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【N15】夢との上手な付き合い方#今こんな気分

春模様になったり、冬が舞い戻ってきたり、不安定な天候ですね。体調は悪くなるし、ネガティブも強まってしんどいです。。

こんなときは肩肘張らず、ふんわりぽえむを書くのがいいですね。

テーマは、私が考える「夢との上手な付き合い方」について。


私はREASNOTというフリーメディアを作っています。2019年からの約5年間で100組141人のアーティストを取材し、昨年末には集大成となる書籍『夢や「好き」と、ともに生きる』を出版しました。

こういう活動をしていると、しばしば「色んな人の夢を応援していて立派ですね!」と言われます。しかし私には、そういうつもりはありません。

私は、「夢を叶えること」に価値があるとは思っていません。

「夢を見ること」に価値があると思っています。

だから私は、取材で誰かの夢を聞くことが好きです。その夢が叶うかどうかには、正直なところ、重きを置いていません。

誰かが何らかの夢を見て生きている今、その瞬間が尊いと感じています。

ひとは夢を見るべき生き物だ

やるべきことがなく、やりたいこともなく、ただ心臓が動くままに呼吸を続ける人生って、つまらないですよね。もちろん、「十分楽しいよ」って人もいるでしょう。私にとっては退屈すぎるだけです。

つまらない毎日に飽いているなら、現状を変えようとすべきです。しかし、目の前の生活を維持するともなく維持し続けて、努力を馬鹿にさえしている人は多いです。そういうの、カッコ悪いと思います。

ただ生きるだけなら動物です。人らしくあるためには、夢を見るべきです。小さくてもいい。綺麗でなくてもいい。明確な言葉にならない何か、純粋な「好き」を追い求めるだけでいいかもしれない。いっそもう「人らしく生きたい」と願うだけでも、素敵な夢です。

そして夢は、一つ叶えたら終わり、というものでもないと思います。

もし「歌手になりたい」と夢見た子どもがいたとして、メジャーデビューしてCDを出して歌手という肩書を得たら、死ぬのでしょうか?

違いますよね。命あるかぎり人生は続きます。

じゃあ歌手になったことに満足して、その後は、だらだら生きればいいのでしょうか?惰性で歌って、与えられた仕事をこなして、歌手と呼ばれる幸福に浸っていれば。いや、そんな人はきっと、仕事仲間やファンに見放されて、いずれ「歌手」の肩書を失ってしまいますよね。

歌手になれた人は、次は「東京ドームに立ちたい」とか「○○と共演したい」とか、新しい夢や目標を探すでしょう。そうであってこそ歌手として生きることを楽しめるし、仲間やファンにも愛されるでしょう。

逆に、歌手になりたいと夢見て、子どものころから歌を練習して、動画投稿や配信を頑張って、専門学校へ行って、卒業したあとはバイトしながら活動を続けたけど20代が過ぎて、30代になって、幾つになってもまったく売れなかったとしたら、その人は死ぬのでしょうか?

違いますよね。命あるかぎり人生は続きます。

じゃあ、歌手になれない自分に絶望しつつ、「きっといつかは」と一縷の望みにすがって、だらだら生きればいいのでしょうか?惰性で活動を続けて、適当な仕事で生計を立てたり親のすねをかじり続けたりして、「夢を諦めない自分」に酔っていれば。いや、そんな人はきっと周囲に見放されて、いずれ社会に居場所がなくなってしまいますよね。特に親は、ほぼ間違いなく、自分より先に老いて亡くなります。

歌手になれなかった人は、どこかで「一般企業で働きながら趣味として歌を続けよう」とか「全部やめて違う世界を見てみよう」とか、新しい夢や目標を探すでしょう。そうであってこそ人生を楽しめるし、周囲と良い関係を築けて、居場所を得られるでしょう。

夢や「好き」こそが、人を人たらしめるのです。一つ夢が叶ったら次の夢を見て、一つ夢が叶わなかったら次の夢を探すべきだと、私は信じています。

資格と限界と終わりについて

私が上記のような考えに至ったのは、かつて「シンガーソングライターとして頑張るぞ!」と活動していた時代に出逢った3人の影響が大きいです。これまでのコラムで少し触れた人もいますが、改めて書きますね。

①夢を見る資格

それなりに真面目に音楽活動をしていると、たくさんの人と知り合います。アーティスト仲間、ライブハウスのスタッフ、プロデューサーなどの業界人、お客さん。かつてシンガーソングライターを目指していた私も、多くのご縁をいただきました。何百人と出逢ったんだろう。今はもう、ほとんど誰の連絡先も知りませんが。

そのなかで、とりわけ印象に残っているアーティストがいます。ここではAさんと呼ぶことにしましょう。知り合いのアーティストに紹介してもらった企画で、初めて出る箱で、たまたま対バンさせていただきました。

出演者は実力者ぞろいで、特に彼女には「同じ場所の空気吸ってごめんなさい」と思いました。リハーサルからして別格、本番は圧倒的だった。楽屋で座っているだけ、廊下を歩いているだけで、オーラが溢れていました。当然のようにお客さんもたくさんついていて、客席には熱気が溢れていました。

Aさんは同い年の女性で、ピアノ弾き語りでした。ごまかしようもなく自分との格の違いを感じました。ここで「私も負けずに頑張ろう!」と思えなかったところが、いかにも私らしいのですが。

「こういう人がプロになるんだろうな」と痛感しました。

純粋な歌唱力や演奏力で、彼女と同じくらいの感動を与えてくれた人は他にもいます。しかしMCなどを含めたパフォーマンス、ファンサービス、立ち居振る舞いのすべてを含めると、誰も及びません。

あの出逢いから約10年が経ちました。彼女はメジャーデビューして、人気アニメの主題歌を担当するなど、音楽シーンの第一線で活躍されています。素晴らしいです。

彼女と出逢った瞬間、「夢を叶える資格をもつ人」だと感じました。持って生まれた才能だったり、積み上げてきた努力だったり、なんとしても夢を叶えようという意志だったり、要因は色々あるのでしょう。

一方で、そうした資格をもつように見える人が全員、「選ばれる」わけでもないでしょう。それはあくまでレースに参加する権利であって、時代と運命に愛されなければ、成功は掴めない。

逆に言えば、レースに参加する資格がない人間は、どこまでいってもないのです。誰だって、いつでも、どんな夢でも見る自由がありますが、その夢に相応しいかどうかは別問題です。人間には適性があるのです。

じゃあ、叶える資格のない夢を見たことに価値はないのかといったら、そんなことはないと思います。少なくとも私は、歌手になりたいと夢見て過ごした時間にたくさんのものを得ました。貴重な経験をして、人と出逢って、世界を見ました。自分の適性を知ることもできました。

Aさんに会ってから「夢が叶うかどうか、叶える資格があるかどうかと、夢自体の価値は別物だ」と考えるようになりました。

夢を見る資格は、誰にでも平等にあるはずです。

②限界を超える意味

ある日、たまたま通りかかった道で、路上ライブをしている女性を見つけました。Bさんと呼びましょうか。

綺麗な声だったので足を止めて、チラシを貰って、CDを買って帰りました。彼女は「武道館で歌うことが夢です」と語っていました。

数年後、たまたま買い物に寄ったコンビニで、彼女の歌声を耳にしました。家に帰って調べてみると、そのコンビニの商品のテーマソングを担当しているとのことでした。

さらにBさんは、路上ライブでCDを売り、ファンクラブ会員を増やして、一定数に達したら武道館を予約するという挑戦をして、達成していました。

まさにその時、武道館公演のチケットを販売中だったので、すぐにウェブショップから購入しました。そりゃそうでしょう?

後から知ったところでは、彼女と同じ事務所に所属するアーティスト数人が、同じ挑戦をしていたようです。でもBさん以外は規定数に到達できなかった。何万枚とか、何万人とか、気の遠くなるような数字でした。

インターネットで音源を聴く限り、皆さん同じくらいお上手で、同じくらい可愛い(カッコいい)感じだったのですが、何がどう違ったのでしょう。

実際の現場を見ていないので、私には分かりません。もしかしたら何も違わなかったのかもしれない。それこそ純粋な幸運、時代と運命の愛が振れただけなのかもしれない。

彼女の武道館公演は素敵でした。ちゃんと歌を聴くのは数年ぶりの私でも感動しました。かつて買ったCDの曲も歌っていて、深みが増していました。

「ただの女の子だった私が、皆さんの力で夢を叶えることができました。ありがとうございます」というメッセージと、長年のファンと思われる方々や仲間からの「おめでとう」が温かい空間でした。

しかし、相当な無理をしたんだろうなぁ、とも感じました。公演内容自体に大口スポンサーの影響が見受けられたし、私の席の前後には「会社からチケットを配られた(買わされた?)からしぶしぶ来た」って人たちがいて、ぶつぶつ文句を言っていました。

酷い話だけど、当たり前ですよね。「放っておいてもファンがチケット争奪戦をしてくれるようなアーティスト」じゃないんだもん。限界を超えて努力したって、どう考えても身の丈に合わない会場で、無理やり夢を実現しても、こうなるよねって感じでした。

それでも感動したんですよ、私は。

無理でも無茶でもなんでも、いいじゃないですか。こういう夢の叶え方もあるんだなぁと、夢があるなぁと思いました。

Bさんは、現在も歌ってらっしゃいます。定期的に自宅から配信ライブをしたり、ライブハウスで歌ったり。言い方は悪いですが、そこらへんの大して売れていないアーティストさんたちと同じです。

ずっと彼女の活動を追ってきたわけではありませんが、武道館で歌っても、大きな変化が起きたわけではないようです。ファンがめっちゃ増えたとか、大手事務所に移籍して売り出してもらったとか、誰もが知るヒット曲を生み出したとか、そういうことはなかったように見えます。

一瞬、一つの夢が叶っただけで、次には繋がらなかったんでしょうね。

でも続けている。純粋に、すごいと思います。私だったら辞めちゃいそう。いやたぶん辞める(確信)。

でもきっと、彼女にとっては、そこを超えて音楽を続ける理由があるんですよね。外野から見て何もなくとも、確かに意味があったのでしょう。

素敵です。

Bさんと出逢ったことで「夢を叶えても次に繋がるとは限らない」と実感しました。もっと身近な話で言えば、頑張って勉強して第一希望の学校に合格しても、キラキラスクールライフが送れる保証はないですもんね。

同時に「自分にとって意味があれば、それでいい」とも思いました。

もちろん最低限のルールは必要でしょうが、自分で生活費を稼いで、精神的にも経済的にも自立できてる大人なら、自分の人生好きに生きればいいじゃんって。

時折、「集客○○人目指してます」とか「ホールワンマンしたいです」とか、その人の現状からすると高すぎる夢や目標を掲げているアーティストさんがいます。それを馬鹿にしたり、「やめておけば」なんて忠告したりするのは、野暮の極みだと思います。

……まあ「集客○○人を目指す過程でファンを増やそう」とか「ホールワンマンの実績を作って業界に自分を売り込もう」とかって目論見は、外れる可能性の方が高いだろうとも思ってしまいますが。

身の丈に合わない夢でも、結局何にもならなくても(周りにそう思われても)、やりたいならやればいいじゃないですか。

自分の限界を超えることに意味がないことなんてないのだから。

③終わらせる勇気

とあるイベントで知り合った彼女は、アイドルか歌える声優になりたいと言っていました。Cさんと呼ぶことにしましょう。

Cさんは年上でしたが、音楽の趣味が似通っていたため意気投合し、よくお茶をしたり、遊びに行ったりするようになりました。

彼女は学校に通いながら、月に数本、いわゆるアニソン系のカラオケシンガーとしてライブハウスに出ていました。さらにシンガーや声優のオーディションに応募して、しばしば最終審査に残っていたようです。

たしかに彼女は声が綺麗で、歌が上手で、容姿も整っていました。学校では演劇サークルに所属していて、何度か主演を務めていました。その演技には、惹かれるものがありました。

彼女の卒業が近付いたころ「進路はどうするの?」と聞いたら、「某有名プロダクションの系列事務所に所属する」と答えてくれました。私は「すごいね!」と言いましたが、よくよく話を聞いてみると、仕事や給与をくれるどころか、所属費用を払わなきゃいけないとのこと。実態は養成所でした。

私がその点を指摘すると「有名プロダクションの先生のレッスンを受けられるし、オーディションやライブ出演の案件もたくさん紹介してくれるらしいし、チャンスが広がればいいと思う」と、Cさんは言いました。「親も応援してくれてて、所属費用を全額出してくれたの」と。

そのとき初めて、彼女の親御さんもかつて芸能界を目指していて、上手くいかなかった過去があると知りました。だからこそ、彼女の夢を全力で応援してくれているんだと。

「それならいいか」と思いました。本人と親が納得していて、実際そういう養成所からデビューして人気を獲得した人もいるわけです。ワンオブ知り合いの私が、あれこれ口をはさむ必要はないでしょう。

「今のバイトを続けつつ、事務所経由でチャンスを掴んで、ビッグになってみせるわ」と語る彼女に「がんばってね」と告げて、笑顔で別れました。

それからお互い忙しくなって、しばらく連絡が途絶えました。私は色々あって、歌で生計を立てることは諦め、別の業界で働き始めました。

ある日、なんとなくSNSを見たら、Cさんがライブ予定を投稿していました。ちょうど時間が空いていたので、「見に行くよ」と連絡したら、とても喜んでくれました。ライブの後、久しぶりにご飯へ行くことになりました。

数年ぶりにライブ会場で見た彼女は、変わらない美貌と表現力でした。可愛い衣装で、有名なアニソンを上手に歌っていました。

しかし、他の出演者はどう見ても10代ばかりでした。全体のレベルが高く、「皆で楽しく好きなアニソン歌いましょう」ってイベントではなく、「ガチでアニソンシンガーや声優やアイドル目指してます!」って子が集まっていると分かるからこそ、明らかに彼女は浮いていました。

客席には、普通のお客さんに交じって、明らかにそれと分かる業界人たちがいました。しかし私はどうしても、Cさんが彼らに選ばれるとは思えませんでした。客観的に見て、同じくらい可愛くて歌が上手かったら、若くて将来性がある子を選ぶだろうなと。

もし彼女に声がかかるとしたら、夢見る若者を食い物にするような怪しい話なんじゃないかな…と。

その後、ご飯を食べながら、お互いに近況報告をしました。彼女は事務所を辞めていました。もともとの契約期間を満了したそうです。

辞める前後から、配信ライブを始めたと教えてくれました。毎回数十人~百人ほどお客さんが来てくれて、カラオケ音源のカバーを披露したり、おしゃべりしたり、ゲームをしたりしていると。配信サイト主催のカラオケコンテストでは、何度か上位に入賞しているとのことでした。

それ以外は、学生時代と変わらない生活をしていました。実家に住んで、週3~4でアルバイトをして、月数本ライブをして。

私の話もしましたが、先ほどのライブの光景が頭から離れませんでした。

一般論として、音楽いや芸能系全般で、若さが命と言われがちです。特に女性は。なかでもアイドルは若い子が集まります。

個人的には30歳のアイドルがいても良いと思うし、実際最近は存在するし、とっても可愛いけれど、業界標準にはならないでしょう。

理由は色々と考えられます。その一つとして、アイドルは、活動を始めるハードルが低いことが挙げられます。カラオケ音源で既存曲を歌えればいい、何なら口パクですから。ダンスは、見本映像を入手して、自宅でフリコピすればいいだけ。念のためカラオケやスタジオで何回かリハーサルすれば、すぐステージデビューできるでしょう。

カラオケを使わず、弾き語りをするとなると、ぐっとハードルが上がります。楽器を買うにも、練習するにも、お金と時間がかかるからです。ユニットやバンドを組むなら、コミュニケーション能力も必要です。

カバーではなく、オリジナル曲を演奏するとなると、ますますハードルが上がります。作詞作曲編曲を学ぶのも、数を増やしていくのも大変です。

かつて、どこかのアイドルグループの人が言っていました。「最近はうちに入ることを目標にしている子が多すぎる。うちはゴールじゃなくて、ここを足掛かりに、芸能界で生きていくことを目指す場所だ」と。

若くて、お金も経験もないけど、磨けば光りそうな歌唱力や容姿やセンスをもつ子が、まずアイドルになる。アイドルとして活動しながら、自分を磨いて、お客さんをつけて、一本立ちできそうになったら卒業。その後は女優やシンガーソングライターになるべきだ…ということなのでしょう。

さて。再会当時のCさんは20代後半、アイドルを目指すには歳を取りすぎています。ただ、経験は積んでいます。勝手ながら「アイドル以外の方向で、成功できる道を探したほうが良いのではないか」と思いました。

実際、ライブでの彼女のパフォーマンスはとてもよかったのです。歌唱も振りもMCも、仕草の一つ一つまで、場数を踏んでいるだけありました。

なので私は、素直に自分の想いを伝えつつ「楽器を弾いたり、オリジナル曲を作ったりしないの?」と聞いてみました。

彼女曰く、事務所時代にピアノとギターとDTMを習ったけれど、どれも身につかなかったと。作詞作曲のレッスンも受けて、2,3曲作ってみたけれど、楽しめなかったと。「そもそも私はシンガーをやりたいのであって、楽器にも曲作りにも興味がない」と言われてしまいました。

その気持ちは分かります。

「じゃあ楽器が弾ける人や、作詞作曲できる人を探して、ユニットやバンドを組んだらどう?」と私は言いました。Cさんは「うーん、組みたい相手が思いつかない」と首をひねりました。

「親御さんは現状に対して何か言わないの?」と、私は尋ねました。「別に何も。私のやること全部応援してくれているよ!」と返事が来ました。

私はそれ以上、彼女にかける言葉を持ち合わせていませんでした。

美味しいご飯を食べて、飲んで、その場はお開きとなりました。

あれから月日が経ちました。

30代半ばに差しかかった今も、Cさんは実家暮らしで、学生時代と同じアルバイトをして、月数本ライブをして、空いた時間は配信をしています。

相変わらずライブはノルマぎりぎりの集客で、配信の収入は月3万円程度、たまに企画で入賞しても業界から声がかかるなんてことはないそうですが、楽しく生きていて、親御さんも活動を応援し続けてくれているとのこと。

それもいいとは思うんです。ご本人たちがいいんだから。

ただ、私がモヤモヤしているだけです。

勝手ながら、もったいないと思うんですよ。

カラオケ音源でカバー曲を上手に歌うだけのシンガーでは、音楽業界で食っていく方法がほとんどありません。仮歌を入れる仕事くらいかな。それも初音ミクやAIと競合します。

もしCさんが弾き語りシンガーソングライターに転身したり、バンドやユニットを組んだりして、オリジナル曲で勝負していたら、演奏者として食べていけたかもしれません。メジャーにはなれなくとも、コアなファンがついて、支えてもらえたかもしれないのです。

演奏者としてはいまいちでも、作詞や作曲、DTMの技術などが評価されて、楽曲提供者として仕事を得られた可能性もあります。

もしくは音楽業界に固執しなければ、いくらでも就職先はあったでしょう。彼女の美貌なら、どんな接客業でも成功できたはずです。ライブで鍛えた表現力やMC力で、営業職として活躍できたかもしれない。美的感覚が優れているから、クリエイティブディレクターみたいな企画職も合ってたかも。

最近の企業だと、社員がSNSを担当して、歌ったり踊ったりすることもありますよね。彼女もそんな感じで仕事して、これまでの経験を生かして「美しすぎる○○」としてバズれたかもしれない。

エンタメやお祭りが好きで、人の役に立つことを喜べて、嘘を吐かず、自分にも周りにも潔癖でいられるという性格だから、どこかに必ず居場所を見つけられたはずです。

彼女は、もっと大勢に見つかって、愛されて、能力を評価されて、自己実現して、社会に貢献できたと思うんです。

うーん、まあ彼女の人生、彼女の選択なので、なんとも言えないですが。

私には、今のCさんは、夢を叶えようとしているようにも見えません。

いっそ「三十路でもアイドルを諦めないCちゃん」とか名乗って、朝から晩まで配信しまくって上を目指してるなら、アリだと思うんですよ。

キャラは立ってるし、歌も踊りも上手いから、刺さる人には刺さるかもしれない。それでライバーとして有名になって、企業案件も貰えるようになって、年収数百万円とか稼げるようになれば、立派ですよね。

今の彼女は、夢を見ているだけで、だらだらと生きているように、私には感じられます。

でも変なところは真面目なんです。たとえば「アイドルを目指しているんだから恋愛はご法度」とか言って、ずっと彼氏いないんです。30代後半彼氏なし。うーん、いや、人のこと言えないけど……。

彼女が週5の正社員で働いていて、一人暮らしで生計を立てられていて、趣味として今のような活動をしているなら、全然いいと思うんです。

もしくは音楽活動で月10万とか20万とか稼いでて、アルバイトとの収入と合わせて一人でやっていける目途が立っているなら。

しかしなぁ……。

配信って、悪魔の装置だと思います。配信してたら活動やってる気分になれますから。もちろん、立派なコンテンツとして成立させられているアーティストはいます。私も、好きなメジャーアーティストがYouTube liveしてたら、数万人の視聴者のうちの一人になる時があります。

でもそれが成立するのって、実力がある一部だけだと思います。

そこらへんの弱小配信者がやっていることって、キャバクラやホストクラブと本質的に同じなんですよね。悪いとはいいません。キャバでNo.1になって、稼いで、のし上がる人だっているでしょう。オンラインゆえのメリットデメリットもありますよね。

……これ以上はやめておきましょう。私は色々あって、配信というものが嫌いなので、個人的な偏見が強すぎます。。

とにかく。私は上記のようにモヤモヤしているのですが、どうやらCさんの周りには、彼女を応援する人しかいないようです。

それは素晴らしいことかもしれませんが。

体よく利用されているのではないか、とも思います。。

彼女にはお姉さんがいて、数年前に結婚して子どもが生まれています。つまり親御さんにとっては「孫の顔はお姉ちゃんが見せてくれたし、もうひとりの娘は家に残って、家事を手伝ってくれてて助かる」ぐらいの話なのかも。

お姉さんにとっては、「妹が実家の両親の面倒を見てくれてて助かる」ぐらいの話なのかも。

みんなCさんの夢を応援しているわけじゃなくて、現状が自分にとって都合がいいから、「あなたはそれでいいのよ」と言っているだけなのかも。

実際、あと10年ほど経てば、親御さんは介護が必要になるでしょう。Cさんが同居し続けてくれたら、安心なはずです。まあ彼女にとっても、悪い話ではないのでしょう。さらに10年経てば、親御さんはお亡くなりになる可能性が高いですから。同居して介護して看取った彼女は、高確率で家や財産を相続できるはずです。そうすれば、生活に困ることはないでしょう。

50代独身、正社員経験なし、彼氏なし、子どもなし、全部捨てて賭けたはずの夢さえ1ミリも叶えられていない状態でも、死にはしないのでしょう。

うーん、Cさんは本当にそれでいいのかなぁ。。

ふと思いましたが、彼女の親御さんは、失敗を認めたくないのかもしれませんね。かつて諦めた自分の夢を娘に託したなら、娘が夢を諦めることは、再び自分の夢を諦める=2回目の挫折ということになりますから。

さらに、子育ての失敗も認めなくてはいけなくなります。酷い言い方ですが、Cさんが30代半ばを過ぎてなお、経済的にも精神的にも自立できていないのは、甘やかした親の責任も多少はあるでしょう。。

うーん。まあ、私には何を言う権利も、必要もないと分かってはいます。

私に語る権利があるのは、私のことだけですね。

私は彼女と再会して、正直なところ、「歌で生計を立てることを諦めてよかった」と痛感しました。

当時は、こんな風に未来を考えていたわけではありません。ただ、できないことにこだわって、できることもできなくなるのが、怖かったんです。

しんどいながらも「私には歌で生計を立てることはできない」という事実を受け入れて、「それでも退屈な人生を送るのは嫌だ、どうすればいいんだ」と一生懸命考えてよかった。

あれこれ頑張った結果、素敵なご縁をいただいて、面白い仕事に出会いました。すごい人たちと、わくわくする世界を見ました。

責任ある仕事を任されるようになりました。自分で企画を立てて、実現させられるようになりました。お金にも時間にも困らなくなりました。フリーターだった頃より、よほど自由に創作活動ができるようになりました。たまに親へプレゼントを贈ったり、胸を張って友人に会えたりするようになりました。私は今、私として生きていることが楽しいです。

20代のうちに一つの夢を諦めたおかげで、次の夢に出逢えて、よかった。

そういえば私の親は、一度も私の夢を応援してくれたことがありません。未だに不満ですが、ありがたい面もありました。友人も、私が何かするたびに「すごいね」と褒めてくれつつ「そろそろ定職についたら?」と言ってくれる人がたくさんいました。

本気で心配してくれていたんだなと、今なら分かります。

一つの夢を終わらせる、終わりに気づいて新しい夢を探す、そのタイミングは大事だと、私は思います。

まとめ

とても長くなってしまいました。いつものことながら申し訳ありません。

まとめます。

私は、誰にでも、どこまでも自由に夢を見る資格があると思っています。最低限の社会的ルールさえ守れば、やりたいことをやりたいようにやればいい。叶っても、叶わなくても、自分にとって意味があればいいのです。

ただ、夢を見るために生きると、どこか歪んでしまうと思います。生きるために夢を見るべきです。自分の人生を最高にするためのスパイスの一つとして、夢があるはずです。上手くいかないときは終わらせる勇気も必要です。

目玉焼きにケチャップをかけてしっくりこなかったら、次は醤油をかければいい。スクランブルエッグにしてみてもいい。そのくらいの気軽さで、新しい夢を見れば良いと思います。

そんな夢や「好き」とともに生きている人たちが、私は好きです。

長い長い自己肯定ぽえむになりましたが、楽しんでいただけましたら何よりです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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