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いらないもの、いるもの



たまには心の模様替えも必要だし
頭の中の大掃除も必要。


そういうわけで、私は時より整理している。余計なものを退かしたり、溜まった埃を拭ったりして。すると本当に必要なものだけが残っていくんだ。案外いらないものばかりが入っていたことにも気がつく。そうして「もっともっと良く生きること」よりも「生活」を愛したほうがいい。と、そういうことがわかる。

というのもやっぱり。この時代は目の前の大切なことがずいぶん蔑ろになってしまうものだなぁと。いつも見張られているみたいな気苦労もあるし、価値判断がおかしくなっちゃう。中には社会に囚われすぎて、いつも生き急いでしまう人もいる。たとえば「自分はこのままでいいのだろうか。」とか「私には才がない」とか「どうしたらあの人みたいになれるのか」とか「自分には無理なのかもしれない」とかそういうのをぐるぐるぐるぐるしちゃうような。

やっぱり
あの子はすごい、暮らしはどうだ、意見はどうだ、答えはどうだ、丁寧な暮らしだミニマリストだ多様性だインフルエンサーだ月商7桁だって。そんなこの時代の価値判断はとても浅はかだと思うんだ。このまま話は逸れるけど、
もしもSNSから「フォロワー数」という概念が無くなったら?もしもSNSから「コメント」や「いいね」がなくなったら?人は、ありとあらゆる本質を見られるようになるのかもしれないとすら考える。
なんか好きとか、なんか嫌いとか。
必要なのか、不必要なのか。
本当に嬉しいのか、そうじゃないのかとか。そういうことの方がよっぽど、自分の中にあるべきものだと思うんだ。


話は戻るけど。
私はやはり、そんな風に数字や見せ方でアレコレ価値がゆらぐ戦いが、ちっぽけだと僻んでやまない。私はそれに見慣れてしまったからもう苦しむことはないけど。蟻地獄のように苦しみの渦に飲まれていくあの人やこの人をすごく切なく心配している。もどかしく感じるんだ。そんなに苦しまないでおくれよ。って。

あなたはどんなに素晴らしい毎日を送っているか、今日食べたご飯は何だったか、あったかいごはんや、ちょっと濃いお味噌汁、昔から使っているお茶碗にどれくらいの月日があるか思い出してほしい。自分が歩いた毎日は、誰かの愛を受け取っていた証拠。
冷えた麦茶、みずみずしいトマトの赤、なんとなく夏が近づいている空を思い出して。

社会と自分を比べることは悪いことじゃないけど、自分を蔑むのはやっぱりちがう。よりよく生きることよりも、ちょうどいい生活は目の前にある。どうにでもなる。生活は自分で決めていくものだよ。

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