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私の師匠の話

昨年亡くなられてしまったので、師匠に直接お会いできることはもう無理なのですが、できれば来世、また師匠のおられるところに私も生まれてお会いできるようにと祈っております。それほど大好きな師匠なのです。

二十歳の時に人生の師匠との出会いがありました。
以来、現在に至るまで、ほかの人が、その方を超えることはなかったです。
当時もたくさんの人に「先生」と呼ばれて慕われておられました。人格的にも行動的にも思想的にも、すべてにおいて尊敬に値する方でした。
今は世界中に師匠を慕う弟子がたくさんいて、すごいことになっています。
日本人では知ってる人も多いけど、まだあまり知らない人が多いかもしれないので、時々師匠のことを書いていきたいと思っています。

今も私の心の中には師匠がいて、生きる規範になっていると思います。
でも、不肖な弟子なので、直接お会いしてお話するなんてことはなかったです。いつも遠くからそのお姿を見て、若い時はお手紙を書いたりしていました。自分が師匠に現況を報告して、さらに師匠に誓って自分の人生を開くために頑張れるという感じでした。
今も沢山の師匠の書物を読みながら自分を励まして、そして死ぬまで頑張れると思っています。
私の師匠はいくら頑張っても超えられない人です。将棋の世界だと弟子が師匠を超えることがありますけどね。
人生の師匠はほんと偉大過ぎて、超えるための目標ではなくて、師匠が目指しておられることに、私もともに行動できればそれで満足だし、幸せです。

師匠は三代目なので、師匠の師匠もすごい人だったし、そのまた師匠も偉大な人でした。ところが、あまり日本人に知られてないと思います。そういうことってあるんですよ。報道規制されてるんか。偉大過ぎて妬まれてる?偉大な人の話は国民に知らせるべきだと思うのです。日本人として誇りに思える人たちなので。
私も二十歳の時は知らなかった。以来、報道されるのを待っていたけど全然です。五十年間、マスコミで偉大な師匠たち三人の話を取り上げたのは、師匠が亡くなったときの報道が数分くらいか。ガッカリですよ。日本のマスコミ最低やわ。
自分で言うしかないのか、って感じ。

突然ですが、名言のコーナーになります。(笑)
師匠から教えていただいたのもあるかな。師匠は励ましの名人ですから。

桜梅桃李おうばいとうり」という言葉がありますが、自分らしい花を咲かせて生きればいいのです。雑草のような小さな黄色い花がうちの玄関のところに咲いているのですが、プランターではないところでも、しっかり根を張って花を咲かせてるのがすごいなって思う。
大輪を咲かせるのもその花の努力だし個性だし、素晴らしい。でも、鉢にも植えられてないのに、素敵な花を咲かせてる花には独自の生命力があふれていてそれもすごい。
朝ドラの「らんまん」の中で、「雑草という名前の花はない」と言われていた。見た目は雑草だけど、ちゃんと名前があるはずのかわいい小さな花。
人も自分らしく自分の花を咲かせたらいい。人と比べたらあかんのです。
人は人、自分は自分。桜は桜、梅は梅。


また、別の名言では、人生を豊かに暮らすっていうのは、物質的にではなく、まず、心が豊かであることが一番大事と言われている。
蔵の財より身の財、身の財より心の財が一番であると、だから心の財を積んでいきなさい、といわれている。心が豊かになるとお金がないことがそれほど気にならない。うちは4人の子供らがいたころは借金が多かったですけど、それでも楽しく過ごせていたと思っています。お金がないから知恵を働かせたことが多かった。どうやったら節約できるかという知恵を絞りだしました。今もお金がないことで不幸にはならないと思ってます。幸不幸は自分の境涯が決めれいけることだと思ってます。環境に左右されない自分を築くことが大事です。強く生きよう。


変毒為薬へんどくいやく」という言葉もすごい。毒を変じて薬となすっていうことですが、つまり悪いことがあってもそれをいい方に変えるっていうことです。
ただ簡単には変えれなくても、変毒為薬するっていう信念があれば、諦めずに挑戦すれば変えられるはずです。毒をそのまま受け入れないで薬にも変えていくぞという感じかな。

たとえ今どんなに苦しい状況にあっても、自分の中にある花の種は、絶対咲かすことができます。自分らしい花を咲かせましょう。桜梅桃李です。


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