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【2312:編集後記】あなたに出逢えた奇跡を

まえがき

えー、タイトルをご覧いただければ明らかですが、こちらは2023年12月の編集後記です。本来なら昨年末に投稿すべきでした。しかし、ぎりぎりまでMOOKと書籍の制作に追われており、書けませんでした!

年末年始が投稿予約で埋まっていたのも、無理に書こうとしなかった理由の一つです。

2023年12月29日に「ありがとう2023」公開→31日10時に荻町さんの記事公開→31日夕方に「2312:編集後記」公開→2024年1月1日に「あけまして2024」公開、って、忙しすぎるよなぁって。

1週間に4本も記事を公開するのは多すぎるよなぁ!って。

思いまして。

いまさらながら、2023年の振り返りをさせていただきます!

さて。

REASNOTを始めて約5年、私が最も良かったと思っていることは、「人は変わる」ということをポジティブにとらえる人の存在を実感できたことです。

いや、概念として知ってはいたんですけど。

ずっと、私にとって「人は変わる」ということはネガティブな事象というか、絶望でしかありませんでした。

だって、最初に出逢った時のその人が好きだから、友達になりたいとか思うわけでしょ。その人も、出逢った時の私を好きになってくれたから、友達とかになれるわけでしょ。

その人や、私が変わってしまうのって、寂しいじゃないですか。

とはいえ私も人間で、時間の経過には抗えません。10歳のころの私と今の私を横に並べたら、変化しているはずです。ただ、あまり自覚はありません。

どう説明すればいいでしょうか。

子どものころから、私の頭の中?心の中?には、薬箪笥があるのです。

それはとても大きくて、数えきれないほど引き出しがあります。

新しい本を読んだり、人と出会ったりして「こういう見方(考え方)もあるんだ」と思うと、それまで空っぽだった引き出しに詰めます。

さまざまな物事について、Aという見方の引き出しもあれば、Bもあるし、一般的に良い子の引き出しもあれば悪い子の引き出しもあります。

現実で「何か」が起きた時、私は空想上の薬箪笥の前に立ちます。

今回はこれかなあれかなと引き出しの中身を改めていって、自分にとってしっくりくる引き出しを探します。最終的に選んだ引き出しを軸に、現実で発言したり、行動したりします。

時と場合によって、あるいは自分の年齢や立場で、「何か」に対して一番しっくりくる引き出しは違ってきます。

でも、薬箪笥自体は変わりません。

子どものころからお気に入りの引き出しはそのまま。ちょっと取っ手が錆びついて、アンティークになってるけど。キレイな空の引き出しも、まだまだあります。死ぬまでには全部埋まるんだろうか。

まあ私の意志に関係なく、この世界に雨は降って、風が吹きつけて、太陽も照り付けます。それによって湿って苔が生えたり、ちょっと傷がついて削れたり、色が褪せたりした箇所もありますが。

薬箪笥は、物心ついたころからずっと同じ姿で、真ん中にあります。

私にとって「人が変わる」というのは、この薬箪笥が置き換わることです。

「こんな箪笥もう嫌だ、買い替えてやるぜ!」みたいな人に、ドン引きしてきました。

「こんなの時代遅れよ、やっぱ流行のクローゼットよね!」みたいな。

「今なら中古品買取価格50%UP?!じゃあ買い替えるか」みたいな。

いやいや待ってよ、って思ってた。

※「薬箪笥」というイメージにまとまっているのは、たぶんというか間違いなく、福永先生の『クレヨン王国』シリーズの影響です。特に『白いなぎさ』と『しっぽ売りの妖精』かな。一番好きな本は別にあるんだけど。。

しかし、生き物にもいろいろありますよね。

一度固着したら死ぬまでずーっと同じ場所で暮らすサンゴもいれば、渡り鳥だけど毎春に同じ地域に帰ってきて巣を作るツバメもいるし、成長に合わせて殻を替えるヤドカリもいるわけです。

サンゴを一年おきに岩から剥がして移動させたり、ツバメを二度と同じ地域へ帰れないようにしたり、ヤドカリに生まれて初めて背負った殻を使わせ続けたりするのは、いじめですね。

それぞれにそれぞれの生き方があって、素晴らしいわけです。

人間もきっと同じでしょう。

と、概念では分かっていました。

REASNOTの活動を通じて、心の底から「人は変わる」ということをポジティブにとらえていて、むしろ「変われる」と希望にしている人の話をたくさん聞けたのは、よい経験でした。実際にサンゴやツバメやヤドカリと触れ合って、心から納得できました。

あとは、年齢もあるんだろうなって気づきました。

20代前半までって「人は変わる」と言う人が多いし、実際に変わる人も多いんですよね。でも25歳を超えたら、ほぼ変わらない。ゆえに「変わりたい」と言う人も増える印象。

それってたぶん、子どもと大人の境目なんですよね。

2022年の総集編MOOKの書きおろしコラム『大人になるということ』で、私は次のように書きました。

自分の言葉で、自分が納得できる表現を追い求めてきた私の、現時点での結論は「与えられる存在になること」です。
気持ちはあっても、何の力もなく、自分のことだけで精一杯。下手をすれば自分のことさえ満足にできないのが、子どもです。
物理的または精神的に何らかの力を持ち、自分を自分として大事にできていて、周りのひとやものに貢献できる。大人同士で肩を組み、子どもに手を差し伸べることさえできるのが、大人です。
(中略)
「夢を見るだけで何一つ叶えられないのが子どもであり、たとえ一つでも夢を叶えられるのが大人だ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BQ9GFDKB

「あれもやりたい、これもやりたい」と夢を見るのは子どもの特権です。しかし、見ているだけでは何も手に入れられません。成果ゼロで一人寂しく年老いて死んでしまうのは悲しいと、私は思います。

子どものうちにたくさん夢を見て、あちこちへ手を伸ばして、自分の能力や社会の仕組みに気づく。やりたいけど適性がないもの、特に興味はないけど上手にやれることなどを知る。できること、できないこと、できるけどやらないほうがいいこと、今はできないけどいつかできそうなことを理解する。

それらを元に、自分が歩む道を選ぶ。自分の使える武器で、掴む夢を決める。この決断こそ、「大人になること」の第一歩だと思います。

受験の際の志望校選びと似ているかもしれません。今の自分の実力に照らして、確実に合格できそうな学校を選んでもいい。あと少し頑張れば届きそうな学校を第一志望にしてもいい。

もちろん、その決断がそのまま成功に繋がるとは限らない。「思っていたのと違った」と、方針転換することもあるかもしれない。そのときは、また別の道を選べばいい。

「現実的に考えたら無理そうな学校だけど、どうしても挑戦したい」という気持ちを大事にするのもいいですよね。ただ、その場合は、ほぼ確実に訪れる不合格への備えも必要です。受験に失敗しても、人生は続くから。その学校に行けなかったからって、努力は無駄になりません。その経験さえも生かせる、よりよい選択がどこかにあるはずです。

いずれにせよ、選んだ道で稼いで、家賃光熱費食費その他を全部まかなって、趣味や交友関係を楽しむ費用も出せるようになって、自立する。お金を得るだけじゃなく、その仕事で誰かに何かを与えられるようになる。便利な製品を作ったり、心に残る体験を演出したり。

貰う側から、与える側になる。その積み重ねが人生になっていく。

そういうサイクルに入ったら、もう、変わることってほぼないんですよね。成長していくだけ。ピカチュウがLv.5からLv.30になったり、ライチュウに進化したりはするけど、ミライドンにはならないのと同じ。そんなバグ技を使ったらゲームが壊れちゃいます。

REASNOTの活動を通じて、自分より年上の人や若い人の話を聞いて、今の自分や周りを見つめなおして、自分たちが若かったころを思い返すうちに、こう思えるようになりました。

えー、いきなりポエムをぶちかましてすみません!

そういうことを考えた2023年だったということです。

ここからは真面目に23年12月の編集後記を書きます!


R33.遼太郎

遼太郎さんと知り合ったのは、2023年8月。SSW.27で取材した犬塚モブさんが、紹介してくださいました。

厳密に言うと、犬塚さんを取材したその日に「このあと書道アーティストの友達に会うんですけど、一緒にどうですか?」とお誘いいただいたのです。

2023年はミュージシャンの方のお話を聞く機会が多いな、という自覚はあったのです。だから「書道アーティストってどんな人だろう?」と興味がわきました!

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