大抵の不幸は「依存」からはじまる
以前、「『これがないと死ぬ』を減らしながら生きること」にも書いた通り私は「これがないと死ぬ」ではなく、「なくても死なないけどあると嬉しい」ものを増やしていきたいと長年思い続けている。
このスタンスはある意味ドライに映ることが多いけれど、私にとってはこの方が生きやすいし幸せなので、この考え方を採用している。
仲良しのゆうすけ先生も前に「自立とは、依存先を増やすこと」とツイートされていた。
なぜここまで「依存先を増やすこと」にこだわるのかというと、自分のベースの感情の振れ幅を小さくして、常に凪の状態でいたいと思うからだ。
そのためには、1つの外的要因に振り回されないように、複数の「心の居場所」を作っておく必要がある。
例えば、なにか1つを失ったとしたら一旦他の安心できる場所や楽しいことに軸足をうつせばいいし、そうこうしているうちにその空いた箇所にまた新しいピースがハマるはずだ。
世の中に不変のものなどないのだから、諸行無常に対応するためには常に自分の心の拠り所も変化させ続ける必要がある。
感情を自分のコントロール下に置き続けるためには、1つの場所に依存してはいけないのだ。
そして、依存先を増やすことで得意な人にベストな役割をお願いすることができる。
私は人との喧嘩が苦手で、極力喧嘩や不機嫌な時間を減らしたいと思っているのだけれど、大抵の場合喧嘩の理由は「期待値と現実の不一致」に起因しているように思う。
恋人なんだから、夫婦なんだからあれもこれもやって当たり前、という要求ばかりが増え、それがクリアされないことに対して相手を変えようという意識と、相手のこうありたいという願望が合致しないことによって、感情的に「怒り」に変わる。
そもそも、誰しもなんでもできるスーパーマンではないし、むしろできないことの方が多い。
そのために会社という組織があって、お互いに補い合いながら生きている。
だからこそ、むしろ相手に求めないものを決めて、それは別の人に「外注」してしまう方がみんながハッピーなんじゃないかと思う。
例えば、相手がお酒を飲めない人だったとしても、自分が飲みたいときは誰か別の人を誘えばいいのだし、趣味の話だって他にできる人はたくさんいる。
相手への期待値を下げること、自分の人生の幸福を1人に依存せずポートフォリオを組むことは、自分が常に安定してハッピーでいるために大事なことだと思う。
ただ、一方でがっつり1人に依存することによって自分の感情が大きく揺れることを幸福だと感じる人もいるはずだ。
「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、私は選びたい」
これはフランソワーズ・サガンの言葉だが、みんな何かしらの分野でこうした感情の揺れを経験することがひとつの幸福に繋がっているものだと思う。
実際、私はまさに仕事に対してはサガンのようなスタンスだし、野球を見ている時も似たような心境だと思う。
でも、だからこそプライベートに関してはできるだけ感情の波風を立てたくないと思っているだけの話だ。
何を安定させて、何を流動的にするのか。
自分が幸せだと感じるバランスを探り、依存と感情の揺れとのベストな関係を見つけ出すことが、より生きやすくなるためのコツなのではないかと思う。
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