骨髄移植をして生きる

骨髄移植をして生きる

息子がお世話になった看護師さんと話していて「大人になっての移植はなかなか耐えられんって聞くよね。子どもの時は案外耐えられるけど」って言われました。
何でかなと思っていたのですが、お薬のこともあると思うけど気持ちの面がすごく大きいと思います。
大人って楽しいことはもちろん、苦しいことやしんどいこともたくさん経験してますよね。でも抗がん剤治療、骨髄移植っていうのは、今まで経験したしんどいことや苦しいこととは比べものにはならないぐらいずっとしんどいことだから「もう無理〜。こんなことには耐えられん〜」ってなるのかなと。
でも子どもってそこまでいろんな体験はしてなくて、親にも「頑張れ、頑張れ」って言われると「そうか、頑張ろう」って思えると思うから。

息子が3度の移植を耐えられたのは、経験があったからだと思います。生存率が10%とか、このお薬が効かなかったらとか言われながらもその低い確率をずっとくぐり抜けて来た成功体験があったからだと。だからどんなにしんどくても「ああ、これを耐えたらえいがやろ」って言えたし、実際耐えられたと思います。

息子はずっと生きるか死ぬかの崖っぷちを歩いて来てて、私たちとは比べものにはならない思いで生きて来たと思います。自分が20歳ぐらいの時に生きるか死ぬかなんて考えたこともない、せいぜい仕事や友達との関係に悩むぐらいのことだったから。
でも死ぬってそういったこと全てが終わってしまう、自分の存在が無くなってしまうってことなので。そういったある意味恐怖の中でずっと「生きる」のカードを引き当てて来てたから今があって、この言葉が言えるんだろうなと改めて気付かされました。

奇跡を起こす

その看護師さんにハプロ移植を受ける時に言われました。「また奇跡を起こしてもらわんといかん」って。骨髄移植はその時の抗がん剤治療でも命を落とすことがあります。それからそのあとの合併症でも。
幸いにもその時のハプロ移植の時も、そのあとの臍帯血移植の時も息子は奇跡を起こしてくれました。

息子が最終的に亡くなったのは白血病ではなく、骨髄移植のgvhdである閉塞性細気管支炎でした。白血病は最後まで寛解を続けていっていたので。1度の骨髄移植の抗がん剤の副作用はものすごくあると思うけど、それを3度もやったので、身体へのダメージは半端ないものだったと思います。だから若いのに骨粗鬆症だったり肺年齢が75歳以上、亡くなる前は95歳って言われたりして。
その時息子が言いました。「23歳の皮を被ってるけど中身はおじいちゃんやね」って。そんな話をしながら2人で大笑いしたことを覚えています。こんなことになるとは思ってもみなかったので。

娘が息子の再発が分かった時に言いました。「ごめんで。私の細胞が役立たずで」って。そのことをその看護師さんに言うと「何言いゆうが。さくらがおらんかったら中学生の蔵之介も高校生の蔵之介もおらんかったがで」って言われました。
本当にその通りで、娘がいなかったら高校の卒業旅行に嬉しそうに行く息子にも、大学の時、電話をするたびに「大学ってすごく楽しい。学校ってこんなに楽しかったんや」って言う息子にも会えなかったわけですから。

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