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育児という無理ゲーに対して思うこと




こどもとの時間は、夢のように過ぎていく。

そう分かっていてもだ。子供が散らかし放題のリビングを見てはイライラして、子供がご飯を残すたびに腹が立つ。「ご飯を残すなら、お菓子はなしだからね。」なんて。我が家は息子が痩せ型だからって、365日ピリピリしてる。心配をいいことに、小さいことですぐ追い立てるのが私だ。毎度「ダメ親が言う!子供に言ってはいけないセリフ◯選」でいうところの殿堂入り「早くして!」「何回言えばわかるの?」なんかをしっかり連呼しては、死んだように反省するのがダメ母こと私だ。

育児は結構な無理ゲー。そう思う。

この世に生命が宿った瞬間から、いきなり本番なんだ。始まったら最後。どんなに出来の悪い私でも、選手交代は許されない。どんなにミスっていても、気づかないままなんてザラにあるし。どんなに戦っても、褒められることはない。讃えられることもない。当たり前だと社会は言うじゃん。世間が褒めてくれるのは「母の日」くらい。一日カーネーションを貰っただけじゃ全然、埋まらないっすわ〜。明日からバカンス行ってきていいっすか?と心の声が鳴る。さらに言えば「優秀」を目指すのがルールな、ここんところの社会。優秀からの減点で、子供の評価が下る。どんどん生きづらくなる量産型のこの国に、私はもうお手上げの日があるよ。なぜかって。辺りがとにかく冷たいんだもん。


大人は個性を「普通じゃない」と迷惑がる。そんなのもう母親にとっちゃ、なにが正解で、なにが不正解なのか。頭を抱えることなんて、毎日なんだ。みんなが皆んな、子供の味方であってほしい。母親の味方であってほしい。叶わぬ願いじゃないだろう?


母親だからって、万年初心者。愛する我が子は未知の生物だ。部下を一人育てるのとはわけが違う。一生もんのプレッシャーの中で誰もが迷い、焦り、苛立ち、嘆き、子が一つ間違えば「自分の育児がいけなかったのか?」「私がいけなかったのか?」そう後悔して、頭を抱えるのは私だけじゃないだろう。そのすべては「子供に幸せになってほしい」という親心からくるものなんだよね。ただそれだけだ。ひとつボタンを掛け違えただけで、周りから笑われる?そんなのもうやめだ。気にすんな。



母親はどこか張り詰めてしまう。けど、どうにか一歩下がって見てみよう。母親にとって、何よりも必要なのは、子供が優秀になることではないし、子供が失敗しないことではないだろう。子供が自分の足で歩き、失敗しても前を向く強さを持つことだろう?ならば、「あなたがいるだけで、幸せよ。」といい続けよう。それくらい開き直ることだ。そうすりゃ子供は、

「僕がいるからお母さんは幸せになってくれるんだ。」

そう感じるんじゃないか?
自分はこの世に生きていていい。僕の「命」に価値がある。そう感じてくれたら全てはもう、正解なんじゃないか?ボタンのかけ違えている我が子を、抱きしめて「最高じゃん」って伝えてやろう。


肩の力を抜いていこう。私も頑張ります。


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