ひろしまタイムライン

100年も経たず街は復旧し

今や綺麗な夜景を見せてくれる街。



原爆だけでなく大空襲で焼け野原となった街は

多く、その街を見て落胆し絶望した先人達の

根源たる力や心は例え何世紀経っても色あせない

大事な遺産の一つではないだろうか。



ひろしまタイムライン

過去の時間軸に沿った気持ちを

今のツールで表現し発信する。



多くの映画やドラマ、授業や行事で

訴えてきた中でもりんいは1番心に響き辛いと思った。


ツイート内容が友人や知人となんら変わらない内容から一変、独特の当時の表現を用いた惨さを表している。


皮を焼き血肉をただれ

自身の理解が追いつかないまま

目の前に次々現れる物事



何が起こったのかと考える間も与えず

時が立ち理解が追いつくと同時に

抉られる心を思うと

当時を知らず史料でしか見たことのないりんいだが



自然と涙が出てしまう。





自分には何ができるか?

という時代から

自分は何を思うのか。

自分は何を考えるのか。

に変わったのかもしれない。




近い未来も遠い未来もどうか

平和であることを祈りたい。




そして同時に。

この時期は日本がどれだけ被害を受け

悲しみにくれたかという平和授業が主流のように

感じる日本の平和教育が教育現場を超え

あちこちで耳にし目に映るが。


過去に日本が手段や方法は違えど

他国に何をしたかも一緒に考えてよいのではないだろうか。


他国だけでない。

国内でも同じだと思う。



日本史を見る限り

戦、争いを繰り返している。

今の時代も手段が変わっただけで

争いは絶えない。



争いが無くなることはないのかもしれない。

けど争いをなくすための努力を辞めてはいけない。



矛盾を抱えたまま

この世界を生きるのだろうと今日

私は思う。




私は願う。



例えどんなに自分に酷いことをした人でも

嫌いな人でも

みんなそれぞれの形で幸せになれますように。



どうか、

綺麗事と言われようが最後に残る

奥底の根底の心の大切さを

最後まで大切にできますように。




そう願いながらもりんいの心は

恐らく

どうして自分は生き残ってしまったのだろう。

どうしてあの子は死んで自分は生き残ってしまったのだろう。


どうしてたった数分前まであったものが

一瞬で消えたのだろうと


ただただ静かに涙を流すような気がする。



絶望の先に何があるのだろうと。

お前だけが辛いんじゃない。

そんなことわかってる。

けど、今の自分では受け止めることも

受け流すこともできないこの現状を前に

ただただ、涙を流すのだろう。