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「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んで思うこと


「なかまある」というサイトの「もめない介護」からの記事「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んだ。

唸った。これこそが「傾聴」だ。文字にすればたった二文字を、これほどまでに実践した例をみたことがなかったからだ。以下の記事を読んで頂ければ分かるが、ざっとまとめてみる。

そして私は霊媒師になった 2階に住みつく義父母の敵も一喝 もめない介護97

義父母が「2階に誰かがいる」「毎晩、寝室に入ってきて物を盗ってゆく」と訴えはじめ、痴呆が発覚。物忘れ外来の医師からは「肯定も否定もしないことをこころがけるように」と言われ、実践。症状は緩和されたがゼロにならない。普通は、これだけでも充分な対応だ。とかく「そんなわけないでしょ」と否定したくなる。そもそも「いない」のだから。

しかし、ここで義父母の身になって考えてみる。毎晩、自分達の寝室に2階に住んでいる「知らない」女がやってきて、「物を盗ってゆく」。それは、なんとも恐ろしいことだ。事実であれば、毎晩、恐怖のなかで「また盗られるかもしれない」「あの女は昼間どこにいるのか」と思いながら眠ることになる。私たちからみれば不自然なことが、痴呆の中にいると、それはまさしく現実なのだ。

まとめに戻る。「イヤな気配」を、義娘の「わたし」は霊媒師として御払いをするのだ。義父母は「凄い!」と喜び安心する。そして「わたし」は、こう付け加える。

「イヤな気配がしたなと思ったら、いつでも言ってくださいね。またやりますから」

今回のケースは、タイミング的にもバッチリうまくいったケースだろう。うまくいかないことも、もちろんあり得る。「あなたがそんなこと出来るわけない」「私を馬鹿にしているの」と逆上されることも想像に違わない。
ただ、ひとつの方法論として、秀逸であることには間違いない。何より「寄り添おう」とする気持ちが全面的に伝わってくる。

梁川は、今回の「わたし」の立場になったことがある。梁川の親友が精神を病んだ時のことだ。もう、15年以上が経つ。あまりにも遠いことのようだ。

人は、脆い。壊れはじめた時、医療や助言がうまく作用する場合とそうでない場合がある。
所詮、無力だ。「助けられる」と思うこと自体がおこがましい。救うことなど不可能だと思った。
いつか、あんな日もあったね、と笑える日が来るかもしれない、それはとても微かな望みに思えていた。その予感どおり、彼女は発症して一年後に逝ってしまった。朝早く鳴った電話に予感がした。若い、美しいままの遺影を前に、私は泣くことしか出来なかった。

寄り添うことは紙一重だ。一緒に病んでしまう可能性を孕んでいる。だから、手を離した。その私を、今の私が責めるわけではないが、あの当時、あまり馴染みのなかった「傾聴」という言葉を、最近、コーチングやコミュニケーション、カウンセリング用語として、頻繁に聴くようになり、思うことは、方法論としていくつかのアプローチが出来たのではないか、ということだ。

もし、輪廻転生というものが存在し得るとすれば、彼女はもう生まれ変わっているかもしれない。あの頃は、深く暗い霧の中にいた数年だった。ハードな仕事を辞めた彼女の病発症のきっかけとなっ事象。天職だと思った仕事を辞めざるを得なかったわたしが、それが原因か否かはもう分からない、産後鬱に襲われたこと。
ふたりとも、とても死に近いところにいたのに、わたしだけが生き残って、彼女がいないこの世界で笑っていることが、夢の浮橋のようにも感じる。



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