせたコンサバティブなファッションと価値観を身につけていること。

その理想にどれだけ近づけるかが、「よいパートナー」を得るために必要なことだと思い込まされている。

でも実際には、女性だってジャニーズ系が好きな人もいればスポーツ選手が好きな人もいるし、バンドマンや文学青年にしか惹かれない人もいる。

人はみんなが「よい」と思うものを好きになるのではない。
「この人は私にとって唯一無二の存在だ」と感じたときに恋に落ちるのだ。

***

中学生の頃、なけなしのお小遣いを叩いて全巻揃えていた「コスメの魔法」という漫画の中で、今でも忘れられないシーンがある。

「コスメの魔法」は、デパートの魔女と呼ばれる美容部員があらゆる女性の悩みを、コスメを通して解決するオムニバス形式のストーリーだ。

その中のひとつに、4人の女性たち全員が合コンにモテ系コンサバスタイルで望んだときはうまくいかなかったのに、魔女のアドバイスを受けてそれぞれ自分に合ったスタイルに変えて同じ男性メンバーを揃えてリベンジしたら、全員うまくいった、という話がある。

もちろんフィクションなので現実はこんなにうまくいくものではないとは思ったけれど、子供心にもたしかに4人それぞれが自分に合ったスタイルに変身した時の方が魅力的に感じたのだ。

テンプレに自分が合わせるのではなく、自分らしさ、つまり「自分が一番快適な状態はなにか」を把握した上で、そこに魅力を感じてくれる人と時間を共に過ごすこと。

大多数に浅くモテるより、お互いが自分らしくいられるたった1人のひとを見つける方がよっぽど幸せなことではないかと思うのだ。

学生時代から恋愛の優先順位が低かった私は、モテるために何かをするより、何かをした先にそれを評価してくれる人に出会うという順番の方が自分にとって快適だと思っていた。

だから成績が公表されるたびに自分の順位がほとんどの男子より上位でも何も感じなかったし、先生たちと対等に議論する姿に「男らしすぎる」とドン引きされても、それは単にその環境における価値基準が私と合わないだけだと割り切ってきた。

自分を偽って得た評価は、いつか無理がくる。

それよりも、合わないと思ったら別の場所に軽やかに移れるような力がほしかった。

そしてそのためには、自分の芯となる哲学や正義は守り抜かなければならないと思っていたのだ。

***

学生時代、「あさみは大人になってからの方がモテそうだよね」とことあるごとに言われていた。

大人になった今、実際に私がモテるようになったかは判断が難しいところだが、まわりの男性たちの価値基準が昔から言われきたような「バカな方がかわいい」から脱却しつつあるのは確かだと思う。

前述の記事の中で、「彼氏キャップ」を回避するための相手選びについて私は下記の3つの案を提示していた。

①自分では絶対に追いつけないレベルの相手を選ぶ
②そもそも評価基準が違うまったく異分野の相手を選ぶ
③「張り合う」ということから解脱した仏のような相手を選ぶ

この3つのうち、③のカテゴリに属する価値観の男性が、ミレニアル世代以下を中心に急激に増えているように感じるのだ。

恋愛感情を抜きにしても、仕事をしている中で性別による上下関係に頓着しない人は多い。

例えば、相手の発言で間違っている箇所に気づいた時、ひと昔前であれば知らないふりをして流してしまうことが女性のたしなみだと思われてきた。

「女子供が口を出すことじゃない」の一言によって、議論の場を持つことすら許されなかった時代がたしかにあったのだ。

しかし、ミレニアルズと呼ばれる今の35歳以下の世代は、むしろ女性から正しい情報に訂正してもらうこと、対等に議論することを当たり前のこととして受け止めているし、パートナーの成功を素直に喜べる人が増えているように思う。

きっとこれまでの時代も一定の割合で「引っ張る」よりも「支える」の方が性に合っている人がいたのだろうけれど、「男性はたくましくひっぱる存在であるべき」という同調圧力が薄れてきたことで、男性にとっても本来の自分らしいあり方を表明できる時代になったのかもしれない。

さらに、昔は男性が稼いで女性は家事をするという分業制で、女性は「守るべきもの」という存在だったけれど、今や共働きが前提で結婚相手はすなわち家庭の共同経営者だ。

自分の背中を預けることになる共同経営者が守るべき頼りない存在では、安心して自分の事業に邁進できない。

だからこそ、今を生きる女性に求められるのは「未熟なかわいさ」よりも「大人の知性」なのだろうと思う。

ここでいう知性とは、単に勉強ができるとか出世しているということではなく、ものごとを円滑に回すための想像力と、実現するための思考力・行動力があるということだ。

人の痛みや悲しみに想像力を働かせ、それでいて押し付けがましくなく行動に移すこと。

学歴や勤務先に関わらず、こうした態度を自然に身につけていることが、大人の知性なのではないかと思う。

***

riekutomiさんの「上海で考えた 今年、私がなりたい私」というnoteの中で、こんなフレーズがあった。

知性と色気が服を着た、みたいな女になりたい。

なんて素敵な目標だろう、と思う。

私はあいにく色気とは無縁の性格なので、私の場合は「知性と気品が服を着た」状態を目指したいと思うのだけれど、やはり「知性」というのはこれからの女性のロールモデルのベースに組み込まれているもののような気がする。

知的であることは、もはや恋愛のハンデになったりしない

東大卒だろうが、外資系コンサルに勤めていようが、医師や弁護士だろうが、偏差値で測られる知性ではなく、人の心の機微に寄り添う「本物の知性」を持つ人には、必ずその魅力に惹かれる人が現れる。

もし「か弱い女性」を演じなければ評価されないのであれば、自分自身ではなく環境の方を変えるべきだ。

支配できる存在として扱われるのではなく、お互いの人生をよりよくするためのパートナーとして対等に向き合ってくれる男性は、想像以上に増えている。

そんな素敵な人に出会うために必要なのは、自分をごまかすことなく本物の知性を身に付けること、ただそれだけのことだと思う。

1人でも多くの女性が、自分の可能性に蓋をすることなく、より自由で幸福な道を選べますように。

「彼氏キャップ」の記事に「自分のパートナーは③だと思う!」「自分も③のタイプです!」というコメント付きでシェアしてくださる人の多さを感じながら、そんなことを考えたここ最近でした。


サポートからコメントをいただくのがいちばんの励みです。いつもありがとうございます!