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人生には「3度のモテ期」が訪れる



「人生には三度のモテ期が訪れる。」と、聞いたことはあるでしょうか?私には明確にその「3度のモテ期」があったと自負しています。なぜならばその他の時期にはまるでモテなかったからですね。どうしてこうも同じ容姿で、同じ名前で生きているというのに、モテないを経験してしまうのか不思議に思うほど他人を恨んだこともあります。そこんところ神様はうまく仕込んでいるのでしょう。だからこそたった今、モテないを経験している人も「3度のモテ期」は諦めないで生きてみてほしいものです。ちなみに今夜はこの流れで私のモテ期について語っていくので嫌ならもう、閉じてくださいね。言語両断!話を始めます。

あの、一度目のモテ期が訪れたのは小学校5年生の頃でした。5年3組の窓側の席がそりゃあもう大フィーバーで。こそっと机の中にラブレターが入っていたり、隣のクラスのなんとか君がいつもケードロの檻から助けてくれたり、少年の殴り書きで書かれたメモが回ってきて「放課後、校舎裏にきてください」と。ベタに呼ばれては、突き抜ける青空の下「好きだ!」と叫ばれたりしていたのですから。「青春」とすら呼べないくらいに無色透明で。なんでもない毎日に突然「恋」というものが、そこにあったように思います。今思えば一番無邪気で間違いのない恋をしていたことでしょう。携帯もSNSもマッチングアプリも。何一つ武器のない時代だからこそどこまでも澄んでいて。汚いものが何ひとつ流れていない綺麗なお水のようでした。純。潤。

それからじゃんじゃん話を続けると。
二度目のモテ期は中学一年生。青いジャージを着ている頃でした。クラス一のやんちゃな男子と付き合ってみたり、他校の男子とプリクラを撮ってみたり、髪型を三つ編みにしてみたらバレー部の先輩に告られるくらい「ちゃんとしていない」毎日でしたね。「思春期」という特有のあの香りはもう、無色透明じゃなくて青に近かったと思います。思えば「中学生」というのは大人でもなければ子供でもない。あの頃の曖昧なもどかしさを寸分の狂いもなく思い出せる大人はいないでしょう。乱雑なようで脆くて甘い。遠くまで見えるようで、檻のついた世界。ものすごい危ういことも平気でしちゃうような特別な時期でした。まぁ私はただの盛りのついた猿のようなものでしたけど。ごにょごにょ。

それから最後のモテ期は23歳。大失恋の後だったのですね。そりゃあもう青春だったあの頃の青さなんかどこかに置いてきてしまって。真っ黒に染まった世界のなか、フィルターが何枚もかかってよく顔も見えないような男性が、何名か私に呼びかけるようにアプローチをかけてきました。けど、そのどれもこれもが私のカラダをスルスル通り抜けていきました。よく思い出せば彼らはみんな善人だったと思いますが、その頃の私はまるでおばけみたいに透けていたのかもしれません。心はいつも違うところにあって、自分の足で立つことがやっと。だからそのどれもこれもを丁重にお断りしましたし、恋なんかよりも生きることに必死で食らいつこうと。男の人よりも自分に愛されたくて気持ちはいつもギリギリだったと、よく覚えています。

まぁその一年後。私の人生は「3度のモテ期」を終えて、今の主人と出会ったわけです。もう恋をすることは法律で禁止されているのですから、できる限り目を逸らさないように。今隣に座っている大きな図体を見失わないように。目の前の幸せを握りしめて離さないように。あわよくばもう一度、無色透明だったあの校舎裏の頃のように、無邪気で間違いのない想いを伝えあえたらいいなと思っています。

と。


私がどうして急に恋を語り出したかって?最後に書きますが。それには訳があってね。5歳の息子「レイ」がふと私に教えてくれたのです。

「ママ?誰にも言わない?
レイくんね、好きな女の子ができたんだよ。
きゅんのやつ。」

なんてね。息子と恋バナできる日まであと少しかなと。そんな日を待ち遠しく思う母、今夜はそんな感じです。

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