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【RS】印象に残っている取材TOP3

こんにちは。REASNOTの紅葉です。2/1公開予定の記事が遅れてしまって、申し訳ありません。

今回は、メンバーシップの掲示板で募集した「読みたい記事」から、「印象に残っている取材を教えてください」というリクエストに応えたいと思います。匿名希望さん、ありがとうございます!

本当は、リクエストいただいたのは「TOP5」だったのですが…。試しに書いてみたら、とんでもなく長くなったため、TOP3に変更させていただきました!ご了承ください。


第3位 R26.ディミトリ・ワイル

かつて経済誌の編集部で働いていたころ、業界の最前線で活躍しているビジネスマンの方と接する機会をたくさんいただきました。

そういう方々って、オーラが違うんですよね。相手の業界や業績を詳しく知らなくても、立ち姿だけで「この人はヤバい」って思わされちゃう。めっちゃ礼儀正しくて、仕立ての良いスーツで、「うわああ、失礼のないようにしなければぁぁ」ってなる(語彙力)。

ディミさんへ取材を申し込んだ22年夏、久しぶりに、当時の感覚がよみがえりました。とても緊張しました。それでも、いや、だからこそ、お話を聞きたいと思ったのです。

REASNOTを始めてから、一般企業で働きながら音楽活動をされている人とたくさん出会いました。正社員だったり、アルバイトだったり、就業形態は皆さん様々ですが、なんとなく共通する雰囲気があります。

「普段は社会人やってるけど、俺たちはアーティストなんだぜ。心はこっちにあるんだぜ」って、魂の主張を感じるというか。学生のころと全く同じではいられないけど空気感は保ちたい、って意志を感じるというか。

でも、ディミさんは違ったのです。前述のとおり、明らかにオーラがビジネスマン寄りで、「デキる男」感がすごくて。それってきっと意識しなければ表れないものです。明らかに異質な雰囲気を感じさせる彼からしか、聞けない話があるのではないかと思いました。

実際に取材させていただいて、納得しました。だって本当にエリートビジネスマンだもん。出身も経歴も、あのころ仕事させていただいた方々と同じ水準にあらせられるもん。それはヤバいです(語彙力)。

そして、感動しました。ディミさんが語ってくださったお話は、私が探し求めていたものの一つだったからです。

ちょっと話がわき道にそれますが、一般的に「メディア」というものは、仮説思考で動きます。本格的な情報収集を始める前に仮説を立て、結論を想像し、逆算して行動する。たとえば「こういう本を作るために、こんなエピソードがほしいから、この人を取材しよう」という具合に。

ディミさんに取材を申し込んだ22年夏の時点で、拙著『夢や「好き」と、ともに生きる』の構想を練り始めていました。それまでに取材させていただいた方のお話を整理しながら、「あとはどんな人の話を集めればいいだろう?」と自問自答しながら活動していました。

生きた情報を扱うために、スピード重視で動く業界の方法論です。悪い方向に転がると、切り取りや捏造に繋がりますが、良い部分もあります。少なくとも私は、「○○という理想をもっている人が存在するはずだ」と信じて行動したからこそ、出逢えた人々がいます。

話を本題に戻しますね。

「ビジネスマンとしてキャリアを積むことと、高いレベルで音楽活動を続けることは、両立できる」。文章で書くのは簡単です。しかし、現在の日本社会でその理想を実現させるのは大変なことです。

ディミさんが話してくださった想いや実体験は、私が作りたい本を作るにあたって、必要不可欠なピースの一つでした。

さらに彼は「10年前の僕と同じような悩みを抱えた人にエールを送りたい」と言ってくださいました。それは、私が本を作る理由とも重なりました。

ディミさんの取材を終えたとき、「この本は絶対に完成させられる」と、強い手ごたえを得たことを覚えています。

本当にありがとうございました!

第2位 SSW12.藍風くじら

くじらさんとは、20年7月に、とあるライブで対バンしたことで知り合いました。翌月にはくじらさんのツイキャス番組にゲストで呼んでいただき、こちらからも取材申し込みをして、お互いのスケジュールなどの都合をみて日程を決めました。

取材を行ったのは、21年春でした。十分すぎるほど準備期間があったため、当日の進行はスムーズでした。

しかし、私が「これまで活動をされてきたなかで、一番大きかった出来事、思い出に残っていることは何ですか?」と質問して、「旦那と結婚したことです」と答えていただいたとき、空気が一変しました。

それまでは「ザ・アーティストの取材」って感じだったんです。いつもの、REASNOTで何回も何十回も繰り返してきた取材と同じ。

しかし、くじらさんの回答を聞いた私が「えーっ、素敵!旦那さんとは、いつどこで知り合ったんですか?!」と、盛り上がってしまい。

出会いの詳細をうかがって、さらにときめいてしまい。

「どんなところに惹かれたんですか??」「どんな風にお付き合いに発展したんですか?!」と、細かなことを質問しはじめ。

ただの女子会になりました。

私の恋愛至上主義が本領発揮してしまいました。

……うん、ほんと、楽しかった。笑

家に帰ったあと、テープ起こしをしているうちに冷静になり、「どうしよう……」と、途方に暮れました。

いやだって、おかしいでしょう。

前半は他の方々の記事と同様に、時系列に沿ってくじらさんの音楽活動を紹介していくのに、後半は恋愛話一色になっちゃうんですよ。コテコテの少女漫画もびっくりですよ。

いったん起こしたままの構成で書いてみましたが、「なんてとっちらかった記事なんだ」と思いました。。まとめるのに苦労しました!

結果的に、くじらさんにも納得いただける記事になって良かったです。

私は、人生の目的は「幸せになること」であり、幸せとは「できるだけ多くの好きな人やものやこと(≒夢)とともに過ごすこと」だと思っています。

一つ一つは、繋がっていなくてもいいのです。たとえば平日は数学教師として働き(好きな仕事)、休み時間や終業後はアニメを見まくり(好きなこと)、自宅には花を飾って(好きなもの)、休日は好きな人とディズニーデートに行く、とか。

現実的な仕事をしているからファンシーなものを好きになったらおかしいなんてことはないし、好きな人と同じ趣味を楽しむ必要もないでしょう。

とはいえ、自分にとって一番大切なものを分かち合える人を好きになって、その人にも自分を好きになってもらえたら、最高だよなぁ。

…と、くじらさんのお話を聞きながら、心の底から思いました。この思いは、後の小野亜里沙さんや、黒沢愛子さんの取材記事にも影響しています。

また、くじらさんの「親や生まれ育った環境の呪縛に悩み続けてきたけど、彼と出会って付き合って、結婚して新しい家庭を築いたとき、やっと自由になれた気がした」という言葉にも、心を打たれました。

あくまで私の感想ですが、やっぱり、本当の意味で自立するには、結婚するしかないのでしょう。

全ての人間は必ず「●●さんと◆◆くんの子ども」として生まれてきます。「誰かの子どもでしかない自分」から抜け出すには、大人になって「△△くんの妻」「□□さんの夫」という新しい立ち場を得るしかありません。その先、つまり子どもが生まれて「○○さんの母」「○○くんの父」になるかどうかは、神のみぞ知る部分があると思うので、おいておくとして。。

くじらさんに限らず、アーティストさんって、親や周りの人に応援してもらえている人ばかりじゃないと思うんです。私自身もそうです。どんなに夢を語っても「わけのわかんないこと言ってんじゃないよ」と馬鹿にされたり、「いいかげん地に足つけて生きていきなよ」みたいな、的外れなアドバイスを言われたりすることも多いですよね。

そういうとき、「アーティストとして成功して見返してやるぞ!」って思いがちです。私もそうでした。でも、それは難しいというか、たとえ成功しても親や周りが手のひら返してくれるわけはなくて。返したとしても、名誉やお金に目がくらんだだけで、自分自身や夢や「好き」を認めてくれることってほぼないんですよね。そもそも生き方の種類が違う人なんだから。

だからこそ、理解し合えない人や環境から離れて、ちゃんと理解し合えるパートナーを見つけて、新しい居場所を一緒に作っていくことが、一番前向きな選択なんじゃないかなって。できないことにこだわって、できることもできなくなったら、悲しいですから。

…と、人生について考えさせられる取材でした。ぽえむ満載ですみません。。貴重な機会をありがとうございました!

第1位 R09.水戸コンドリア

REASNOTの取材は、ほとんどの場合、都内のカフェや会議室で行います。

最初に「今日はよろしくお願いします。『取材』ではありますが、友達とお茶してる感覚で、気楽に話してください」と、ご挨拶しています。

ほぼ初対面の方から、生い立ちや本音をお聞きするのって、お互いに緊張するので。できるだけリラックスした空気を作ろうとしています。

基本的には、コーヒーなどを飲みながら、ゆったりまったりお話します。ただ時間帯によっては、お茶よりもランチやディナー、いっそ飲み会のほうが相応しいときもあります。

腹が減っては戦はできぬ。「食事でもなんでも、ご自由にどうぞ!」というスタンスです。私も一緒に食べながら取材するときもあります。

(※テープ起こしをするとき、音がうるさくて大変になるので、あんまりオススメはしません。笑)

これまでに、カレーを食べながら取材を受けてくださった方がいました。ビールを3杯飲みながら、という方がいました。巨大なプリンアラモードと格闘しながらの方もおられました。

なかでも思い出に残っているのが、水戸コンドリアさんの取材です。

お店で皆さんと待ち合わせて、席に着いて、あれよあれよという間に、机の上にはお酒とフライドポテトと唐揚げが並びました。

「じゃーとりあえず乾杯しましょっかー!」ってノリでした。笑

とても楽しい時間でした。

あとから聞いたところによると、水戸コンドリアの皆さんが全員顔を合わせるのは、久しぶりのことだったそうです。

ゆえに?、その日は盛り上がりました。音楽活動について聞いていたはずが、いつの間にか、39MentoSさんの婚活話になっていたくらいです。

約2時間の取材の後、録音を止めてからも少しお話して、二軒目へ行きました。というか、みなさんが二次会をされるところへ、ちょっとだけお邪魔させていただきました。

「ただただ仲のいい30代後半の男性たちの飲み会に、ぽんと混ぜてもらった」という感じの日でした。普段の生活ではありえないので、新鮮でした。

REASNOTとして活動としていて一番楽しいのは、友達どころか顔見知りですらない、ライブハウスで一回演奏を聴いただけ、下手をしたらインターネットで配信や映像を見ただけ、という方とお話できることです。

本来なら関わるはずのない世界を知るのは、面白いものです。特に水戸コンドリアさんの取材では、心躍る体験をさせてもらいました。

もうひとつ、この取材が心に残っているのは、「コロナ禍の影響を受ける前でよかった」と痛感しているからです。

彼らを取材したのは、20年1月下旬。まだ、「海外でヤバい風邪が流行りだしたらしいよ、私たちも気をつけないとね」程度でした。

徐々に世間の空気が変わり始め、4月には緊急事態宣言が発出され、飲食店等の自粛が行われました。REASNOTも対面で取材する予定をオンラインのビデオ通話に切り替えたり、飲食店が営業している昼間に振り替えたり、様々な工夫が必要になりました。

もし、水戸コンドリアさんの取材が4月以降だったら、全然違う記事になっただろうと思うのです。

先にお伝えした通り、皆さんが集まったのは久しぶりとのことでした。全員社会人で、住んでいる場所がバラバラで、ご結婚されている方もおられるなか、REASNOTの取材のために予定を合わせてくださったのです。

もし4月以降だったら、平日夜のあの時間帯、あのお店は閉まっていたはずです。リモートに切り替えるか、休日の昼間に振り替えざるを得なかったでしょう。その場合、全員とお話できなかったかもしれません。

何より、空気感が全然違ったと思うのです。

「この場に私は必要かな?皆さんの楽しい飲み会を邪魔しているだけなのでは?」と、取材であることを忘れるくらいの宴席に参加したからこそ。15年前の思い出を、まるで昨日の出来事かのように語る皆さんの笑顔を見て、「あのころが一番楽しかった」と重なる声を聞いたからこそ。

私は「彼らの友情は間違いなく世界レベルである」と書けたのです。

誰か一人でも欠けていたら、リモート取材の他人行儀な空気だったら、きっとあの一文は書けませんでした。

2019年春にREASNOTを創刊してから今日まで、コロナ禍以前・禍中・以後における在野のアーティストさんたちの素顔を書き留めてきました。図らずも意義のある活動ができて、嬉しいです。

でも、書けなかったものがたくさんあっただろうと思うと、悔しいです。

もしコロナさんがなかったら、もっと違う記事が書けた人もいたはずなのです。水戸コンドリアさんたちのように。

失ったものを取り戻すことはできませんが、この悔しさは、ずっと覚えていたいです。大切なことを気づかせていただき、ありがとうございました!

まとめ

いかがでしたでしょうか?

これからも、多様な夢や「好き」をうたう人々と出逢い、お話を聞けたらいいなと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

おまけ

ここからはFan Club会員の方向けに、ちょっとした小噺を。

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