#64 人は何故それを選ぶのか
※予め記すが、以下はどの運動競技も、又はその選手を卑下したり、馬鹿にするものではないのである。
野球の上手い子供は野球選手になりたいと思い、サッカーが好きな人はサッカー選手に憧れる。
ギターが好きならミュージシャンになりたいし、勉強が得意であるが故に学問を究めようとする者もいるだろう。
そこにその人が居る理由は何となく想像出来るし、理解も出来るものである。
しかしながら、それが分かりにくいモノも存在する。
そう・・・・競歩である。
例えば50km競歩という競技は、私のスルドイ勘によると多分それは50km歩くのだろう。
しかも急ぎ足で。
「50kmを競って歩く」
凄まじいことである。
歩くといっても健康の為に早朝や夕食前の散歩(人によっては徘徊に見えるが)とはもう全然違うんである。
何故この競技をするようになったのだろう。
「アイツは走るのは遅いけど、歩くと速ぇ~んだよ。誰も追いつけない!」
などと子供の頃から言われていたのだろうか。
或いはその子の”歩き”を見た指導者が
「こ、これは・・モノが違う!」
などということがあるのだろうか。
その競技を志したきっかけを聞いてみたい。
また"重量挙げ"という競技がある。🏋️♀️
表現としては"重量上げ"の方が正しいような気がするが、まあそれはいいだろう。
その重量挙げ。
これまた面白い競技である。
重量のあるバーベルを持ち上げることは他競技の選手であってもパワーアップの為にトレーニングの一環としてすることもあるだろう。
そう、これは数あるトレーニングの内のひとつだと思うのだ。
それを競技にしているというのが興味深い。
バーベルを持ち上げることを競技として競うなら、腕立て伏せや腹筋や縄跳び、匍匐前進だって競技化しても良いはずだ。
昔のオリンピックには綱引きもあったというし、なんなら踏み台昇降があってもいい。
「○○オリンピック10日目、いよいよ踏み台昇降決勝です。注目は予選からオリンピック記録を何度も塗り替えて来た世界ランク1位、イタリア🇮🇹のノボターリ・オリターリ選手です。決勝の舞台で世界新記録を出すことができるでしょうか。如何でしょう、解説の台踏さん?」
なんてことはないのだろうな。
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