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「映え」によって蘇る文化

インスタをはじめとするSNSからは切っても切れない「映え」は、ネガティブな面から語られることが多い。綺麗な写真や動画を撮ることを優先して目の前の現実を疎かにする行為は、その最たるものとしてよく語られる。

しかし、「映え」の対象は必ずしも最新のスポットやスイーツばかりではない。伝統的な季節ごとの風習もまた、ていねいな暮らしの文脈から再発見され、現代風にアレンジして流行したりする。

そう考えると、SNSによる「映え」は必ずしもネガティブな面ばかりでなく、文化風習の継承に寄与しているとも言えるのではないか?

例えば、もはや梅雨入り前の風物詩ともいえる「梅仕事」。私も5年ほど前から毎年友人と集まっておしゃべりしながら梅のヘタをとり、梅シロップや梅酒をせっせと作っている。私の場合はその様子や出来上がったものを投稿したりはしていないものの、その時期になるとSNSにみんながこぞってアップしているからこそ「自分も」という気持ちになる。しかもモチベーションとしてはつくるところがメインであって、出来上がった梅シロップや梅酒はおまけでしかない。ゆえに、わざわざ完成品としてのそれらを買おうとは思わないのである。
梅雨入り前のスーパーに、梅と氷砂糖、果実酒瓶をセットで売るコーナーが大々的につくられるようになったのはいつの頃からだっただろうか。

さらにこの年始の時期になると、おせちやお雑煮といったお正月料理がタイムラインを彩っている。テクノロジーによって食べ物の保存期間が伸び、流通網の発達によってあらゆるものがすぐ手に入るようになった今、保存食としてのおせち料理をつくる必要性はほとんどない。にもかかわらず、廃れることなく高級おせちを買ったり、洋風のメニューを取り入れてアレンジしたりとかたちを変えながら、むしろその時期にしか作り出せない「映え」コンテンツとして、関連消費は増えているのではないかとすら思う。お重やお屠蘇の酒器といったお正月ならではの食器類の売上推移がどう変化しているのか見てみたい。

もうひとつ、「映え」が伝統や風習を現代風に再解釈していることを感じさえられた例がある。

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思索綴

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