白血病になった息子の心構え

息子の心構え

私は、息子が24の歳まで生きていられたのはある意味あの明るさがあったからだと思っています。5年生存率が10%未満って言われた時も「普通やったら90%の確率で死ぬってことやからもう助からんとか思うかもしれんけど、残念ながら僕はそういうふうには思わんがよね。その10%に入ったらえいがやろって思ってしまう」って言ってました。

最後の移植前には大人になっていたから、本人も含め家族みんなで呼ばれて。娘はそんなところに行ったのは初めてのことで、「5年生存率が10%未満…」みたいなことを言われてかなり動揺していました。でも私たち(主に私と息子ですけど)が全然動揺してないのを見てびっくりしてて。あとで「あんなこと言われてヘラヘラしてるとか意味分からん」って言われました。
そのあと病室で息子と話した時には「勝手に終わらすな」と少し強めの口調で言っていました。そんなふうに言うのを聞いたのは初めてだったので、ちょっと驚いたのを覚えています。

「このお薬が効かなかったら」っていうのも何度か言われましたけど、「それが効けばいいんやろ」って。心配していたこちらが馬鹿みたいに思ったことです。

…? どういうこと?

最後の臍帯血移植の時にICUに移る時、そこの看護師さんに聞かれました。「最悪の時はどこまでやりますか?」って。

…? どういうこと?

要するに心肺停止の状態になった時に、心臓マッサージとか人口呼吸などの心肺蘇生をするのかどうかということを、絶対にご本人さんに確認しておいてくださいということでした。
今までさんざん最悪なことを言われては来ましたが、そこまではっきりと言われたこと、聞かれたことがなかったので私は動揺してしまって、息子に聞くことが出来ずに迷っていました。でもちょうど聞くタイミングが出来たので聞くと「出来ることは全部やってもらわんと困る」ってあっさりと言われました。

そのことを看護師さんに伝えると「ああ、それって今まで助かって来たからこそ言える言葉やね。すごいね」って言われました。
そう言われて、はっとしました。息子は絶対助かると思ってるって。そこになんの迷いもないんだって。

母の迷い

私は2度目のハプロ移植の時から迷いがありました。それというのも、知り合いの方で骨髄移植を受けた方がいて、その方が「すごく辛かった。死んだ方がマシやと思うた。もし子どもが白血病になったとしても骨髄移植を受けやとか絶対よう言わん」って言ってたのを聞いていたから。
それを受けなければいけない、更に3度目の臍帯血移植の時は前回のハプロ移植から4ヶ月しか経ってない、あの時のしんどさを知っているからやりたくないっていうんじゃないかと思っていたので。

でもそんな心配は皆無でした。「またやったらえいがやろ」と普通に受け止めていました。息子は「やって当たり前だよね。それをやったら生きられるんだよね」って思っているんだと思いました。
そしてその時に「ああ、確かにこの子が小さい時は、私もそこに何の心配もしてなかったな」と思ったことでした。

そうはいってもさすがに辛そうで、私はいつ治療をやめたいって言いだすのか本当に心配していました。あまりにもしんどそうな時には「しんどそうやね。大丈夫?」と何回か聞いたことがあります。でもその時も「しんどいことはしんどいけどしょうがないろ。まあ、大丈夫」って言われました。それも笑いながら。そこには何のぶれもなく「絶対助かる、絶対生きる」っていう強い思いがあったからだと思います。

息子にとっての抗がん剤治療は、私たちが風邪をひいたら風邪薬を飲むっていうのと同じぐらい普通のことでそれを受け容れて来たからこそ今があるんだということを改めて気付かされました。

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